本音
薄暗くなってきた広場を揺らめく炎が照らし出す。
明かりは所々に置かれた篝火と、長が直々に火を入れた中央の大きな焚き火だけだ。この場所には人工的な照明は一切存在していない。いや、僕のポケットに懐中電灯は忍んでいるが、もちろん点けようなんて気は更々ない。この幻想的な雰囲気を壊すなんて勿体無い事はしたくない。
白い光の電灯とは違い、炎の光は弱くはあるが心に染み込むような温かさがある。そして同時に恐怖にも似た緊張感が心のどこかを占有する。
それぞれに何かを言い合う雑然とした空気を、突然鳴った太鼓の音が切り裂いた。人々は口を閉ざし、拍動よりも遅いリズムだけが辺りに響く。そこに男達の低く唸るような声が次第に重なると、男が一人、輪の中央に歩み出た。
白いヒラヒラした飾りの付いた印象的な衣装を纏った男は、焚き火を背にして自身の身長よりも長い棒を振り回す。これは『神の門』を開くための『鍵の踊り』だ。と、隣のヤハクがこっそり教えてくれた。
暗がりに映える白は、男の動きに合わせて様々に揺れる。棒で地面を叩くリズムそのものが鍵であるらしく、男は何度も何度も同じように棒を地面に振り下ろす。そして突如気迫の篭った声を上げて殊更強く地を打つと、男はそのまま動きを止めた。同時に唸りのような節も太鼓の音もぱたりと止む。これで終わりなのだろうか?
しかし、拍手も歓声も起こらない。ただ薪の爆ぜる音だけが、不規則にパチパチと辺りに響いているだけだ。
男は肩で大きく息をしながらも、叩き付けた姿勢のままで動かない。その緊張感に見ているこちらまで息を飲む。
それから男はよく分からない言葉で何かを叫び、ゆっくり立ち上がると静かに輪の外に出て行った。
こっそりヤハクに尋ねた所、分からない言葉は「鍵は開かれた」という意味なのだそうだ。祖先の人々が、地球時代に使用していた少数民族の言葉なのだが、共通言語の使用により廃れ、今ではきちんと使える人はいないらしい。
ただこのように、祭事に使われる一部の言葉だけが呪文のように残されている……そんな程度のものであるらしい。
次は『精霊達を集める踊り』だとヤハクに耳打ちされていたのだが、シャファンが出て来て驚いた。
最初の男に似た作りの白い飾りの衣装を着けて、同じく白い布で纏めた何かの葉の束を両方の手に握っている。手と足には鈴のついた飾りが嵌められ、動くたびにシャラシャラと澄んだ音が響く。
日は既に暮れ、篝火の揺らぐ炎に照らし出された彼女は、店で踊っていた時よりも、遥かに厳かな雰囲気を漂わせている……ように見える。
思わず見とれてしまった僕の横で、微かに笑う声がした。もちろん彼女の弟だ。彼女がこの役である事をわざと黙っていたのだろう。隣を見ると、とても分かり易い笑顔を見せた。「余計な気を回すな」と、そう言いたかったのだが、口を開く前に男達の歌が始まり、遮られる格好になってしまった。
中央に目を戻すと、地に伏していたシャファンが顔を上げ、葉の束を勢いよく振り上げた。それにあわせて太鼓の音も鳴り始める。
最初の『鍵の踊り』は緩やかで単調なリズムだったが、今のこれは軽快なテンポでより複雑なリズムを刻んでいる。そして彼女は、まるで何者かに乗り移られでもしたかのように、うっとりとした表情で太鼓に合わせてしなやかに、また軽やかに炎の前を動き回る。
まるで彼女自身が人を惹きつけ惑わす精霊、あるいは妖魔ででもあるかのように、僕は彼女から目が離せない。彼女が動くたびに葉がサヤサヤと鳴り、鈴もシャラリと涼しげな音を立てる。後ろに流した黒い髪は辺りの闇に溶け、そして衣装の白は、篝火の揺らぐ光を受けて絶えずその色を変えていく。
体にまで響く太鼓の音と、独特の節回しの男達の声。どこか現実感の無い、夢か幻のような空間と時間。その中心にいる彼女は最早神々しいとさえ言える。
……普段の良く分からない彼女とは、まるで別人のようだ。
ヤハクから聞かされた、シャファンの気持ちに困惑したままでいたけれど、今こうして彼女を見ていると、そんな事はまるでバカバカしい事のように思えてきた。幻想的な時間は夢にも等しい。だったら今……この時間くらいは、ただ素直に感じたまま受け止めても良いんじゃないのかと。
目の前で踊る彼女はとても美しい。
……あぁ、まったくだ。
同時に、彼女に初めて会った時、叩かれたのは無理もない、とも。あの時も素晴らしいとは思っていた。だが、それと同時に変な色眼鏡で見ていた事は否めない。つまり僕は、こんなにも真剣な彼女を侮辱していたという事に他ならない。
彼女が怒るのは当然だな。
今ようやく合点がいって、申し訳無い気持ちで心が痛い。
それにしても本当に彼女から目が離せない。
この行動が示している事を考えると、苦笑いが浮かんでくる。
……これはひょっとしたら、僕の負けなんじゃないか?
神事である所の2つが終わると、後は『乱痴気騒ぎ』と表現しても差し支えの無い様相を呈した。いや、きちんとした規律のある最初の2つの方が異質だったのだろう。
楽しげな太鼓のリズムに、やたら高く鳴る笛、歌のように、あるいは楽器のように自在に響く声、そして自由に踊り回る楽しげな人々。それを囲む人々は盛大に酒を楽しみ、入れ替わり立ち代り好きなように踊りの輪に加わる。この調子だと、最終的には酔っ払いしかいなくなるのではないのだろうか?
