秘めたる野望
目に付く色で多いのは、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……この色の具合は、まるで光のスペクトルのようだ。
また、濃い色ばかりではなく、合間には柔らかく淡い色合いの葉も見える。ここの木々には、葉緑素に代わる何かが細胞の中にいるのだろうか? いや、それどころか、この考えは固定概念で、まったく別の組成をしているのかもしれない。
「ねっ、凄いでしょ? たぶんここは、テラフォーミング以前の植物が、そのまま残ってるんじゃないかって考えてるんだ。でね、俺はここを『カラフル・ガーデン』って勝手に呼んでる。……でもこれだけじゃ無いんだよね。」
ヤハクは驚くべき仮説をさらりと口にして、また得意そうな笑みを浮かべた……のだが、そこにやたらと違和感があった。
一つ補足しておくが、別に彼のネーミングセンスにではない。
「……なぁ、声が違わないか?」
そう、彼の声がほんの少しばかり低く聞こえた。間違いなく気のせいでは無い。現に今も、自分の声に違和感を抱いている。
「うん、そうだよね。ここの空気は外と少し違うみたいなんだ。」
彼は僕の指摘をあっさりと認めると、入ってきた亀裂を指しながら先を続ける。
「最初に見つけた時にぐるっと回ってみたんだけど、ここは円形の空間になっててね、あそこしか外に繋がる場所は無いんだ、たぶん。」
「円形?」
思わず振り向いて壁面を見ると、橙の蔦に盛大に覆われてはいるものの、その下に覗く白い壁は平坦で、明らかに人工物にしか見えなかった。そして彼の言う通り、壁面は緩やかな弧を描いている。
僕は今迄、このあまりの光景に驚き、ここがどういった場所であるかという事までは考えが回らなかった。
……この場所は一体何なのだろう? 誰がこんな所に、こんな空間を作ったのだろう?
ここの植物達は手入れがされている訳でも無く、延び放題になっている。人工的な壁は剥がれ落ちてこそいないが、十分に劣化し、様々な色と種類の蔦に蹂躙されている。その事から見ても、ここが完全に忘れ去られた場所である事は、想像に難くない。
「うん、丸い空間。天井には光がそのまま差し込んでるけど、何か透明な屋根があるんだよね。」
「屋根?」
見上げれば確かに天井だ。手を伸ばした所で届きもしない、遥かに高い天井は透明で、幾分汚れた箇所も見受けられるが、空の青と白い雲がゆっくり風に流されているのが、しっかりと見えている。
しかし、ここでは風をまったく感じない。完全に無風の状態だ。今の所、僅かにでも空気の流れを感じる事は無い。
……空気?
そうか、空気が違うからか。ここの空気もテラフォーミングの前の状態なのかもしれない。そしてこの空気を作っているのがここの植物で……地球基準の空気と違うから、音の伝わる速度に違いがあり、音が低く聞こえてしまうのかもしれない。
テラフォーミング以前に派遣されたはずの先遣隊も、僕と同じ違和感を抱いたのだろうと推測される。だから、居住可能の大気にもかかわらず、自然の生態系を守るべきだという反対派の意見を押し切ってまで、テラフォーミングを敢行した?
