死んだ後の世界
二日後の夕方、約束通りコテージにヤハクが迎えに来た。
『秘祭』という響きから、もしかしてガチガチの民族衣装でも着ているんじゃないかと期待して、その反面危惧もしていたのだが、普段通りのTシャツに短パン姿のヤハクを見て、密かにホッと胸を撫で下ろした。もし一人だけ普段着という状況ならば、あまりにも目立ってしまう。かと言って、逆に半裸でしかないあの衣装を自分が着るのにも、かなり抵抗がある。レストランのショーで見た男達は立派な体躯で見栄えがしたが、自分の体であれとなると目も当てられない。
「ひょっとして、何かまた妙な事考えてた?」
不意に声を掛けられて、びくりとしてヤハクを見た。木々に囲まれた道を先導していた彼は、思いっきり疑惑の目を僕に向けて、呆れた様子を隠そうともしていない。
「いいや、別にそんな事は……。」
まったく、相変わらず利発で鋭いな。
「そう? まぁいいけどさ。別に怖い目になんか合わないから、そう心配しなくていいよ。あぁでも、大人は大変かもしれないな。」
「はぁ? 何が大変だって?」
「内緒。あ、その道こっち、墓地の前の広場でやるんだ。」
気になる事をこぼした彼は、僕が一度も通った事の無い道を進む。以前二人でこの辺りを通りがかった時は「そっちに用は無いからこっち」と、違う場所に案内された。なるほど、こちらは墓地に向かう道だったのか。『先祖の弔い』と確かに言ってはいたが、まさか直接墓地の前で行われるとは思ってもいなかった。
とはいえ、僕には墓地という場所に馴染みは無い。
僕達の常識では、葬儀が済むと亡骸は分解される。人間も自然界の一部であるという考えから元素の塵に還るのだ。亡骸では無く思い出の中で故人を偲ぶ。人の意識、魂とも呼ばれるものが抜け、動かなくなった亡骸は所詮ただの入れ物にすぎない。だから、僕の住む星には墓地という土地は存在しない。無論これがスコラティクスプラネタだけの考え方だというのは知っている。だからなのだろう、スコラティクス・プラネタの人間はドライだと言われてしまう。
この辺りではどう弔うのだろう? イメージとしては土葬が似合うが、衛生面や土地の利用法の問題で今時そんな事をしている場所はさすがに無いはずだ。
そういえば以前、腐乱した死者が起き上がり人を襲う大昔のパニック映画を深夜にやっていた。僕にはその内容がよく理解出来なくて、つい最後まで見てしまい翌朝起きるのが非常に辛かった覚えがある。
何故死体が動き回れるのかという点は、ファンタジーに属するので構わない。死者の亡骸が、葬儀の後も腐乱するほど長い時間存在している事に驚いたのだ。
大事な人が徐々に腐り朽ちていくなんて事は、とてもじゃないが考えられなかった。その時は愕然として、理由を知ろうとモニターを食い入るように眺めていたのだが、分からないまま映画は終わってしまった。後日、この映画が作られた当時は『土葬』という方法が一般的である事を知って、僕はやっと納得した。文化の違いなのだと。
墓地へと続く道は映画の世界とは違い、明るくきちんと整備されていた。道傍には花が植えられ、むしろ他の場所よりも素晴らしい。
木々が開け広い場所に出ると、既に多くの人が集まり広場はざわついている。広場の向こうは一段高くなっていて、そこへ上がる階段が設けられており、その階段を上がった両脇に白くて四角い大きな柱が立っていた。何かしらの彫刻が施されているように見えるが、遠過ぎてここからでは詳細までは分からない。
「なぁ、あの白い柱は何なんだい?」
ヤハクに尋ねると、彼は待ってましたとばかりに嬉しそうに話し出す。何となくそんな気はしていたが、やっぱり彼は人にものを教えるのが好きなのだろう。学者を目指しても実験や証明だけにのめり込む先生にはなりそうに無くて、少しばかり安心した。
「あぁ、あれはね『神の門』って呼ばれてる。あの柱より向こうが墓地になってるんだ。」
神の門? 何とも神秘的な響きのある言葉だ。だが『神』と言う言葉は漠然とし過ぎてよく分からない。
「それはどういう物なんだい?」
「うん? あぁ、ここでは死んだらあの門を通って神の世界、つまりあの世に行って、いずれ精霊になるって言い伝えられてるんだ。」
何、精霊?