……しかしこれは人事ではない。
僕はパウじいに捕まり、隣に侍らされる格好になった。そして、彼が長であるという事実を大いに実感する事になる。
順番に挨拶に訪れる人々に、カップが空になる度に次の酒を注がれて限が無い。非常に困っているというのに、更にコテージの女将のミリアさんまでが加わり、がっちり両サイドを固められて逃げ道を封じられてしまった。彼女も何かしらの顔役であるものか、首に派手な飾りを下げている。
手にしたカップの中身は少し濁りのある甘口の酒で、花のような良い香りがする。そう強くは無いので、何となく飲めてしまうのが質が悪い。
食べる方に逃げようにも、卓に並ぶのは肴ばかりで、ここに来てすぐに行ったレストランの料理のように、味の濃いものばかりで辟易した。
頼みの綱のヤハクも、「もうここからは大人の時間さ、子供はそろそろお帰り」と、ミリアさんに追い払われて既にいない。
やがてそれらがひと段落してくると、今度はこの際だからと、酔いと好奇心に任せた二人から僕への質問がメインになった。そう、僕自身の事。僕が暮らす星の事、仕事に、日常に、ここに来た理由。何故そんなに興味を持たれるのかよく分からなかったのが、ここで僕は相当異質であるらしい。しかしそんな事を言われても、どうせ僕は僕でしかない。
しかし、先ほどまでの半分以上がよく分からない、この辺りの世間話に耳を傾けている方が何倍も気が楽だった。……そして更に辟易する事に、質問は説教へと変化を遂げた。
「前々から思ってたんだがな、お前さんは、もうちっと楽しそうにしたらどうだ? 」
さほど強くはない酒も、量が嵩めばもちろん酔いは回る。微妙に舌の回らなくなっているパウじいは、僕に対して無茶な事を言い出した。
「そうよねぇ。私もね、最初に見た時から、旅行に来てるのに何でこんなに生真面目なのかねぇって、不憫に思ってたのよ。」
ミリアさんまで勝手な事を言ってくれる。不憫って何ですか? 不憫って!?
「何言ってるんですか、僕は僕なりに楽しんでるんですよ? ヤハクとジャングルを探索するのは楽しいですよ? 珍しい植物のデータを取って、知らない事を知り、それを元に考察する。ほら、楽しいじゃないですか?」
「……そりゃ、少数意見だね。ここじゃそんなお偉い事に夢中になる子はいないよ?」
彼女は軽く眉を寄せ、あっさりと言い捨てる。
「酷いですね。」
「酷いったって、奇特なんだからしょうがないだろう? まぁ確かにヤハクはやたら詳しいけど、あの子は色々やんちゃもするからねぇ。あんたみたいに一辺倒じゃないよ?」
」
……一辺倒って。
ここに来て色々な事を経験して、自分でそう自覚もしたが、こうして直接面と向かって言われるのはかなり堪える。
「こっちだって、どうしてあなた方がこんなに構うのか分かりませんよ。酒のせいですか? いや、そうじゃないですよね? ここの人達って、最初から馴れ馴れしくないですか?」
「ここじゃそんなもんさ。分からんから知りたい。それが当然だろう? お前さんこそ酔っとるだろう? 今日はよく喋るじゃないか。」
パウじいはそう言って、人が悪い笑い方をしてくれる。
「プライバシーって言葉知ってますか? 何でもかんでもズケズケ訊けば良いってものじゃないんですよ? それに、勝手に鍵開けられるようにするのは、やっぱりどうかしてるでしょう?」
「硬いねぇ、『夜這い』って文化知らないのかい?」
僕の正当な抗議に、彼女は妙な事を言い出して論点をずらす。文化? それは文化なのか???
「そ、それは大昔の話でしょう? それに、普通男女が逆ですよね?」
「不自由なこったねぇ、男だ女だって、どっちだっていいじゃないの。あんたの星は、どうせ人は人だとか、関心が無いとかで隣近所にどんな人が住んでるかも知らないんだろう? あんたを見てるとそんな気がするよ。」
「だって仕方がないでしょう!? 本当に知らないんだから!!」
彼女の言った事は事実で、隣りに住む人なんか知らない。いや、感心もない。完璧な防音の壁は、隣に暮らす人の気配など感じさせず、存在すら気にならない。
思わず叫んで、それに自分で驚いた僕は、自分を誤魔化すためにカップを一気に傾けた。不満? 不満なのか……たぶんそうなのだろう。ここに来て、これまでの生活との違いに色々と驚かされた。そして妙にその事が楽しかったのは本当だ。
空になったカップを置くと、すかさず長が直々に酒を注ぐ。
「機嫌の悪い顔をしとるなぁ?」
「そりゃぁ、あなた方が次から次へと酒を注ぐからですよ。」
「何を言う、フレッドが断らんからだ。まぁここじゃ酒を断るような殊勝なやつはおらんがな。」
彼はそう言って豪快に笑い、更に続ける。
「人間酔っ払うと本音が出るだろう? 酒は憂いの玉箒ってな、これが酒宴の醍醐味さな。」
意外な事を言われて目を丸くした僕を、二人は遠慮も無く笑ってくれた。
知る訳が無い。今まで僕はこんなに酔っ払った事なんか無いんだ。過ぎたるは猶及ばざるが如しって言葉を知らないのか?