白衣の天使ってヤツやな。
遅れまして申し訳ない!ようやくできました!!
突如、閉じたまぶた越しに網膜を焼いた強烈な白光。
それによって彼女は目を覚ました。
かるく頭を振って呆けた思考をクリアにする。
(なんや……ここ?)
全裸の状態で手術台に寝ていた彼女は、辺りを見渡す。
見覚えのない、しかしデジャヴを感じる部屋だ。
少し頭を捻るがここ数時間の記憶がない。
彼女は暫くうんうん唸って、はたと思い出した。
(せや、はよ村戻らな。『預言の災厄』が来ることは二人が伝えたはずだから、みんな逃げたと思うが……)
手術台から降り、出口を探しに歩き出す。
だが二歩進んだところで立ち止まった。
奇妙な違和感を感じたから。
(村?村ってなんや?俺の本拠地はここやろ?)
(『ここ』?どこだここ?)
(見たこともねえほどきれえな壁だ。しかも見慣れれた実験室の壁壁べや。は?実実験し実験しつってなんだ??)
猛烈な目眩を感じ、頭を押さえる。
そしてふと、己の手を、見たこともない手を見る。
その手はまるで、虎のような毛並みの手だった。
しかし人の肌がまだらのように見えている。
いや手だけではない、全身がそうだ。
(まてまてまて、俺こんな手やったか?人間の手の手のはずないから獣人でただしい……くないい?)
何かがおかしい。
動悸が止まらない。
世界が歪んでいく。
(帰らねえt、iやかえrない)
視界が、思考が、魂が歪む歪むゆがむ――――――――
(変える還らないかえかかkkっかあああkhsdf;jk‘b@qlkjへwふGぁslkんdひpaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa)
耳の奥、頭蓋の中で何かがちぎれた音がした。
ぐりん、と白目を剥き、鼻血と血ぶくを零しながら、虎の獣人だったソレは死亡した。
白い、ただ白い部屋に、赤が色を添える。
と、静寂を塗りつぶすブザーが鳴り、アナウンスが流れた。
『実験しゅーりょー』
白い壁、継ぎ目も何もなかったはずの場所に、入り口が開く。
そこから5人の人物が入ってきた。
「やっぱ適合せえへんかったか」
「シンクロ率14.41パーで強行したんや。当然やろ」
「見てみぃ、出来損ないのキメラみたいや……雌雄混ざっとるし」
入ってきた彼女たち、いつもの格好ではなく、清潔な白衣にマスクをした黒蟻たちは、口々に検証と考察を述べる。
全員同じ格好だが、一人だけ、先頭の黒蟻だけが片目に眼帯をつけておらず、虚となった瞳をさらしている。
「せやかておもろいな。記憶と人格に混濁が見れたやん」
「アウトォ!!」
最後に入った黒蟻が先頭の黒蟻に蹴り飛ばされた。
「エセ大阪弁使っとんちゃうぞゴラァ!!」
「ゴメンて。関西弁ムズいねんもん」
「シャアアア!!」
『関西弁』と口にしたとたん黒蟻(影分身)が真っ二つにされ、消える。
「『関西弁』ちゃう! 『大阪弁』じゃボケ!! 出直せハゲ!!」
「オリジナル~、言いたいことはわかんねんけど時と場合選ぼうや」
「アイツの携帯しとった資料、まだ入力済んどらんかってんで?」
「だいたい施設のあっちこっちに配備しすぎなんや。あんだけ分身したらクローンでも誤差出る」
