エピローグ
「ここかい?」
「うん、この辺。」
ジャングルを分け入っていくらか進んだ場所で、前を歩いていたヤハクが足を止めた。モバイルで座標を確認し、サマーグリーン特有の木々のむせかえるような緑と、鮮やかな花の咲く世界をぐるりと見回した。
「明らかに怪しい物が見つかれば簡単なんだけどな。」
そう、笑いを帯びた感嘆の言葉が彼から漏れる。人の立ち入った気配も無い、植物達の楽園を前にして、途方に暮れそうになるのも無理は無い。だが異論もある。
「そんなに簡単に世紀の発見なんかしたら、呆気ないだろう?」
荷物持ちの僕は、リュックを下ろして一息ついた。中には調査に使うつもりの道具が色々と詰まっていて、つまりは重たかったのだ。
「パーティーのスピーチで困るって?」
「それを言わないでくれよ。あれ、本当に困るんだぞ?」
そこをからかわれると、僕は苦笑するしかない。真っ白だったあの時間は、未だに謎だ。おまけにその後のドタバタで全て吹っ飛んでしまった。でもそれで構わない、あのスピーチは僕にとって、さして重要なものではないのだから。
「大丈夫。俺は図々しいからね。しっかり自分の手柄として語ってみせますとも。運も実力のうちって言うだろ? とりあえず……は、この辺を探ってみようか?」
「はいはい。準備しますよ。」
確かに彼ならそうかもしれない。好事を嗅ぎ分け、それを躊躇なく掴む大胆さ、狡賢さを備えている。僕には無いからこそ、彼が少し眩しく見える。
僕はリュックの中から小型の地中探知機を探し出し、ヤハクに渡した。電磁波を利用したハンディサイズの簡易的なレーダーだが、余剰な機能が無いだけで性能は悪くない。と、評された実用的な代物だ。
僕は今、このサマーグリーンに移住して、植物の研究と観光ガイドの手伝いをしている。勤めていた製薬会社はスッパリ辞めて……とはいかず、現在は契約社員という肩書きを残したまま、この惑星での生活をする事になった。会社はまだ僕に宣伝としての利用価値があると思っているらしく、手放してはくれなかったのだ。
僕にしてみれば、そんな評価をされている事が不思議でしかないのだが、誰に話しても笑われ、あるいは怒られる。僕の持っている自身の評価と、周りの考える僕というものは別物だ、とパウじいには諭された。僕自身の評価基準は高過ぎるのだ。と、シャファンにも怒られている。始めは意外であったけれど、徐々にそうなのかな? とは思うようになった。でも、考えれば考えるほどくすぐったくなるので、最近はもう触れない事にした。そんな事に囚われるより、ここでの生活を思いっきり楽しむんだ。
会社からは定期的に研究成果の提出という義務が課せられているものの、そもそも研究や調査はライフワークのようなものだ。提出期限や上司との交信は、僕にとって良い張り合いとなっている。
昨日、大学の夏期休暇で帰省をしたヤハクは、今朝当然のように僕の家に現れた。『助手やってくれるよね?』と、誘うためにだ。彼の中ではもう決定事項で、僕の返事も予測済みであったらしい。もちろん二つ返事でそれを受け入れ、今に至るという訳である。調べるのはもちろん、カラフル・ガーデンに関する事だ。
地中探知機で辺りを探っていたヤハクは不意に足を止め、そして再び動き出す。探知機を左右に揺らし、反応を確かめながらゆっくりと葉を掻き分けて歩いていた。その軌道は半径が10メートルほどの円を描き、飛ばされてくるデータをモニターしていた僕には、それが真円に近い事がはっきり確認出来た。モニターにはこの場所を拡大した地図と、その上に彼の歩いた場所が黄色い線で描かれているからだ。
「ここに何かある。」
「そうだね。データもはっきり違うよ。」
探知機の測定深度最大までの地層データを返す場所と、表面ですぐ途切れている場所がある。ヤハクが左右に探知機を振る度に、受信データは交互に繰り返されている。これはどう見てもおかしい。そして怪しい。
ヤハクと僕は、その部分の草をかき分け、シャベルでその下に厚く堆積した落ち葉も退かし始めた。既に腐葉土と化した黒い土の層を少し退けると、白磁のようにつるりとしたものがあっさりと姿を現す。それをシャベルでつついてみると、金属のように硬質で高い音を返してきた。
「さてこれは何だろう? 明らかに人工物だよね?」
土と汗にまみれた彼は、嬉しそうに、また挑発するようにも見える態度で僕に問う。
「確かに、自然界にこんなにまっ平らなものは存在しないだろうね。」
範囲を掘って広げてみても、その白磁のようなものは存在した。おそらく探知機のデータの通りの範囲で存在するのだろう。
「俺、本気で運が良いらしいや。」
「確かにそうだ。発見の神様の守護でもあるのかい?」
まさか本当に、こんなにあっさり何かが出てくるなんて思ってもいなかった。ジオライトスキャンで目ぼしい場所を、あらかじめ絞り込んでいた事前の準備もあるのだろうが、カラフル・ガーデンの件もある。本当に彼は幸運の持ち主であるらしい。
「何それ? どんな神?」
「さあ? 君の運が人並み外れてるって思うだけさ。」
「それ、褒めてる? 何かそれ引っかかるんだけど。」
「褒めてますとも。これ以上無いほどに。」
「それ、余計にわざとらしい。」
生い茂る木々の葉で日差しは遮られているものの、地面を掘る作業を続けていれば滝のように汗は流れる。何度も水分を補給して、雑談しながら掘り進める。
「あ、そうだ。一つ訊きたい事があったんだ。いいかな?」
「何だい?」
くっきりと染みの浮く背を向けたまま、ヤハクは思い出したように話を変えた。だが、頃合を見計っての台詞にしか聞こえない、何より思い当たる節もある。
「何で姉ちゃんが家にいるのかな? 今度の喧嘩の原因は何なの? 義兄さん?」
とうとう来た。
「喧嘩はしてないつもりなんだけどな。この間、女性三人組みのガイドを担当したんけどさ。その後で……シャファンが怒り出したんだ。モーションかけられてたとか何とか言って、でもそんなの僕にはさっぱりなんだけど?」
彼女は時々どうしていいか分からない。普段は良い子なんだが、時々こうして……よく分からない理由で騒ぎ出す。今回のは三日前、手が付けられないほど騒いだ後は、飛び出して実家へのお決まりコース。彼女が辿り着く前に、向こうに連絡をして『またすみません』と、断りを入れるんだ。もう、何度目になるんだろう?
