0話 プロローグ(前) ――枝を離れた、ひとつの祈り
それは、ルアが世界に名を刻むよりも、
はるか遠い時代の記録。
どこかの座標。
あってはならない力は、
まだ訪れていない時代から流れ着いたものだった。
――戦火の中。
炎に照らされた白磁の肌と、金の髪が揺れる。
「……はぁ、はぁ……」
床を叩く足音。
乱れる息を吐きながら、ローレンシアは走る。
黒き炎は、音もなく迫っていた。
柱を呑み込み、逃げ惑う影を無情に照らす。
彼女も気づいていた。
どこかから、視線が注がれているような気配――
彼女の金の髪は、焼け落ちる世界でもなお、
淡い光を放っていた。
身を包むのは、破れた礼装のドレス。
焦げた布地が揺れ、彼女は白い指で、静かにそれを抑えた。
(……見ないで)
天から注ぐまなざしが、そこに在る。
それが裁きのためか、
それとも……もっと歪んだ何かなのか。
この閉ざされた檻に安全な場所など最初から存在しなかった。
【——果実がまだ、"神の宝珠"だった頃——】
空は歪な祈りで覆われ、与えられた力で、人々は天を気取っていた。
あの時代——
命を宿された機体たちは、希望ではなく、罪を背負って生まれた。
地下深く、救いを求めた人々すら、罪の業火に焼かれた。
そんな終末の中。
ひとりの女が、最後の罪を抱えて、その場所へと辿り着いた。
それが、始まりの奇跡。
「……ローレンシア。生きてたのか……!」
その男。フェインは、目を見開いて声を漏らした。
金の髪をなびかせた女は、小柄な人間ひとり分ほどの、何かを腕に抱いていた。
「そ、それは……まさか!? 一体どうやって……」
「私は、絶対に認めない」
ローレンシアの瞳は、決意に満ちていた。
その身体は驚くほど華奢で、まるで風に揺れる一輪の花のようだった。
「だって……この子には、何の罪もないじゃない」
「……ダメだッ! 自分が何をしてるのかわかってるのか!?
"あの目"に見つかれば、君も、この子もただじゃ――」
フェインは、反射的に外へと視線を向ける。
天井のひび割れから覗く、黒い目のような穴。
無慈悲に、世界を見下ろしていた。
この地下に生きる者なら、誰もが知っている。
あの目に選ばれた者は、二度と、
この層界には還れない。
それでもローレンシアは、ただ一人。
何にも屈せずに、男の前に立っていた。
「なら貴方は、この子を見捨てられるの?」
「……君の心配をしてるんだ。
それにその子は……人間じゃない、だろ?」
フェインは、目を伏せた。
「この子が目を覚ましたら……
それでも、同じことが言えるの?」
「……!」
フェインの瞳が揺らぐ。
ローレンシアは、一歩も退かずに言い放った。
「もし、あなたが私を救うつもりなら……ここで、殺して」
「できないなら、もう去って。臆病者」
言葉が、フェインの胸を鋭く貫いた。
沈黙が、ふたりを包む。
「……はは……ッ!」
彼の肩が揺れ、苦い笑みが零れた。
(……臆病者か。確かにそうかもしれないな)
「……何がおかしいの?」
「いや、悪い。君って、本当に――勇敢な女。そう思ったのさ」
「君と並べば、勇者だって、臆病者に見える」
ふと、フェインは空を仰いだ。
見上げた先には、崩れかけた土の天井が広がっていた。
「……そんな、大げさな……」
ローレンシアは少し、気恥ずかしそうにした。
「――なら、一緒に罪を背負おうじゃないか」
「……え?」
「地獄だって、君となら……花が咲くかもしれない」
「そんな希望を、抱いたって……いいだろう?」
フェインは、ゆっくりと両手を広げた。
指はわずかに震え、それでも、瞳は真っすぐ彼女を見つめていた。
「……フェイン……」
その言葉に、ローレンシアは思わず息を詰めた。
そして、こらえるように微笑んだ。
「……ほんと、貴方って……ズルい」
彼女は視界の端を拭うと、次の瞬間には、もう前を向いていた。
視線はより強くなる。
それは、疑いようのないモノとなっていた。
そこには、身が焦げるような、マグマのような怒気さえも混じっていた。
だが――
ローレンシアは、祭壇へと昇り、言葉を紡ぎ始めた。
金の髪が、静かに揺れる。
「……私の名は――□□□□・◇・ローレンシア」
その名を口にした瞬間、祭壇が淡く共鳴した。
「そして……この子の名は、ルアロア。その名自体が、聖なる響きを持つ」
彼女が立つ祭壇状の基盤には、円環の光が浮かび上がっていた。
浮遊する金属粒子が渦を巻き、ルアロアの身体を優しく包み込む。
《記憶転送ユニット、臨界値に到達》
《エネルギー偏差、安定領域へ収束――ゲート展開を許可します》
「……お願い。この子の未来に、今を繋いで――」
二人は祈るように手を合わせ、目を瞑った。
《——未知の妨害エネルギー確認……システム損壊率32%》
ジ、ジジジジィ……ッ。
――パンッ!!
なにかがはじける音がする。
「……!」
「お願い――どうか……!」「間に合えッッ!!」
二人の額には、じっとりと冷たい汗がにじんでいた。
《封印媒体への投影開始。次元座標、確定》
《転送先:保管領域AZ-77 "Twilight Apple" 内部格納層》
青白い閃光が、空間に細い亀裂を走らせた。
光の中に沈むように、
ルアロアの姿がゆっくりと消えていく――
《転送完了》
《ゲート、閉鎖》
ジ、ジジジィッ。
《……全転送プロトコル、完了。
……コード・ヴェルティア……終端へ……》
《……本ユニットは、規定に従いシャットダウンを開始します……》
ノイズが震え、音の輪郭が崩れていく。
《……good night……little star……》
──プツン。
祭壇の装置は、二度と目覚めることはなかった。
静寂が訪れる。
※お知らせ
本作は現在、
・ファンタジー版( プロローグなし )
・SF版( プロローグあり )
の2パターンで試験運用を考えてます。
反応を見て、早い段階で一本に統一予定です。
統一時には必ず告知しますので、ご安心ください。