「やかましい!!」
髪を振り乱して黒蟻は絶叫する。
なんというか、方言を真似してる人間を見ると無条件で殺意が湧くタイプなのだ、彼女は。
「もういい!もういいです!お前らもう大阪弁喋んな!! 聞いててイライラすんねん!」
「せやかて工藤」
「うるぁあああああ!!」
盛大にぷっつんした黒蟻は、絶叫しながらその影分身を斬り捨てる。
「俺あいつ大っ嫌いやねん! 最近はフツーやけど初期のころはホンマに酷かったんやからな!!」
「そういうお前は昔標準語のデスマス口調やったやんか」
「そこは触れんな! 若気のいたりや!!」
「はいはい……で?俺らはこれからどーしたらいいんデス?」
「ええ性格しとんなお前ら……」
額に血管浮かべながら、黒蟻は思考を回し、的確に指示を飛ばす。
「とりあえず今消えた二人のデータは俺もコピー持っとる。コレ持ってお前が入力行け。そっちのお前はこの実験体バラして部位ごとに浸けとけ」
「へいへい」「りょーかい」
気のない返事とともに影分身Aはデータの詰まったUSBを受け取り、影分身Bは足元の獣人の死体を袋に詰める。
「で? オリジナルのご予定は?」
「他の施設2〜3周してくる。あと魔王(笑)の経過観察」
振り向くことなく黒蟻はそう答え、廊下を歩く。
ここ、フロストの階層である第三階層、その一角に造られた『生命科学研究所』で。
ここは本来、『サイボーグ』や『合成獣』、『ホムンクルス』や『NPC強化改造』、『バイオ系SRパーツ』などを製作するために造られた施設だった。
そこへ黒蟻が忍び込み、なんやかんやした結果、施設のおよそ七割が腐界に沈んだ。
『汚れとんのは土やない、人の心や!』とか叫んで黒蟻は逃走、以後ちょくちょくと侵入してはヤヴァイ細菌やバイオハザード物質を産み出している。
ちなみに、この施設のところどころを侵食していた菌糸類は彼女のせい。
そしてこの度、トリップにより晴れてこの施設の主任として就任した彼女は、思う存分実験していた。
ちなみに、フロストが予め通達していたからスムーズにこうなったが、もしそうでなかった場合は少し彼女の手間が増えていた。
具体的には制圧とか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここは……どこでR?」
『ますらを芸術家』ダ・ピッホ。
彼は今、何もない空間にぽつんと存在していた。
(我輩は死んだはず……確かにあの時、『バンディット』に貫かれて…)
しかしどうだ、彼の姿はまっさらな状態に戻っている。
いや、それどころか現実での姿、爆撃を受けサイボーグと化した姿に戻っている。
いやいや、まだ生身の人間だったころの姿に戻っている。
しかしダ・ピッホは、そのことをおかしいと思わない。
(そうだ、教会を、芸術を作らねば)
何の疑問も持たずに、手にした筆で目の前のキャンバスに絵を描き始めた。
いや、果たして『絵を描いている』のだろうか?
いいや、絵ではない。絵を描くための『技法』を、『テクニック』を、『コツ』を『秘訣』を『真髄』を!
まるで己の内から吐き出すように、それらを使っているだけだ!