「……愛されてるねえ。とりあえず謝っちゃえば?」
「どうしてそうなる? 適当に機嫌を取っても、解決しないじゃないか。」
根本的な解決をしないと、今後もこれが続くのだ。それは避けたい。だが、その根本的な解決が未だ叶わず、何度も同じ事を繰り返している。
「フレッドはそういうとこ頑固だよね。まあ実際、勝手にヤキモチ妬いてるだけだよね。でも謝れないんだよ。あの意地っ張りは。」
「だから……」
そんな事は分かってる。だけど、僕の方から謝るのも何かが違うんだ。
「フレッド、ちょっとこれ見て。」
「……いきなり話を変えないでくれよ。」
頭の中であれこれ考えていたというのに、急にそのやり場を失い力が抜ける。そっちから振っておいて……とは、思ったものの、ヤハクの態度は急激に変化していた。シャベルを投げ捨て、必死に手で土を退けている。
「ヤハク?」
「いいから早く、こっちに来いって!」
気持ちを切り替え彼の傍に行くと、彼が退けている土の下は白磁ではなかった。ガラスのような透明の物体だ。だが驚くのはそこではない。透明という事はその向こう側が見える。
ガラスの向こう側に見えたものは、僕の……いや、おそらくはヤハクの予想をも、遥かに超えた光景だろう。
「これは家だよね?」
「……みたいに見えるね。」
ヤハクの言葉に僕は頷く。覗き込んだ先には、シンプルな白っぽいテーブルとイスのようなものが見える。少し離れてキッチンらしきカウンターと、成長し過ぎた観葉植物らしきものまであった。地中に埋まっているにも係わらず、不思議なほどその室内は明るい。柔らかい光に満ちているおかげで、内部がはっきりと見渡せるのだ。
「……まさかだ。落書きの犯人は、やっぱりここにいたんだ。」
ヤハクは顔を紅潮させ、手は落ち着き無く意味の無い動作を繰り返している。無理もない。だったらいいね、が現実になりそうなのだ。それに僕も人の事は言えない。手の発汗が激しく指先は冷え、微細な震えが止まらない。
「ヤハク、これは、本当に世紀の発見……したんじゃないかな?」
僕達は二人で顔を見合わせ、笑った。妙な緊張感から開放されるまで、取りとめもなく。周りから見ている人がいれば、何事だと思われただろう。ここがジャングルの中で良かった、もし見つかれば、僕達の計画は台無しになってしまうかもしれない。
「どうやったら中に入れるかな? とくかく入り口を探さないと。」
「そうだね。でも、地球起源の生命体としての感覚からいけば、地面の中のような気がするんだけど。」
「フレッド、その言い方面倒臭い。俺だってそれくらい考えたさ。でもあそこと同じなら入り口は無いかもしれない。そうか、あの謎を解明しないと中に入れないのかもしれないな。」
「あそこには入り口無いんだったっけ?」
「そ、亀裂だけ。勿体無いけど、最終手段はここを割る事になるかもしれないな。」
腕を組み、考えながら溢した彼の言葉は、好ましいものではなかった。本人も眉間に皺を寄せ、苦々しそうな顔をしていた。
「それはそれとして、まずは探ってみよう。とはいえ、地中探知機はこの白磁に遮断されるみたいだから、ここを通過するものを探す必要があるみたいだね。」
「目の前にあるのに……悔しいけど、初日に見つけたんだから急ぐのは欲張りってもんか。」
「まあ、じっくり探そう。逃げるものでもないし、そして、完全な状態で発表して、驚かせてややるんだろう?」
「……フレッドは、時々良い事言うんだよな。俺、本当に運が良いや。声かけて正解。」
声を殺した笑い声が聞こえてきた。何故急に彼が肩を揺らして笑っているのか、僕には分からない。
「ヤハク? どうしたんだい、急に???」
「いや、何でもない。今日はここ綺麗に戻して帰ろう。今は興奮してるから、頭冷やして方法を考えよう。」
「ああ。」
「だから、うちに寄って姉ちゃん連れて帰ってくれ。時々ヒステリー起こして邪魔なんだ。」
「……そう来たか。」
「そう行くよ。」
僕達はまた笑う、もちろん今度の理由は分かる。彼の優しさも。
とりあえずはこの夏休み、そして謎が解明できるまで、きっと二人で探し続ける。おそらく異星人の痕跡、それは今目の前に、こんなにはっきりと存在しているのだから。
常夏のサマーグリーンの夏。あの日、疲れ切った会社帰りに見上げた旅行会社の大きな広告。
あの時は、僕の人生がこんなに変わるなんて思ってもみなかった。