サマーグリーン
セスナ機でイースト・ヘブンに到着し、空港から一歩出て思わず顔を顰めた。
快適な空調に慣らされた体は、いきなりの気温と湿度の変化に、とてもじゃないが対応出来なかった。熱帯の空気はムワっと暑い。、
一瞬眩暈がしそうで足を止めると、後ろから来た人にぶつかられてつんのめった。
ジロリと振り返る人に謝って、慌てて端に寄ってしゃがみ込む。
……これは想像以上に暑い。
スコラティクス・プラネタでは夏でもここまで暑くなる事など無い。そもそもあの星は雲が多めで気温が低い。初めて経験する温度に早々にダウンしそうだ
建物の影でこの暑さかと到着早々後悔しかけ、いやいや、まだ体が慣れてないだけで、慣れれば何とかなるはずだと、考えを無理やり切り替えた。そうでなければ、何をしにこ こまで来たのか分からない。
そう気合を入れて立ち上がり、タクシー乗り場の列に並んだ。
陽気な音楽をガンガン流す、窓全開の黄色い車を降りると、暫く世話になるヴィラのフロントの入り口前だった。
少々ふくよかな浅黒い男性運転手も、音楽以上の陽気さで、僕はどっと疲れていた。まさか信号待ちに、ハンカチを使った手品まで見せられるとは思わなかった……一体ここの人間はどれだけ陽気なんだ???
疲労と暑さでクラクラする頭を振って、フロントに続く扉を開ける……までもなく、そこからも音楽が零れている。
気を取り直して扉を開けると、色とりどりの花で埋まるカウンターの向こうに、やはり浅黒い顔に笑みを浮かべたふくよかな女性が、デンと構えていた。
「いらっしゃい、予約のお客さんかい?」
「あぁ、はい。フレッド・デュリスです。30日間予約してる、」
「はいはい、バカンスのお客さんだね? アタシはここの女将のミリアだよ。」
差し出されたチェックイン・システムに認証ブレスをかざし、シャンという鈴のような音を鳴らすと、
「じゃあ、部屋に案内するよ。」
と、そう表情を緩ませる女将の後について、ジャングルの中ような道を歩いた。
このヴィラは、1棟1棟離れて建てられたコテージである。
女将は海が見える辺りの1つのコテージのステップを軽快に上がり、自分の認証ブレスでドアを開けた。通常チェックイン・システムに登録した客の認証ブレスが鍵となるのだが、女将の認証ブレスはマスターキーであるらしい。
部屋に入ったすぐ脇には、先に宅配で送った2つの大きなカバンが、きちんと並べて置かれている。
暑い空気の篭った部屋の窓を、女将が順に開けていく。
部屋の中央には大きなベッドが置かれ、海を臨むテラスの傍にはアイボリーのカウチと複雑な模様の織り込まれたクッションが二つ並べて置かれている。カウチの前のテーブルには細長いクロスがかけられ、その上に生けられた花が鮮やかだ。
壁に寄せられた机には小さな三角錐の端末が載っており、肘掛のあるイスは座り心地が良さそうに見えた。奥には小さなキッチンと冷蔵庫があり、バスルームは広かった。
風で舞い上がる白く薄いカーテンを除けてテラスを覗くと、そこにも木製のテーブルセットが置かれている。
ナチュラルな色合いの、雰囲気のある調度の置かれた広い部屋。これがあの金額なのは 謎の気がするのだが、ウエスト・ヘブンとの価格競争の結果だろうか?
「ここは自然しか無いとこだけど、まぁ楽しんどくれ。」
全ての窓を開け終わった女将が、振り返って笑みを作る。僕はその声を聞きながら、外から吹き込んできた心地良い風が、部屋の中の温度と独特の臭いを追い払うのを感じていた。
少し休んでから、この島の散策を兼ねて水を買いに外に出た。
外はまだ暑いが空港を出た時ほどの衝撃は無かった。多少は体が慣れたのか、時間的なものなのか、はたまた場所の問題なのかは分からないが、倒れそうだとは思わなかった。
少し日が傾いてできた木の影を選んで道を歩き、島の内側に向かう細い道に入った。
店の場所は女将に聞いた。ざっくりした説明だったが、それでもどうにかなりそうな、何も無い踏み固められただけの白い道。道を外れなければ、目的地に着けそうな気がしている。
それよりも、左右の木々が珍しくて仕方が無い。海岸の傍の道は、そう珍しくもない南国の椰子が植えられていたのだが、今見えているのは知らない木ばかりだ。これがこの惑星の固有種、あるいは自然交配で生まれたものだろうか?
明日は是非ともこの植生の観察をしようと決めた。
やがて見えてきた地元の人が利用する小さな雑貨屋は、女将に教えてもらった通り、一人の老人が店の軒下に置かれた質素な作りのベンチに座り、ラジオを聴いていた。
流れているのは緩やかな女性の歌声で、憂いのある詩と声が、今日作られたばかりの僕の中のここのイメージとはそぐわず、失礼ながらも場違いな曲だなと思った。
「あの、こんにちは。」
声をかけると、ちらりと僕を見た店主は、
「珍しいお客だな? それとも迷子か?」
と、薄く笑った。何となく失礼な事を訊かれたような気がする。
「いえ、水を買いに来た客です。ミリアさんに訊いて来ました。」
「なるほど、あんたはあそこに泊まる客という訳か。」
そう言うと、彼はよいしょと勢いをつけて立ち上がり、店の中に入った。その後姿にはどこか風格があり、無言の威圧感のようなものを感じる。年の功だろうか?
今は細いが、元はガッチリした体躯をしていたのではないかと、僕は勝手に想像した。
表が眩しいせいで、店内に入ると薄暗く感じる。ざっと店内を見て回り、扉の付いた冷蔵ケースから2リットルの水を二本抜いて、レジの前に座る店主の前に置いた。
「テープで良いか? 袋が良いか?」
「じゃぁテープで。」
そんな短いやり取りだけで、認証ブレスをかざして支払いを済まし、ボトルを抱えて外に出た。
しかし、ふと気になった事を訊いてみたくて足を止めた。
「何故ベンチでラジオを聴いていたんですか?」
「お前さん、妙な事を訊くな? そこの方が風が通って涼しい、ラジオは退屈しのぎだ。こんな時間に客は来んからな。」
「そうなんですか?」
「暑い時間は涼しい場所で過ごすさ、もう少しすれば多少は客が来るだろう。」
訝しがりながらも答えてくれた店主の言葉は、なるほど理にかなっている。と、僕は納得して礼を言った。