酩酊
トイレを理由に席を立った僕は、そのまま抜け出す事にした。戻った所で引き続きおもちゃにされるだけだろう。
痛い図星を突かれ続けるのは、正直辛い。それに耐え続けられるほど僕の神経は太くないし、快感を覚えて喜ぶようなマゾスティックな性格でもない。結局二人だけでなく、長の人徳とやらで多くの人が話の輪に加わってきた。楽しく過ごすためのコツとやらを、聞き取れないほど口々に語り出し、そのうちに論点はずれて行った。
酔いの回った人々が、今を楽しく過ごしているのは聞かされなくたって、見てれば分かるさ。その状況に困惑している僕に、機嫌が悪いと言われたって困る。結局は、自分の主張を押し付けて満足しているだけだろう?
彼等はスコラティクス・プラネタをおかしな所だと言う。だけど、僕にしてみればこのサマーグリーンだって十分おかしい。
そりゃぁ自然豊かで、しかもその植物は珍しくて興味深い。しかも景色は素晴らしい。「幻の地球」という謳い文句は伊達じゃないって、そりゃ思うさ。
だけどここの人は、どうしてあんなにテンションが高いのか? こちらの事をお構いなしに簡単に寄ってくるのか? どうして無神経に好き放題言えるのか?被害者意識のあてつけのようないたずらも迷惑だ! それにタクシーの運転手がどうして手品なんだ? 危険だろう!?
……僕にはさっぱり解らない。
けれど、そんな人達に色々と助けられている。その事実が正直面白くない。
いや、そもそも僕はこんな性格だったのだろうか? なら本当は相当な皮肉屋だったんだな。
……おかしいな、自分の事まで解らないとは。
あぁ、本当に訳が分からない。
喧騒を背後にしてコテージに戻る道に向かう。暗くなってきた所でポケットから懐中電灯を取り出し、点けようとして……止めた。篝火の光も届かない暗がりの、進む方向に光が見えたからだ。
広場にあった表情豊かに揺れる炎の光ではない。無機質で味気の無い人工的な強い光。その光は徐々に近付いて来て、射るように僕を照らす。
照らした者の正体は後ろの篝火の光でぼんやりと判別がついた。目を細めて手をかざし光を遮る。祭りの場での事を、暗に揶揄されているような気がして苛つく自分に嫌悪した。
だが、まずは言わなければならない事がある。
「あのさ、シャファン……。それ、眩しいんだけど?」
木々に囲まれた間の道を、何故か二人で歩く。
道を照らすのはシャファンだ。特に何を話すでもなく、ただ二人して足を動かす。踊っていた彼女は素晴らしかったのだが、今は……またよく分からない。
ヤハクから聞かされた彼女の気持ち。そこを変に意識してしまうせいだろう、僕の方がこの沈黙に耐え切れない。やはり何か話をするべきなのだろう……が、一体何を話したらいいんだ?
たぶん訊きたい事はたくさんある。でも、何を訊いたらいいのか分からない。どう話せば良いのか、僕は何を言うべきなんだ?……いや、無理も無い事か? よくよく考えてみれば、僕は彼女とそんなに親密に話をした事がない。何故か部屋に忍び込んできた時に話しはしたが、はっきり言ってあれは口論に近い。
「なぁ、シャファン?」
「な、何……?」
「君は一体、何を考えているんだ?」
「……えっ、えっと何?」
「僕には君が考えている事が、よく分からない。理解出来ない部分もある。何がしたいんだ君は? どうしてあんなとこに突っ立っていて、何で今隣りを歩いてる?」
「そ、そんなに一度に訊かれても……答えにくいわ。」
「どれも同じようなものだ。僕には君が何を考えてるか分からない。結局の所はそれだ。」
「だって……。」
彼女の消え入りそうな声と共に、常に前方にあった足元の明かりが後方へ下がっていく。正しくは彼女が足を止め、僕だけが前に進んだ。振り返ると彼女は俯いていて、地面に描かれた光の円は揺れていた。
「どうして今の君はそんなに気弱なんだ? 僕を引っ叩いた時の気の強さはどこに行った?」
「あれは、だって……。」
「ほら、またそうやって言葉を濁す。今日の踊ってる姿は綺麗だった。」
「えっ、あ……ありがと。」
「それと、悪かった。」
「え?」