懐かしい言葉ではあるが、まさかこんな所で聞くとは想像もしておらず、一瞬思考が停止しかけた。
僕はこう見えてファンタジーが大好きだ。現実は証明出来る事、実践出来る事が尊重され、回りは競争社会のライバルばかりだった。だから本の不思議な世界に夢を求めた時期がある。
サラマンダーやシルフ、ウンディーネ、ノーム、フラウ、ウィル・オー・ウィスプにシェイド。証明出来ない不思議な者の存在する物語や、ゲームの世界のキャラクター達が僕の頭の中に甦った。そしてその時のワクワク感もじんわりと心の中に広がっていく。しかし、いやいやまさかそんな事は無いだろうと、その考えを否定する自分もいた。
「……ここの精霊って言うのは、どんなイメージなんだい?」
「イメージ?」
期待半分、疑い半分の質問に、彼は眉を顰めてしばらく考え込んだ。僕はそんなに答えにくい質問をしてしまったんだろうか? だがどうしても訊きたかった。そうしなければ僕は、子供の頃の夢が実在すると信じてしまう。そして都合の良いイメージを抱いたまま帰る事になってしまう。
「うーん、そうだな。自然に溶け込んで……どこにでも居て、それでいて姿は見えない? 花から生まれて、そのうち他の魂に変化していく……とか言われてるけど。」
僕の読んできた話の世界とは大きく異なるけれど、それはまさに夢の世界と言うべきだろう。世界には自然の一部たる精霊達が溢れている。しかもそれは人……いや、すべての魂の生まれ変わりだという、そしてそれは魂の種でもあるのだ。なるほど、精霊というのは、いわば輪廻転生の浄化期間といった所だろうか?
人の信仰と死の概念、そして世界との繋がり。これはとても興味深い思想だ。安易に物語やゲームと一緒にした事を、僕は申し訳なく感じた。
「でも、信じてるかどうかってのは別の物だよね。」
だがしかし、ヤハクは一切の容赦が無い。……おいおい、それを言っては台無しだ。彼の語った話にかなり引き込まれていた僕は、無理やり現実に引き戻された気分になった。
さすが科学の時代と言うべきだろうか? 夢物語が子供にこうも否定されるとは。いや14歳を子供と言ってしまっては、確実に彼の気分を害するだろう。
だが、ヤハクだけがどうだと言うのでは無く、本の世界に憧れを抱いていた頃の僕も、それが作り話であると分かっていたからこそ、信じられない不思議な世界の中に夢を見ていたのかもしれない。
…そう考えると、我ながらなんて可愛げが無い子供時代だ。
やがてざわついていた空気が静まり、人の輪の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「そろそろ始まるみたいだ。もう少し前に行こう。」
それにすぐさま反応したヤハクに、僕は否応無く腕を引っ張られて、輪の形に集まった人々の最も内側にまで連れて行かれた。つまり一番前という訳なのだが……いいのか? 僕は完全に部外者だぞ?
こんなに堂々とした場所に連れて来られるのは、小心者には居心地の悪い気分しかしない。そして、目の前で話しをしている人物を見て身の引き締まる思いがした。聞き覚えがあるのは当然だ。首に仰々しいほどの飾りを下げて、先祖への感謝の言葉と、この祭りの開始を宣言しているのは、通い慣れた商店の主であるパウじいだ。
「パウじいはここの長なんだ。」
横のヤハクからすかさず解説が入り、始めに抱いた風格の理由に納得が行った。話を終え、中央から立ち去る前にぐるりと周囲を見回した彼は、一度視線を僕で止め、意味ありげににやりと笑った。
その理由は図りかねるが、その行動で『部外者』がここにいる事の遠慮はかなり軽減された。僕がここにいる事を長は否定しなかった。それは何かを認められたに等しい。それがパウじいの気遣いだというのは分かる。だが、それだけが理由であるようには思えないほどの含みのある笑は、僕をやたらと妙な気分にさせた。