終章:名前を呼ぶ音
工房に戻ると、空気が少しだけ変わった気がした。
作業台の上は片付けられ、工具は元の位置に戻されている。炉の火は、完全には落とされていない。次に火を起こすための、ぎりぎりの温度が残されている。
「……終わったな」
オルドが言った。
「はい」
それ以上、言葉はなかった。
しばらくして、工房の外から足音が聞こえる。
「お疲れさまです」
セレス・リーファルだった。朝の光を受けて、長い耳が淡く輝いている。
「見送りましたか」
「ええ」
「そうですか」
それだけで、話は通じたらしい。
「人族の時間は、速いですね」
セレスはそう言って、作業台に置かれた素材の包みを指差した。
「でも、残るものもあります」
リオは頷いた。
「……名前、呼ばれました」
セレスは一瞬、目を細め、微笑んだ。
「それは、大切にしたほうがいい」
セレスが帰ったあと、工房は再び静かになった。
昼前、ギルドの方角から軽やかな足音が近づく。
「おーい、リオ」
ミーネが顔を出した。
「行った?」
「はい」
「そっか」
ミーネは少しだけ尻尾を下げ、それからすぐに笑った。
「じゃあ、生きて帰ってくるね」
「……ええ」
「また直す日が来るよ」
そう言って、ミーネは手を振り、去っていった。
リオは一人、工房の中央に立つ。
炉の前に手をかざすと、まだ確かに熱がある。
灰炉の火は、今日も消えていなかった。
それは、誰かが戻ってくるための温度だ。
そして、次に誰かの名前を呼ぶための――
小さな、確かな火だった。




