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第二話:通り過ぎる人の名 第一章:行商隊の夜

町に行商隊が入る夜は、決まって音が多い。


馬のいななき、荷車の軋む音、木箱が擦れる低い響き。昼のうちに張られていた静けさが、ゆっくりと押し出されていく。リュメルは街道沿いの町だ。旅人を拒まない代わりに、引き留めることもしない。


《灰炉の工房》の前を、灯りを掲げた一団が通り過ぎていった。


布で覆われた荷車が三台。先頭を歩くのは背の高い人族の男で、歩き方に無駄がない。後ろには小柄な獣人族が二人、箱の紐を確かめながら進んでいる。皆、疲れてはいるが、足取りは軽かった。


リオは工房の中から、その様子を見ていた。


炉は落としてある。今日は直しの予定がない。そういう日は、道具の手入れと在庫の確認をすることにしている。金属は使わなくても劣化する。人の手が入らない時間ほど、正直だ。


「泊まるかな」


独り言のように呟いた声に、返事はない。


だが、ほどなくして扉がノックされた。


控えめな音。急いでいない。命令でもない。


「……はい」


リオが扉を開けると、そこに立っていたのは、先頭を歩いていた男だった。


「夜分に失礼します」


低く、よく通る声。


「行商隊の責任者をしています。名はロウィン。町で、修理屋がいると聞きました」


ロウィンはそう言って、軽く頭を下げた。年は四十前後だろうか。旅慣れた顔つきだが、荒さはない。


「修理の内容によります」


リオがそう答えると、ロウィンは苦笑した。


「馬具です。壊れてはいないが……このまま使うのは不安で」


リオは一度、工房の中を振り返った。


「中へどうぞ」


ロウィンは礼を言い、外套を脱いで入ってきた。


ほどなくして、もう二人が続く。

一人は蜥蜴系の獣人族で、背中に長い尻尾を引きずるように歩いている。もう一人は人族の若い女性で、荷の帳簿を抱えていた。


「こちら、護衛のトゥルクです。で、こっちは帳付のエリナ」


「……トゥルクだ。よろしく、だ」


蜥蜴獣人は短く名乗り、語尾を落とした。

エリナは少し緊張した様子で、丁寧に頭を下げる。


「よろしくお願いします」


リオは一人ずつ、名前を覚えた。


ロウィンが差し出したのは、革製の馬具だった。表面に大きな傷はない。だが、留め具の一部が僅かに歪んでいる。


「今日中に直せますか」


「……見てみます」


リオは留め具を外し、指先で金属をなぞった。


疲労が溜まっている。今は耐えているが、次の峠を越える前に限界が来るだろう。


「完全には直りません」


正直に言う。


「ですが、補強すれば、次の町までは保ちます」


ロウィンは少し考え、それから頷いた。


「それで十分です。次は港町まで、一気に抜けたい」


リオは炉に火を入れた。


夜の工房に、火の音が戻る。

それだけで、空気が少し変わった。


作業の間、行商隊の三人は静かだった。必要以上に話しかけてこない。旅の途中で、誰かの仕事を邪魔しない術を知っている。


それでも、火が落ち着いたころ、エリナがぽつりと声を出した。


「……この町、落ち着きますね」


「通り道なので」


リオは答える。


「皆さんも、長くはいませんよね」


「ええ。一晩だけ」


エリナは少しだけ笑った。


「名前を覚えても、すぐ別れです」


リオは留め具を締め直しながら、手を止めなかった。


「それでも、覚えます」


エリナは驚いたように目を瞬かせる。


「どうして?」


「名前は、その人が通った証なので」


少しの沈黙。


やがてロウィンが、低く息を吐いた。


「いい修理屋ですね」


その言葉に、リオは返事をしなかった。ただ、金属の温度を確かめ、最後の仕上げに入る。


深夜、作業は終わった。


補強された馬具は、見た目をほとんど変えずに、確かな強度を持っている。


ロウィンは代金を置き、深く頭を下げた。


「助かりました。……また、会えるといい」


「はい」


そう答えながら、リオは分かっていた。


この行商隊は、きっと次は違う街道を選ぶ。

次に会うことは、ないかもしれない。


それでも、名前は残る。


夜明け前、行商隊は町を出た。


工房の前を通り過ぎる灯りを、リオは静かに見送った。


炉の火は落としてある。

だが、灰の奥には、まだ温度が残っている。


今日もまた、誰かが通り過ぎていった。

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