……なるほど。
実際の所、この仮説が正しいのかどうかは分からない。しかし、これなら辻褄は合うはずだ。
思わぬ所で、抱いていた疑問に納得が行ってしまい、全身に鳥肌が立つ。しかし、まだ重大な懸念が1つと、とてつもなく大きな1つの謎が生まれた。
「ヤハク? ここにいて平気なのか?」
「何が?」
「おかしいのは声だけかい? 今は平気だけど、長い時間いると息が苦しくなるとかいった事は無かったかい? 頭がぼーっとしたり、手足が痺れるなんて事も?」
そう、大気の組成の違いが人体に与える影響。
……これが懸念した事だ。
居住可能な空気というのは、あくまでも昔の記事を探して読んで得た知識でしかない。その空気が引き起こす現象を、今初めて知ったのだから、まだ他に何らかの影響が出たっておかしくは無い。
「さぁ? ずっと居たらわからないけど、半日くらいなら何でもないけど?」
「ここを見つけたのはいつ?」
「うーん、3年くらい前かな?」
「ここに来るのはどのくらい? 特に体に変化はないかい?」
「最近はフレッドと一緒だから、来てなかったけど、それまではよく来てたよ。でも別に異常は無いよ? そう心配するほどの事じゃないと思うんだけどな。」
「いやしかし、長期的な影響も判らないし……。」
現在、彼を含めたここに暮らす人々は、テラフォーミングが施され、地球と同じ組成の空気の中にいる。あの亀裂程度では、耐性があるなんて事は想像しにくいが、最悪の事態は常に考えておくべきだ。そしてその最悪の事態は、耐性のあるヤハクには何の影響も無く、一切耐性の無い僕はそれこそどうなるか……想像したくも無いという事になる。
「フレッド心配し過ぎ、考え過ぎ。そういうのは、この先僕が調べていくから、先にやらないでよ。……フレッドって、こういう事になるとよく喋るよね。本当にバランス悪過ぎ。」
……一回りも年下の子供に、呆れ顔で溜息を吐かれた。
だが、呆れられても溜息を吐かれても、これが僕の性格である以上、どうしようも無い。いや、そんな事よりも注目するべきは彼の台詞だ。
「ヤハクは、ここの調査をしたいのかい?」
僕がバランスの悪い人間だって事は、自分でよく分かっている。それよりも『この先僕が調べていく』と言った事に驚いたのだ。
「そうだよ。だって俺が第一発見者だしさ? 自分の手で調べてさ、それを世間に公表してさ、ドーンと驚かせてやりたいって思わない?」
だから彼はこの年で、こんなにも色々詳しく、更にもっと詳しく調べるために、僕に興味を持ったのだろう。
そもそもヤハクと僕は、金銭の絡む関係である。しかし、僕はそれでもいいと思えるほどに彼に信頼を寄せている。彼が教えてくれた事は、ここや植物の知識だけではない。彼と行動を共にする度、僕がいかに狭い世界で暮らしていたかという事を、まざまざと突きつけられた。そしてこうも思う。結局は利用されているのかもしれない。しかし、こういう形でならば大歓迎だと。
僕が彼に返せる事があるのなら、何だって教えたい。そう、心から思う。
「だから、まだ誰にも内緒なんだ。俺がもっと大きくなって、色々学んで、ここを本格的に調査出来るようになってさ、反論出来ない程の論文でも書いて、世界をあっと言わせたいんだ。証拠所か実物はここにある訳だから、後は俺が立派になれば良いだけでしょ?」
とてつもなく大きな事を平然と言い切った彼に、僕は言葉が見つからなかった。
「世紀の発見の栄誉は渡さないよ? 歴史に名を残すのは俺だからね?」
何て怖いもの知らずなんだろうと、正直思った。でもその反面、その無邪気で自由な心をとても羨ましく思う。
「……ヤハクの夢は大きいんだな。」
「夢? 夢なんかじゃないよ。これは野望だよ。」
「野望? ……僕はたぶん夢までだな、野望なんか抱いた事無いな。」
薬を完成させる事は、実際『夢』なのかどうかすら甚だ疑問だ。『幼い頃からの刷り込み』だという可能性は、やはり捨てきれない。今では『意地』と言い換えても構わない。
でも、夢と言った方が少しだけ気分が軽くなるような気がして、僕はこちらの言葉を選んで使った。しかし彼の考えは、僕のそれとは真っ向から対立する。
「うーん、やっぱりさ、大きい事言っておいた方が、何か格好良くない? 夢って言うと、かわいらしい感じがするし、結局叶いそうに無い気がするんだよね。でもさ、野望って言えば、スケールでっかくて、意地でもやり遂げてやる! って、気になるでしょ?」
本当に彼と僕は、まったく違う。
「そっか、……そうだね。」
生意気そうに不適に笑う彼の姿を、僕は心中で賞賛しながら眺めた。だから僕は、彼にこんなにも惹かれるのだろう。プラスとマイナスが引き合うように、眩しいばかりの彼を、僕はとても好ましく思う。
……っと、誤解しないでもらいたいが、もちろんこれは、友人としての話だ。