第二章 白い場所は、音を奪う
雪は、音を消す。
風の唸りも、
足音も、
呼吸さえも。
すべてが、
白に吸われていく。
「……静かすぎる」
ガルムの声が、
雪に溶けた。
セイルは、すでに合図を減らしている。
声を出す意味が、薄いからだ。
リオは、
一歩ごとに足元を確かめていた。
踏み出す。
沈む。
引き抜く。
同じ動作なのに、
感触が、毎回違う。
⸻
雪線を越えた瞬間、
世界は変わった。
色が、ない。
境界が、ない。
「……地図、
信用できないな」
ミーネが、低く言う。
「はい」
リオは、頷く。
「音も、
匂いも、
目印になりません」
「じゃあ、
何を頼る?」
リオは、
胸に手を当てた。
「……体温です」
誰も、笑わなかった。
⸻
吹雪が、来た。
予兆は、なかった。
ただ、
白が濃くなる。
「……止まれ」
セイルの合図。
全員が、即座に止まる。
だが――
止まった瞬間、
方向感覚が消えた。
前も、後ろも、
同じ白。
「……返り道が」
ミーネが、息を詰める。
「……ない」
リオは、唇を噛んだ。
留め具は、鳴らない。
戻る判断が、
成立しない。
「……ここは」
小さく言う。
「往復を、
許さない場所です」
⸻
一人、
仲間の動きが鈍る。
「……寒い」
声が、震える。
「……感覚が」
その言葉が、
途中で途切れた。
危険だ。
リオの胸が、
強く脈打つ。
「……止まらないで」
声を張る。
「考えないでください」
誰かが、
驚いてリオを見る。
「……判断は、
後でいい」
一歩、踏み出す。
「今は、
動いてください」
⸻
雪は、
“急がせない”場所ではない。
止まると、
終わる場所だ。
「……右」
セイルが、短く示す。
「……いや、
そのまま」
リオは、即座に否定した。
自分でも、
理由は分からない。
でも――
違う。
足元の雪の沈み方。
風の当たり方。
「……こっち」
声が、
震えている。
それでも、
歩く。
⸻
数分後。
風が、
一段、弱まった。
「……?」
ガルムが、
顔を上げる。
木立。
風が、
遮られている。
「……生きてる」
誰かが、呟いた。
全員が、
その場に崩れ落ちる。
⸻
息が、落ち着く。
手足の感覚が、
戻ってくる。
リオは、
膝を抱えたまま、
動けなかった。
「……怖かった」
初めて、
その言葉が、口から出た。
ミーネが、
隣に座る。
「……うん」
否定しない。
「……返り道は」
リオは、雪を見る。
「作れません」
静かに言う。
「この場所は、
名前を拒みます」
セイルが、
ゆっくり頷いた。
「……だから、
皆、黙るんだ」
⸻
夜。
簡易の幕を張り、
火を小さく灯す。
音は、
ほとんど出さない。
リオは、
火を見つめながら考える。
戻る。
往復。
馴染ませる。
どれも、
世界に聞く余裕があるときの技術だ。
「……でも」
小さく、息を吸う。
「生きるためには、
黙って進むしかない場所もある」
それは、
敗北ではなかった。
理解だった。
⸻
その夜、
リオは図面を開かなかった。
代わりに、
白紙のまま、
一行だけ書く。
名付けられない場所
ここでは、
生きて帰ることだけが、
返り道になる
ペンを置いた手が、
少し震えている。
でも、
目は逸らさなかった。
⸻
吹雪の向こうで、
世界はまだ、
静かに牙を剥いている。
それでも――
リオは、
歩くことをやめなかった。
世界が大きいと知ることは、
怖さを知ることでもある。
そして、
その怖さを知った者だけが、
次の一歩を、
自分で選べる。




