秘密の場所
翌日、僕は何事も無かったかのようにヤハクの家に顔を出した。
もちろんシャファンに会えば気まずい思いをするのだろうが、ミリアさんの彼女に対する信頼のおかげで、嫌悪の感情は随分薄まった。
……ただ、あの言動が何だったのかは、まるで解らない。そして、もし顔を会わせた時に絶対に訪れる気まずい思いを、どうやってやり過ごせば良いのかも分かっていない。
もう、なるようになれ。最終的にそんな気分でこの家を訪ねた。そんな事を倦厭して、彼女の弟に会うのを止めるのは、違うような気がする。
実際、病み上がりのヤハクはとても元気で、一緒にいると元気を分けてもらえるような気がした。彼は年下だがここでの師であり、放っておけない弟のようであり、良き友人でもある。やはり僕には、ヤハクに会わないという選択肢は無い。
「今日は特別な所に連れてってあげる。」
いつも以上の勢いでそう言った彼は、余程取って置きの場所なのか、秘密を打ち明ける前のワクワクする思いが、すべて顔に出てしまっている。ほら、こういう子供らしい所が可愛いんだ。
こうして短い時間に物事は決定し、僕達は『特別な場所』のあるジャングルへと、向かう事になった。結局この間にシャファンは姿を現さず、僕の憂鬱が杞憂に終わった事を、正直ホッとしたのは言うまでも無い。
相変わらず、前を歩くヤハクには感心させられる。
何が目印なのか僕にはさっぱり分からないが、彼はまったく迷う事無く、ひたすら緑の木々の間を目的の場所へと向かって進んで行く。そして、かなりの樹齢がありそうな、大きな木の所までやって来ると、ヤハクは得意そうな笑みを浮かべて振り返った。どうやらここが目的地であるらしい。
「この奥なんだ。」
奥? 言われて良く見れば木の根元に近い場所には、ぽっかりと黒い虚が口を開けている。そこに彼は躊躇無く潜り込み、中から僕を手招きした。
ぎりぎり通れる程度の穴に頭を突っ込んで中を覗くと、急にライトを向けられて眩しかった。
当然抗議すると、「だって、お約束だろう?」と笑っている。『お約束』って何だ? と思いつつも、冗談である事は何となく分かる。僕個人としては面白く無いが、怒るのも違うのだろう。
多少苛々しながらまだ湿っている木の内側に手をついて中に潜り込むと、カタリと木の音がした。
「ここから、下に降りられるんだ。」
そう、蓋らしき物を外して、彼が照らした場所には確かに穴が開いており、縄梯子が下ろされている。
準備が良いものだ、いやひょっとしたら秘密基地のようなものか? と、本から得た知識を参考にして考えていると、さっきまでとは違った真面目な声が狭い空間に響く。
「先に言っておくけど、ここは秘密の場所だからね。今まで誰にも教えた事は無いんだ。この先にびっくりする物があるけど、誰にも言わないで欲しいんだ。フレッドは約束出来る?」
急に変わった雰囲気に、僕は一瞬戸惑ったものの、
「わかった、約束する。」
と、やや改まって答えると、
「男同士の約束だからね、絶対破るなよ? もし破ったら日当倍にしてもらうよ?」
と、口元だけが笑っていた。
……これは本気だ。
穴の下は通路のようになっていた。岩壁から察するに人工的なものではなく、自然が作り出した偶然の産物のようだ。
所々に鍾乳石のようなものも下がっており、その下には滴った雫が石筍を育てている。いたる所で水の落ちる音がして、地上と違い肌寒く感じる。自分のライトを取り出して、あちこち興味深く眺めていると、ヤハクが満足そうに声をかけてきた。
「このくらいで驚いてちゃ駄目だよ? まだ取って置きのがあるんだから。」
「ここじゃないのかい?」
「違うよ、鍾乳洞なんか秘密にしたってしょうがないだろう? どっちかって言えば、公表しちゃって、新たな観光資源にでもした方がいいよ。」
確かに、僕は彼の意見を尤もだと思った。しかし僕の知る限り、現在この星の観光資料の中に鍾乳洞は存在していない。もちろん魅力のある景観であるとか、魅力的な鑑賞ルート、そして安全性などが揃わなければ、客を呼ぶ事は出来ないだろう。
しかも、今見える範囲に限って言えば地味な印象を受ける。
この場所、あるいは他に存在するかもしれない鍾乳洞は、存在を知られているかどうかも怪しいが、とりあえず商品価値を見出されてはいないのだろう。
「でも、この先がバレちゃうのは、まだ嫌なんだ。もう少し先まで行くよ。」
人事ながら、この星の観光産業について考えていると先を促された。『まだ』という言葉が気になるが、彼がさっさと足を進めるので僕は慌てて追いかけた。
それからしばらく進んだ先の壁面に亀裂のようなものがあり、その場所で彼は足を止めた。
「この向こう側なんだ。」
そう言うなり彼は、スルスルと器用に岩に足を掛けて上がると亀裂の隙間へと消えてしまった。この亀裂の隙間も、大人がやっと通れるくらいの幅で、しかも階段3段分くらい高い位置にある。隙間の向こうからは光が漏れていて、外にでも繋がる場所なのだろうかと予想した……のだが、岩に登り亀裂を通り抜けて見た光景は、僕の考えを遥かに越えていた。
正確には、暗い所に慣れた目が明るさに順応するのに少しばかり時間を要し、その間に再び念を押すように言うヤハクの声がする。
「ここは俺の秘密の場所だから、普通は絶対に誰も連れて来ないんだけど……フレッドには特別に見せてあげる。絶対他のヤツには秘密だよ。」
そして何度かの瞬きの後、ようやくを見えるようになった僕はまず自分の目を疑った。そうでなければ、夢でも見てるんじゃないかと本気で思った。
見えたのはカラフルな世界。
外のジャングルもなかなかにカラフルだが、緑の世界とも言える。
ここはそれとはまるで様相が違う。そこにある植物は外ではまったく見た事が無い。それどころか僕は今迄まったく見た事が無い。実物は言うに及ばず、好きで色々と眺めた図鑑や研究者のレポートの中でも見た事は無い。
『植物が緑色をしているのは、固定概念でしかない』と、思うほど自由な色に溢れた植物達が、大いに繁っていた。