その証拠に筆はキャンバスの中心を這い続け、何度も色が重ねられてぐちゃぐちゃになっている。
(芸術を、作らねば。知識を呼び起こさねば。経験を吐き出さねば)
いつの間にか彼の隣には、石像を彫る彼がいた。
いや、その彼も『石像を彫っていない』。
まるで今までの彼の彫刻経験すべてを叩き付けるかのように、『石を削っている』だけだ。
(完成させるために。完全となるために。完璧であるために)
遠くには爆薬を作り、爆弾を設置し、様々な建物をあらゆる環境で爆破する彼がいる。
虚空に向かい、楽しげに喋る彼がいる。
大量の楽器でオーケストラの一団となった彼らがいる。指揮者も彼だ。
何故か好物の料理に舌鼓をうち、その時の感情を鮮明に思い出している彼がいる。
仲間を失い慟哭する彼がいる。
芸術史を思い出せるだけ高速で本に書き込む彼がいる。
その中心にソレはたたずむ。
やがて、彼らのすべての活動が完了する。
彼の、ダ・ピッホの人生の再現が、模倣が完了する。
そして彼は、もはやダ・ピッホではない彼は、ソレの前にひざまずく。
そして開いた口からは、ダ・ピッホと同じなだけの、別の存在の声が垂れ流される。
『冒険の書「ダ・ピッホ」の解析完了しました』
『この冒険の書を保管しますか?』
『保管が完了しました。この記録で冒険を続けますか?』
ソレが拒否を示すように首を振り、指示を出す。
と、ダ・ピッホの姿をしたモノが消える。
そして虚空に文字が、ドットで書かれた文字が流れる。
『キャンセルされました』
『「ダ・ピッホ」より「ダ・ピッホ(1)」を複製』
『「ダ・ピッホ(1)」を解体し、メインデータに統合します』
『統合完了』
『どうしますか?』
『続きから始める冒険の書を選んでください』
『……ロード完了』
『キャラを選択してください』
『ロード完了』
宙に浮かぶドット文字が消え、一人佇む彼女。
忌々しげに、そして悲しそうに舌打ちして、そこから消え去った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜も深まると書いて深夜二時。
生命科学研究所、その一室に、一人の人間と一人の死人と一個の物体がいた。
一人の人間、未だ白衣の黒蟻がめんどくさそうにホワイトボードを叩く。
「はい、今日はお前らに俺が『ラヴァーズ』での基本ルールを伝えます。てかこれ教えなまたお前ら殺されるやろうし。いちいち蘇生すんのめんどいねんで?とくに魔王(笑)」
ニヤリと笑いながら、黒蟻は一個の物体――――――サナギを見た。
そう、サナギだ。
様々なケーブルやチューブが連結し、常に状態をモニタリングされている、サナギ。
「……」
サナギは意識があるのか、少しだけ、身じろぎするように震えた。
そして黒蟻の前のパイプ椅子に座るのは一人の死人、つまりジャックだ。
「ルール……でございますか」
そんなものがあっただろうかと、ジャックは首を傾げる。
なんと言うか、ひじょーにというかtoo freedomなimageしかない。
「そうルールや。暗黙の了解やな。これ守られへんかったら後ろからバッサリや」
黒蟻はホワイトボードに書き込みながらルールを上げていく。
「ルール1、『ラヴに愛を偽らない』。ルール2、『ラヴの愛を疑わない』。ルール3、『ラヴの愛を奪わない』。ルール4、『ラヴの愛を拒絶しない』。んでルール5……これはラヴ以外の人間のみのルールやけど、『互いの愛を侵さない』」
振り返り、コンッとボードを叩く。
「この5つさえ守るんやったら『ラヴァーズ』で生活できる」
「互いの愛を『侵さない』……でございますか?」
「せや。例えばルリやったらまんま『恋愛』、フロストやったら『忠愛』。お前やったら……『親愛』やろか?」
腕を組みながら黒蟻は答える。
