第二章 壊れかけの馬具
炉の火は、夜になるほど落ち着いていた。
昼のように勢いよく燃やす必要はない。必要なのは、金属の癖を正直に浮かび上がらせる程度の熱だ。リオは風箱の動きを最小限に抑え、留め具を火にくべた。
赤くなりすぎない色。
――まだ、ここだ。
金床に置き、軽く叩く。音が鈍い。金属疲労が奥に溜まっている証拠だった。表面は保っていても、中はもう余裕がない。
「……やっぱり、ですね」
独り言のように呟く。
完全に直すには、部品を交換するしかない。だが、それをすれば今夜中には終わらない。行商隊は夜明け前に出ると言っていた。
作業台の向こうで、エリナが帳簿を閉じた。
「間に合いそう、ですか?」
「次の町までは、持ちます」
リオは正直に答えた。
「でも、それ以上は……保証できません」
エリナは一瞬、言葉に詰まったあと、ゆっくり頷いた。
「分かりました。それでお願いします」
覚悟を決めた人の声だった。
蜥蜴獣人のトゥルクが、壁にもたれたまま低く言う。
「壊れる前に止める。それが一番安い、だ」
「安い……ですか」
「金も、命も」
短い言葉だったが、重みがあった。
リオは留め具を一度冷まし、別の金属片を取り出す。補強用の薄い板だ。目立たせないように内側へ仕込む。完全ではないが、“次へ進むための形”にはなる。
――直す、というより。
――渡す、に近い。
リオはそう思いながら、再び火を入れた。
作業の間、工房は静かだった。
火の音、金属が鳴る音、革が擦れる音。それだけが、夜を満たしている。
ロウィンは何も言わず、その様子を見ていた。口出しはしない。だが、目を逸らすこともない。
「この町は、長く留まる人が少ない」
不意に、彼が言った。
「通り道、ですから」
「それでも、名前は残る」
ロウィンはそう言って、小さく笑った。
「あなたは、覚えてくれる側だ」
リオは答えなかった。
代わりに、最後の締めを行う。
補強された留め具は、見た目にほとんど変化がない。だが、手に取れば分かる。力の逃げ道が、きちんと用意されている。
「……これで」
リオはそう言って、馬具を差し出した。
ロウィンは受け取り、確かめるように引いた。
「十分だ」
その一言で、仕事は終わった。
代金を受け取り、深く頭を下げられる。
「また、会えるといい」
「はい」
その返事が、約束ではないことを、互いに分かっていた。
扉が閉まり、工房に静けさが戻る。
炉の火を落としながら、リオは灰の奥に残る熱を確かめた。
完全ではない。
でも、次へ進める。
壊れかけの馬具は、今日も誰かを運んでいく。




