第1話 一目惚れ(1)
ゴジック様式の教会。聖書の場面が描かれたステンドグラスが嵌め込まれている。荘厳な雰囲気を漂わせる礼拝堂。神を讃える美しい音律が、礼拝堂を静かに満たしている。
礼拝堂の後ろから五列目に座っている黒髪の少年。胸元に十字架があしわられ、足首に届くほど丈の長い白い衣を身に纏った少年が両手を組んでいる。彼の名はナシルで、この教会で暮らす見習い神官である。
ナシルは両手を組んで目を瞑って髪に祈っている最中、隣に座ったジュダが彼の肩を軽く叩いた。ナシルはそっと目を開けてジュダを見つめた。
「なに」
「あっち見て。今日も偉い方々がたくさんいらっしゃてるぞ」
ジュダは前方を指さした。ナシルは彼の指の先に追って、前に顔を向けた。礼拝堂の前の席には華やかな服装の人がたくさん座っていた。ナシルの席と礼拝堂の前の席は結構距離があるにも関わらず、高級感のある生地だと一目で分かった。
今日も貴族が多いね。
教会には貴族平民を問わずに平等に訪れることができる。しかし、今ナシルが属している教会は少し特別なところである。全教会で最も大きくて悠久の歴史を持っている上に、教会の頭と言える大神官がいるところで多くの人々が訪れたがるところであった。そのため、平民よりはお金持ちの貴族や偉い人がよくくる。
「いいコネができそう」
ジュダはすでに人脈を作ることを考えて興奮していた。ナシルは呆れたようにため息をついた。
「僕は興味ない」
ナシルは貴族や偉い人とのツテなどに興味なかった。それで再び目を瞑って祈ろうとした。目を閉じかけたとき、前に座っている一人の人物が目に留まった。華やかえ高級そうな衣服に紛れて黒いマントを被っている人が一人いた。
あの人は一体誰だ。
華やかな衣服の中に一人だけ黒いマントを被っているため、かえって余計に目立っていた上に、礼拝の時間にマントや帽子を被るのは礼儀に反する行為である。しかも最前列に座っている。案の定、これを黙って見過ごすはずもなく、神官がその人に注意を促した。
神官の注意にマントを被った人は小さく頷きマントのフードを脱いだ。そのため、マントのフードの下に隠れていた顔が顕になった。
雪のように真っ白な肌と絹のように滑らかな長い金髪が窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いている。サファイアのように美しい青い瞳とルビーのように赤い唇。誰もが振り返ってしまうほどの、美しい少女の顔が顕になった。
少女の顔を目にしたナシルは目が丸くなった。
「可愛いぃ・・・」
ナシルは思わず小さく声を漏らした。ナシルはマントの少女をつい見惚れてしまった。
今まで生きてきてたくさんの華やかな人を見てきたけど、あんなに綺麗な人は初めてだ。
ナシルはあの少女から目を離すことができなかった。色とりどりの豪華な衣服や宝飾品で華やかに飾られた貴族たちの中でも、全く引けを取らなかった。むしろ、周囲の人々を圧倒するほどの容姿だった。
あの人は誰なのか。名前は? どこ出身なのか。
ナシルはあの少女について気になってきた。あの人が知りたくなった。呆然と少女を見据えていると、ナシルの視線を感じた少女がふいに振り返った。そのため、ナシルと少女は目が合ってしまった。
少女は神官服を纏ったナシルを見て軽くお辞儀した。
い、今俺に・・・俺に挨拶したよね?
ナシルの心臓が高鳴り始めた。恥ずかしいけど周囲には自分のように少女を見ている人はいない。少女の挨拶は明らかにな知るに向けられているのだ。
ナシルは慌ててお辞儀で返した。ナシルの慌てる姿に少女はニコリと微笑んだが、ナシルは俯いていたためその微笑みに気づかなかった。ナシルは自分の挨拶に彼女がどんな表情をしているか気になったけれど、顔を上げて確認することができなかった。今少女の顔を見たら心臓が爆発しそうだったからだ。
はあはあこんな気持ち初めてだ。
脈が速くなり、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感じがした。ナシルは自分の胸を掴んで思った。
一度だけ・・・もう一度だけ見たい。
ナシルは顔を上げて少女の座っている方へ視線を移した。しかし少女は前を向いていたため少女の後頭部しか見えなかった。
一度だけ。もう一度だけ振り向いて欲しい。とナシルは心の中で祈った。鎌にまで祈りを捧げた。今前を向いているあの少女がもう一度自分の方を振り向いてくれるように、と。しかし少女が振り向くことはなかった。
やがて礼拝堂を満たしていた穏やかなピアノの音が止め、赤い色の十字架が大きくあしらわれた白い神官服を見に纏った白髪の六〇代後半に見える中年男性が舞台へと上がってきた。あの男は教会の大神官であるそして大神官が舞台に上がたということは、これから礼拝が始まるという合図だった。
「今日は牧者について話させていただきます」