「この『ラヴァーズ』はな、まんまラヴの『恋人達』なんや。いやむしろ『愛人達』やろか?せやからお互い要素かぶりはアカンねん」
「ほほぅ……もし破ると?」
「そらまぁ……なぁ?上記四つはラヴがキレて、最後の一個は潰し合いやな。ちなみにフロストはまた別の理由でお前を狙ったんやけど……まぁ許したってや、あいつアホやし」
「HAHAHA!! 別に気にしてないでございますよ。むしろあれくらいがいじらしくて可愛い気があるでございます」
「寛大やなー。他に何か質問は?」
「少し関係のないことでもよろしいでございますか?」
「かまへんけど?」
「では……」
少し前置きし、
「ワタクシの予想ではあの女もしくは月光くん、そのどちらかが絶対に死んでいるはずなのでございます。むしろ死んでなければ『おかしい』のでございます。というかそもそも、何故あの『二つ』が恋人同士になったのでございますか?」
ジャックは真剣な様子で尋ねた。
「あー、それか……」
黒蟻は、『夏休みに親から成績表を提出せよと言われた』という風な、『来たか……ついに来ちゃったか…』みたいな顔をした。
「そのくだりフロストから聞いたんちゃうん?」
ひどく面倒臭そうな黒蟻。
「聞きましたでございますが……要領を得なかったもので……でございます」
「んなもん俺もようわからんのに……」
黒蟻は言葉を探す。
「まぁ一言に纏めたらや……」
「纏めたら……?」
やがて言いにくそうに、彼女自身納得していないといった体で言った。
「『愛の奇跡』やな」
「「……」」
部屋に『なんだそりゃ』という空気が流れる。
「なんであんな全面戦争からああなったんかさっぱりわからんし、話聞いても意味不明や」
腕を組んで首をかしげながら当時のことを思い起こす黒蟻。
「ただ……あの二人はガッチガチに共依存しとる。溶鉱炉にほり込んで混ぜたみたいに分離不能や。んでもし片方でも欠けてもうたら……かなり不味い」
「どっちが殺んでも、この世界が最悪滅ぶ。こんなカンスト能力もった今ならなおさらや。極端な話、この『モンストロ』全力で暴走させるだけで国の数個はかるぅーく消えんで?な、魔王(笑)」
にやりと黒蟻はサナギに声をかける。
「……」
「おやおや……」
サナギは特に反応を返さず、ジャックは目にあたる穴をスッと細めた。
「ま、ともかくあいつらメッチャラヴラヴやから、『勇者』だの『魔王』だのの、オカルトじみた話は気にせんでええで?」
「まぁワタクシもオカルトは信じない方でございますが……」
ジャックはそう前置きしてから、深刻そうに言う。
「『勇者と魔王』は、ワタクシこの目でいくつも見てきてるのでございます。様々な『世界』を旅しましたが「あーあーあー、」必ず『勇者と魔王』はセットで存在し、その結末はいつも「キシャァアアアアアアアアアア!!!!」Oh!」
突然黒蟻がシャウトかましてジャックのセリフを遮った。
「やかましわアホ。このクソ混沌とした『世界界』時代にンな細かいこと気にしとんちゃうぞ。だいたい、そうならんようにコッチで調節すりゃええだけの話やろ?」
ギロリとジャックを睨みつけながら、黒蟻は断言した。
対してポカンとしていたジャックだったが、すぐに楽しげに笑うと、それに賛同した。
「……フフ、Exactly! 素晴らしい意見でございます。あぁ、こういう時に“老い”を感じますでございますねぇ!!」
と、そこでジャックはふと思いついた様子で黒蟻に尋ねた。
「ところで、どうして貴女はこのような講座を開いてくれたのでございます?ワタクシとしてはとてもありがたく、またためになったのでございますが、貴女のような研究者はえてして他者を導くのを厭うものでございます」
「ん?そら愚問っちゅうヤツやで」
黒蟻はその質問にニッと快活に笑い、
「お前は俺らからしたら新参やけど、ラヴと古い付き合いがあって、俺らに対して馴染もうと努力しとる」