「最初に会った日、僕が店で引っ叩かれた日……やっぱりあれ、僕が悪かった。」
「はい?」
「君は真剣なのに、そんな姿を色眼鏡で見たのは間違いない。」
「はぁ。」
「自信を持って踊っている君と、その自尊心を傷付けられて怒った君と、ヤハクの姉である君と、ここが嫌いだという君を知っている。でも僕にはそれを一つに纏められない。まだ足りないんだ、僕は君をまだよく知らない。何故ここが嫌なんだ? 何で僕なんかが好きなんだ?」
「ちょ、ちょっと何、それヤハクが言ったの!? それともミネアおばさん???」
「誰でもいいんだ、そんな事は。」
「私はよくないわよ!?」
「僕は君が分からない……でも、それと同じくらい自分が分からない。」
「……ねぇ大丈夫? 足元ふらついてない?」
「かもしれない。酔ってるから仕方ない。」
「仕方ないって……ほら、もう少しだから帰りましょう?」
彼女に手を引かれて歩いていると、更に酔いがまわる。はっきり言って、色々どうでもいい。
コテージに着いて鍵を開けたのは彼女だ。不満な事もこんな時には役に立つものだと、また皮肉な事を考える。
引きずられるようにベッドに倒れ込んで、彼女から渡された水を飲んだ。こぼれた水が服を濡らし、少しばかり冷たいがどっちでもいい。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
「さぁ?」
「さぁって……。」
自分でもよく分からない事は、答えようが無い。そうだな、いくら訊いてみた所で、自分の中で固まっていない事は答えようが無い。
「シャファン? 今までの質問は忘れてくれていい。」
「はぁ? ちょっとそれどういう事よ?」
「僕も自分がよく分からない。綺麗だけど、よく分からない君に惹かれる理由が僕にも分からない。だから、引き分けだ。」
「な、ちょっと、引き分けって何よ?」
「僕は何故、君の事が好きになったのか理由が分からない。」
「急に何よ……私だって……あなたが変に真面目だから、妙に気になるのよ。」
「真面目、か。僕はずっとこうだから、何がどう真面目なのかよく分からないな。」
本当に分からない事ばかりで、頭の中がグルグルする。今日は色々あって、色々考え過ぎてもう疲れた。
不意に額に置かれた手は、冷たくて気持ちが良い。その感触が何となく恋しくて、その手に自分の手を重ねる。手から伝わる感触は、滑らかで柔らかい。僕はもっと触っていたくて、その手を捕まえ引き寄せた。
急なベッドの振動と、適度にかかる重さ、そして心地良い体温と。すぐ傍にある安心感に、迫っていた眠気に抗う気は失せる。
名を呼ばれたような気はしたが、もうどうでもいい。僕はそのまま睡魔に任せ、完全に意識を手放した。
いつものアラームの音に起こされると、窓の外は明るかった。おそらくは今日も晴れ、窓を開ければ冷やりと気持ちの良い空気が流れ込む事だろう。
しかし、今朝の目覚めは最悪だ。ズキズキと痛む頭と、胃の辺りの気持ち悪さに苛まれている。そう、完全な二日酔い。おまけに記憶は曖昧。よく帰ってこれたものだと感心し、不意に腕の下にある感触に気付いて不審に思う。
それは柔らかく、滑らかで温かい。……何でシャファンが???
まだ幾分まどろみの中にあった意識は、これで完全に覚醒した。
彼女はまだ眠っており、僕はその彼女にしがみつくような格好で眠っていたらしい。心臓がやたらと早く鼓動を刻む。そして、嫌な汗をかき、指先は冷えて痺れた。
いや、えーと……昨夜は一体何があった!?
起きたばかりなのに、下手すると違う意味で意識が飛んでしまいそうだ。
夕方からヤハクと祭りに行って、踊りを見て、パウじい達に捕まって飲まされて……そこからの記憶が曖昧だ。
確か抜け出した後、シャファンがいて……何かを色々喋ったような気はする。そして一緒にここまで戻って来たのだろうが、肝心な部分の記憶はさっぱり無い。
しかし、まずは水が欲しい。アルコールの分解で減った水分を体中が求めて訴えている。僕は頭痛を出来るだけ意識しないように起き上がると、ひどくフワフワした気分で冷蔵庫に向かった。