中年の男が口を開いて語り始めると、全員の視線が彼に集まった。しかし、神官として恥ずかしいけれど、ナシルの耳に大神官の言っていることは聞こえなかった。ナシルの視線はただ一つの場所にだけ向けられていた。彼の全神経はマントの少女に集中していた。
あの人と近くなりたい。
ナシルはあの少女に一目惚れしたのだった。
礼拝が終わった後、ナシルはすぐにマントの少女の側へ行きたかった。でも、できなかった。まだ見習い神官に過ぎない彼に単独行動は禁じられていたからだ。礼拝の後は、見習い神官は定められた日課に従って動かなければならなかった。
ナシルは少女の座っているところを見つめた。一人で椅子に座っている少女の姿をできる限り目に焼き付けながら、礼拝堂を後にした。
******
時間は流れて夜になった。ベッドと机が左右の壁際にそれぞれ置かれ、対称をなしておりその間に小さな窓が一つある小さな部屋。それは教会でナシルが使っている部屋だった。ナシルはベッドに仰向けになりぼんやりと天井を見つめていた。
「ジュダどうしよう。僕好きな人ができたかも」
「はあ!?」
ナシルと同じ部屋を使っているジュダがバネのようにベッドから勢いよく飛び起きた。
「お前に好きな人ができたって?! お前にぃ?」
ジュダは信じられないといった様子で何度も問いかけた。ナシルはゆっくりと体を起こし、ベッドに腰掛けた。
「昼の礼拝で見た人だけど。その、一目惚れしちゃったみたい。何度も頭に浮かんできて、あの人のこと考えると他のことが手につかない」
「ヤベェ」
ジュダは驚きすぎて開いた口を塞がらなかった。
「お前に好きな人ができるなんて、夢にも思わなかった。どんな人だ」
「すごく可愛い人。今日の礼拝で最前列に座っていたけどーー」
「ちょっと、最前列だと?」
ジュダが手を前に伸ばして言葉を遮った。
「念の為聞くが、あの女貴族の中に座っていた?」
「うん。それがどうした」
「いや、あの人貴族だったらどうするつもりだ!」
「え?」
ジュダの怒鳴りに、ナシルは首を傾げた。
「貴族ではないんじゃないかな。他の貴族みたいに服装も華やかじゃなかった」
「いや、貴族の中に堂々と座ってたって言っただろ。平民が貴族の中で座れると思う?」
「・・・・・・」
ナシルは反論できなかった。ジュダの言っていることが一理あったからだ。
「俺は正式に神官になるつもりはないけど、お前は違うだろ。お前は神官になるつもりじゃん」
「けどっーー」
「まさか神官になるのを諦めるつもりか」
「それは・・・」
ジュダの問いに、ナシルは到底答えることができなかった。その点については全く考えていなかったからだ。ナシルは大きくため息をつき、ベッドから立ち上がった。
「僕もわかんない」
そう言ってナシルは部屋のドアを開けた。ジュダは首を傾げながら尋ねた。
「どこ行くんだ」
「ちょっと頭冷やしてくる」
ナシルは部屋を出た。廊下は長く伸びていた。一定の間隔で並ぶ大きな窓から月明かりが差し込み、ほのかに廊下を照らしている。
ナシルは廊下を歩き螺旋階段を上がって教会の外に出た。ナシルは屋根の上に座って空を仰いだ。無数の星が空に散りばめられており、今にも降り注いできそうだった。ナシルは夜空の星を眺めながら深いため息をついた。
「あの人は今何をしてるのかな」
お昼に出会ったあの少女のことが頭の中から離れなかった。今何をしているか。誰といるか。誰と何をしているのか。気になりすぎて気が狂いそうになった。
「神様一度でもいいです。ほんと一度でもいいですからあの人ともう一度会わせてください」
ナシルは両目を瞑り両手を組んで神に祈りを捧げた。
「叶うとは思わないんだけど」
礼拝に参加する貴族は礼拝が終わるとすぐ自分の領地に戻る場合が多い。あの少女が貴族なのか平民なのかはまだわからないが、多分昼の礼拝が終わってすぐ帰ったとナシルは思った。
「はあもう会えないのかな」
ナシルは思わずため息を吐いた。こんな気持ちは初めてだった。誰かを見て心臓が高鳴り、あの人のことが頭の中から離れない。あの人のことが気になりすぎて耐えられない。あの人のことをもっと知りたいと思ったのはあの少女が初めてだった。
「会いたい会いたい」
ナシルは胸の奥がじんと疼いた。あの少女の顔を思うと何故か涙が込み上げてきそうになった。ナシルは空を仰いでため息で涙をグッと飲み込んだ。
「あれ? 神官様?」
ナシルの背後から澄んだ声がひとつ聞こえてきた。優しくて愛しい声であった。その声にナシルは振り返った。
「あなたは・・・」
背後に立った少女の顔を目にした瞬間、ナシルの目が丸くなった。少女がパンと手を叩いて言った。
「礼拝前にわたしと目が合った神官様ですよね?」
ナシルは驚きのあまり返事もできずただこくりと頷いた。暗くて顔はよく見えなかったが、それでもわかった。今自分の前に立っているあの少女こそ、自分があれほど会いたいと願っていたあの少女に違いないと。
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