組んでいた腕を解き、
「せやから、呼ばれりゃ絶対来る思とった」
腕から生やした大鎌でジャックの首を刎ねた。
「ルール6。『仲間内でも油断すな』、や」
ギィと顔を歪めて笑いながら。
ぽーんと上に飛び、すとんと落ちてくるカボチャ頭。
それをジャックは片手キャッチした。
「……あのー、これは何のつもりでございます?」
そのカボチャ頭を左手に持ったまま、彼は右手でカボチャの頬をカリカリと掻く。
「んー、研究者らしい好奇心からくる確認作業?」
黒蟻も大鎌を腕の中にしまいつつ返答する。
「ワタクシに聞かれましても……でございます」
黒蟻の小首を傾げながらの言葉に戸惑いながら、ジャックはカボチャを胴に合体させる。
くき、コキ、と軽く首をひねり、「フゥ」と一息。
「それで、何かわかったでございますか?」
首を刎ねられたというのに、彼は全く変わらない調子で話を続けた。
いや事実、彼にはこの程度のことはさらりと流せるのだ。
「おぅ、これではっきりした。フロストがお前を殺られへんわけや……お前、その身体もう要らんやろ?」
にやにやと笑いながら、黒蟻は虚ろな眼窟の闇でジャックを見た。
正確には、ジャックの座っている辺りを見た。
その眼窟と目を合わせ、ジャックはフムと手を顎に当てる。
「ふむ……その目、魔眼でございますか」
魔眼。
魔眼。
あなたの過去に向かってもう一度。
魔眼ですって奥様。
途端、黒蟻は耳まで真っ赤になった。
「あ、やめろ、ホンマそれやめろ! 魔眼言うな痒なるやろ!」
「カッコイイでございますよ? ウズいたりするのでございますよね? 何かの使命を背負ってらっしゃるのでございましょう?」
「ぐぁああああ!!ひ、人が、人がせっかく忘れとった事実をぉおお!!」
胸にナイフを突き込まれたかのような、頭に腕を突っ込まれたかのような、痛みのような痒みのような症状が黒蟻を襲う!薬はない!
そしてジャックは、『あれ?そのカボチャそんな邪悪な笑顔だった?』レベルの顔で追撃をかける。
いつも穏やか(?)な飄々とした態度を崩さないが、彼はそもそも悪霊だ。
これでも昔はロンドンを恐怖のドン底に叩き込んだり、忠臣をそそのかして主君の嫁を寝取らせたり、冒険者の膝に矢を射かけたりと結構えげつないことをしてきた。
こういう時はその悪癖が出てしまうのだ。
「そういえばいちいち必殺名を叫んでみたり、『死ね』だの『殺す』だの頻繁に口にしたり、うん、カッコイイトオモイマスヨ?」
「っっっ~~……!」
もはやリンゴのように赤くなり、無言で刀を腕から生やす黒蟻。
「武器ガ刀ナノモカッコイイー」
「死にくさりゃぁあああああ!!!」
「Woops!」
突き出された刀をジャックは回避しかけ、すぐに右腕を突き出し、その刀を丸ごと包むように腕の中に刺し込んだ。
そのうえでさらにその右腕を左手のメスで切り落とす。
その途端、刀を包んでいた腕が、ドロドロと溶けていく。
「チッ」
黒蟻は舌打ち一つすると、刀に纏わりついたドロドロしたナニカを振り払う。
「聖水の湧き出す刀とは……恐ろしい武器でございますね」
ジャックは肩の傷口を、黒蟻に見えないように手で遮る。
そしてそのまま下へと降ろしていくと、なんと、傷口ではなく腕が、手が、指先が現れていく。
一瞬にして元通りになったジャック。
彼はそのまま周囲にメスを投げつけ、飛んできた苦無を落としていく。
壁が布のように剥がれると、そこには苦無を数本構えたままの黒蟻(影分身)が三人。
「HAHAHA!からかい過ぎたのは確かでございますが、ここまで武装を用意されておられたとは予想外でございます!」
笑いながらジャックは袖の中から新たなメスを取り出す。
対し黒蟻は目を細めてジャックを睨みつつ思考する。
(完全死角から攻撃したんやけどな。それに初見で仕込み刀を見切りおった、どんなカラクリや?)
