旅程
今僕は、サマーグリーンのゲートへ降りるためのトルネードカプセルの中にいる。
自己紹介が遅れたが、僕の名はフレッド・デュリス。26歳の製薬会社に勤めるしがないただの会社員である。
日々蓄積した疲労を抱えた僕は、まんまと広告に染められて、迷う事無く夏のバカンスにこの地を選んだ。
……とは言え、実はこれまでまともにバカンス休暇など取った事は無い。
これまで別段行きたい所も無かったし、時々あるカレンダーの数日まとまった休みに、のんびりと過ごせれば十分だと思っていた。
そんな僕に対し、はっきり暗いと行ってくる人や、不思議がる人、場合によっては楽しむという事について懇々と説いてくるお節介な人もいたが。今回の件に関しては、今までの僕の生き方が功を奏したと思う。
惑星間の渡航は値が張るとは聞いていたが、旅行会社で提示された金額には思わず目を見張った。しかも今はオンシーズンで、数段下のオフシーズンの額との差に笑いたくなった。
しかし、これまでの使い道の無い生活が幸いし、別段費用に困る事は無いという結果になったのだ。
おまけに、総務に休暇を申請すると、あっさりと受理された。
「デュリスさんは残業が多いですね、おまけに今まであまり休暇を取っていませんね、労働基準局が目を光らせているので、是非ともお願いします。」
と、事務的な口調の女史にそう逆にお願いされ、過剰な休暇が与えられる始末だった。
過労働にうるさい昨今、残業が多いと会社のマイナスイメージを植え付ける事になるらしい事は理解したのだが、僕の存在価値に関して複雑な思いを改めて抱いた。
……ともあれ、そのおかげで今回の旅が実行出来た訳である。
今まで生まれ育ったスコラティクス・プラネタから出た事の無い僕は、今日初めてトルネードカプセルに乗った。
トルネードカプセルとは、地球時代の終わりの辺りに開発された大気圏を抜けるための技術であると共に、その乗り物自体の名称でもある。
地上のゲートと呼ばれる施設と、宇宙空間に浮くスペースターミナルとを繋ぐ唯一の手段であり、人の暮らす全ての惑星で利用されている。
スペースターミナルからは、惑星間を航行する定期船に乗り換えた。ちなみにサマーグリーンまでは、ワープを利用しても三日かかる。
その三日間はB級チケットの簡素なシングルの船室が自分の部屋となる。
他にA級、S級といったお金持ち用のチケットがあり、部屋のランクがアップする。しかし僕は、そこまでの贅沢をする気は無く、またD級というリーズナブルな物もあるが、相部屋は遠慮した。
もちろん退屈な旅にならないよう、船内に娯楽施設は充実しているが、賑やかな酒場もカジノも僕の性分には合わない。旅に出た所で結局静かな場所が良いのは変わらない。
展望室で宇宙を眺めたり、部屋に据えられた端末を利用して遥か昔の映画を鑑賞して過ごしたのだった。
三日後、サマーグリーンの軌道を巡るスペースターミナルに到着し、トルネードカプセルの搭乗時刻までの空き時間に、展望室から窓の外の実物の惑星を目にして驚いた。
映像で見るものとは、まるで迫力が違うという事もあるが、少しくすんだ青色をしたスコラティクス・プラネタよりも、遥かに美しいと感じた。広告で謳う『幻の地球を体験』という言葉は誇張では無さそうだ。
明るく鮮やかな青い星は、確かに資料映像で見る地球の姿に似ている。
そういえば、大きさも似たようなもので、おまけに自転にかかる時間も変わらない一日が24時間という奇跡の星だ。発見された時は大騒ぎになったという。
水どころか、そのままでも生きていけそうな大気があり、地上は緑の木々に覆われていた。これなら生命体がいるのではないかと期待されていたが、微生物以上のものは発見には至らず残念だ……という旨の古い記事を、小さい頃に読んだ覚えがある。
しかし、これほど地球によく似た星にも、もちろん違う所というものはある。
気温だ。陸地の多くの部分が熱帯、亜熱帯に属しており、暑いのだ。しかしサマーグリーンの人々はたくましく、それを逆手に取って、南国のリゾート地として売り出している。
そして僕は、今回見事それに引っかかった訳である。
大気圏を過ぎた後、カプセル中央に据えられたモニターは外部の美しい青と白を映し出した。やがて画面は真っ白になり雲を突き抜けると再び青に支配される。
青い海に浮かぶいくつかの陸地が、徐々に大きさを増して行く、隣で新聞に目を通す人は見向きもしていない映像を、僕は凝視していた。
……おそらく間抜けな顔で。
カプセルがゲートに降り立ち、案内表示に従って建物の表側に出て来ると、壁面に豊かな自然の映像がホログラフで投影されていて、美しいながらもそれは目に眩しく感じた。
通路沿いにいくつも並ぶ土産物売り場では、それぞれにカラフルで涼しげな衣装の店の人が、瓶詰めの果物や花、何かたくさんの箱を並べた前で、呼び込みの声を上げていた。
これが色の氾濫と言うべき様相なのだろう。
驚きつつも、予想に違わぬ場所だと思い、僕は嬉しくなった。
南の国の人々は元気で、活気に満ち溢れ、些細な事では悩みもせずに、僕の憂鬱まで一緒に吹き飛ばしてくれるパワーがあるんじゃないかと、勝手に期待をしているせいだ。
その希望が叶えられそうで、胸が弾む。
しかし僕は今、ただそこを通り過ぎるに止めた。
到着直後に土産物を買っても仕方が無い。
この後はクリアチューブで空港に移動する。
クリアチューブとは透明なパイプの中に敷かれた鉄道網であり、地上での一般的な交通機関の名称である。
ちなみに、テラフォーミング、トルネードカプセル、クリアチューブ、それから太陽光発電施設のブラックリボンが、惑星開発の基本的なセットであり、どの惑星でも利用されている共通の技術である。もちろんスコラティクス・プラネタでも利用されているものだ。
そして、空港からはセスナ機に乗り、赤道から程近い南半球側にあるイースト・ヘブンという島に渡る。
その島と、すぐ隣のウエスト・ヘブンがリゾート観光の中心地で、どちらもお互い負けまいと、サービスを競い合っているらしいが、別にどちらでも良かった僕は、古典的ながら地図の上でペンを倒して決めさせてもらった。
実はこの星の売りはもう1つあり、北半球の緯度の高い位置に温泉がある。
そこは温暖で過ごしやすい地域だという事なのだが……しかし、老人の湯治客ばかりと聞き、あっさりと選択肢から除外したのだ。