とりあえず、今度は白衣の内側に仕込んだ苦無数本をつかみ取り投擲する。
うち二本は広範囲に強烈な『浄化』効果のある霧を噴霧するものだ。
さらに後ろからは先ほどの影分身が追撃にかかる。
「フム……」
ジャックは、先ほどと同じくメスを投げて苦無の軌道を封じる。
そしてジャックは、加速した。
さっと立ち上がりパイプ椅子を閉じる。
閉じられたパイプ椅子が倒れていく。
銀色の光が軌跡を描き、影分身たちが切り倒されていく。
一人目が煙となって消え、その間に二人目が手足と首を胴体より切り離される。
二人目も煙になるのを見て、ジャックは最後の一人は手足のみ切り落として胴体を蹴り飛ばす。
未だ宙に浮いたままの腕を掴み、先ほど投げたメスを追い抜いて二本の苦無をその中に埋め込んだ。
最後に、倒れきっていないパイプ椅子をもう一度開いて先ほどと同じように座った。
余裕たっぷりにチッチッチッと指を振っている。
手にした影分身の腕、その断面から覗く二本の苦無の持ち手を伝い、聖水がぼたぼたとこぼれ出ている。
その姿をじっと黒蟻は観察する。
(高速戦闘タイプ、本体に攻撃せなあらゆるダメージは即回復。聖水は警戒しとるみたいやな。せやけどこんだけやって向こうには未だ戦闘意思なし……んで?どうやって聖水入りの苦無だけ見切ったんや?)
思考を読んでいる?
おそらく違う。
それならば最初の刀はもう少しうまく対処できたはず。
さらに言うなら飛んできた苦無全てをメスで迎撃する意味がない。
ではどうやって?
「……やめや」
いろいろ考えたが直に見てもジャックには謎が多い。
(うまく行けば、殺せんでも弱点くらいはわかるんちゃうか思とってんけどな~。瑠璃架あたりは何か知っとるんやろうけど……教えてもらうんは癪やし…)
「おや?もうよろしいのでございますか?」
「おう、カッとなっただけやし。まぁスッキリせえへんねやったら一発殴らせたんで?」
ちょんちょんと頬を指さす黒蟻だったが、
「いえいえ、女子供を殴るだなんてことはしませんよでございます。……あの、これどうすればいいでございます?」
ジャックはふるふると手を……正確には手に持った手を振り、カラカラと笑う。
ついでにその手をどうすればいいか聞いたところ、「その辺に捨てといて」との返答だったので、ジャックはそれを床に置いた。
この間、サナギは身じろぎもしていない。
「よう言うわ……てか話戻すで。お前、だんだん強なっとるよな?」
「おぉ!ご明察、でございます」
彼はいつの間にか手にしていた紅茶の香りを楽しみながら、楽しげに答える。
「ワタクシ、時間が経過するごとに完全復活していってるでございます。もしかしたら大昔にカボチャに封いゲフンゲフン……カボチャで休眠をとる前よりも強くなってるかもでございます。ちなみにこの体は、まぁせっかく月光くんが考えてくれたものですしデザインも悪くないので、向こう千年くらいこれでいこうかと……でございます。あ、お茶はいかがでございます?」
「ほー……え、てか元はどんなんやったん?あとお茶はええわ」
黒蟻は壁際にあったパイプイスを持ってきて、ジャックと向い合わせになるように座る。
「それは残念。元々一番初めはカブ頭のカカシだったんでございます。そこから流行を取り入れたりしながらいろんなところを彷徨いましたでございます。まぁ一時期めんどくさくなって全身真っ黒棒人間で過ごしたことも……でございます。あ、異世界旅行や時間旅行の経験は?」
「あるわけないやろ」
「長いこと死んでるとそういうことも多々あるんでございます。いいものでございますよ?若いのですから一度は体験することをオススメするでございます」
「多々あるんかい……遠慮しとくわ、世界飛び越えてまで旅行したないし。てか今まさに異世界に遭難中やし……あ、せや。知りたいことはもう一個あんねん」
「ほうほう、何でございます?なかなか有意義な時間でございましたから、知ってることは何でも答えるでございますよ?」
上機嫌に微笑みながら、ジャックは質問を促す。
“やっと本命か”と思いながら。
黒蟻は、一度だけ細く深呼吸し、“聞きたかったこと”を言った。
「あいつの精神疾患、あれにお前は関わっとるんか」
「……」
ジャックは静かに受け皿にカップを置き、それごと空中に置いた。
「それは……月光くんが人に愛を囁きながら、その人を拷問しカミカミするところでございますか?」
カボチャの中で、鬼火がゆらり揺らめく。
「ん?おいおい……」
黒蟻は呆れたように肩をすくめ、
「試しとんちゃうぞド腐れカボチャ」
真っ向からジャックを睨み据えた。
「こちとらあのアホンダラとどんだけつるんどる思とんねん。アレが異常でもなんでもない、ただの『異文化』でしかないことはこっちも理解しとんねん。俺が言うとんのはもうひとつの方や」
黒蟻は今でもはっきりと思い出せる。
自分の前で、痛い痛いと苦しむ月光の姿。
そして、自分にはそれをどうしようもないという無力感と焦燥感。
黒蟻はギリリと歯を噛み締める。
親友一人救えずして何が『森羅』だと。
ジャックは小さく呻く。
「……治ってなかったんでございますか」
「……止まっとるだけや。なんかきっかけあったら、また再発して暴れだすやろな。実際、フロストのボケナスがやらかしかけおった。まあ今取り返しとる最中やけど」
言葉の感触から、ジャックは無関係であると察し、黒蟻はパイプイスの背にぐったりともたれる。
そして天井の照明を眺めながら、ポツリと零した。
「ホンマやったらな、瑠璃架を手に入れた時点で全部終わるはずやってん。せやのに……」
昔言われた言葉が耳によみがえる。
『ねぇ有くん、君は僕の親友だよね?ずっと僕といてくれるよね?』
全身太刀傷だらけで、意識のない瑠璃架を姫抱きにした彼は、どことなく儚げで――――。
黒蟻は、有はぎしりと、血が滲むほどの力で拳を握る。
荒れ狂う思いを無理やり静め、有は、黒蟻は顔をジャックに向けて言った。
「『何か』があったんや。そこからあいつはぐっとまともになった」
「まとも……でございますか?」
「せや。自己犠牲精神が人並に戻った」
「おぉ!それは!!」
「おぅ、喜ばしいことやな。実際それまでひどかってんで?フォローすんのホンマだるかってんからな」
ひとしきり二人で喜びを分かち合いながら、黒蟻は続けた。
「それでもあいつの『愛』は治まらん。まだまだ飲み込むんを止めへん」
「ある程度は、普通の人間でもすることでは?他者を求める心は誰しもが持つものでございます」
杞憂では?というジャックに対し、黒蟻はなおも続ける。
「『ある程度は』、やろ。あいつの場合はそれに入らん。ルール1から4破ったときとかの反応からわかる。それに、俺、フロスト、瑠璃架。この三人に対してだけは相変わらず異常に執着しとる。たぶんこれからはお前も含まれんで」
「……それは、困りますね。死者に執着しても意味はないでございます」
どうしたものかと、しばし二人は無言で思考の海に浸っていた。
「はぁ……結局は対症療法しかない、か」
「今のところは、でございます」
そして最後に二人して重い溜息を吐いた。
と、そこでジャックは先ほど聞きそびれた疑問を解消することにした。
「ところで……『世界界』時代って何でございますか?」
「……お前いつ時代の人やねん」
一方その頃、魔王(改)は。
「……」
いつまた二次被害で死ぬことになるか戦々恐々としていたが、何事も起こらずホッとしていた。
自分の頭ぎりぎりに弾かれた苦無が刺さっただけだ。よかったよかった。
「さて、うっかり魔王(笑)に深いとこまで聞かせてもうた。ちょーっとくちゅくちゅして忘れてもらおか」
過去の痒みに、『ジヒ』。
用法容量を守って正しくお使いください。
ちなみに、作者の貧弱貧弱ゥな語彙力と表現力のせいで黒蟻くんが時々使う大鎌のイメージが湧かない方。
カーズ様やバオー、またはゾルル兵長のアレを思い浮かべてくだされ……。