第十八話 潮が教えること 第一章 錆びない場所は、存在しない
霧の街は、音が遅れて届く。
波の音。
鎖のきしみ。
人の声。
すべてが、
一拍遅れて耳に触れる。
「……湿気が、重い」
ガルムが、耳を揺らす。
「風が、止まらないな」
セイルが、フードを押さえる。
リオは、黙っていた。
足元の石。
建物の金具。
停泊した船の外板。
――全部、錆びている。
「……ここは」
小さく呟く。
「戻る装備が、一番信用されない場所ですね」
ルゥナが、苦笑した。
「正解」
港を見下ろしながら言う。
「ここでは、
“長く持つ”って言葉が、
ほとんど意味を持たない」
⸻
案内されたのは、
海沿いの古い作業場だった。
壁は塩を吹き、
床は常に湿っている。
「……ここで?」
リオが聞く。
「ここで」
ルゥナは即答する。
「一番、壊れる場所だから」
作業台に置かれたのは、
沈没船から引き揚げられた金属片。
形は残っている。
だが、内部は――
層ごとに、食われている。
「……魔力腐食?」
セイルが、眉を寄せる。
「違う」
ルゥナは首を振る。
「海だ」
⸻
リオは、そっと触れた。
冷たい。
だが、均一じゃない。
「……抵抗してます」
「へ?」
「錆に、
負けてない部分がある」
断面を、指でなぞる。
「……ここ」
「……それ、
偶然だよ」
ルゥナが言う。
「どの船も、
たまにある」
リオは、首を振った。
「偶然なら、
同じ形になりません」
沈没船の破片を、
いくつも並べる。
どれも――
同じ位置が、残っている。
「……流れ」
リオは、呟く。
「潮の流れが、
一定の部分だけ、
腐食を遅らせている」
ルゥナの目が、
大きく開いた。
「……そんな見方、
したことなかった」
⸻
外に出る。
潮が引き、
岩場が露出している。
「……採れるのは、
金属じゃありません」
リオは、岩を指す。
「……塩?」
「いいえ」
岩の隙間に、
硬く付着した層。
「付着物です」
セイルが、目を細める。
「……殻?」
「はい」
「潮と岩と時間が、
一緒に作った層」
ガルムが、
剥がそうとして手を止める。
「……硬ぇ」
「でも」
リオは、続ける。
「脆くない」
⸻
夜。
仮設の宿で、
リオは眠れなかった。
戻る装備を、手に取る。
「……ここでは」
留め具は、
鳴らない。
鳴っても、
意味がない。
「……戻る、だけじゃ」
小さく、息を吐く。
「……足りない」
そのとき、
波音が、強くなる。
寄せて、返す。
寄せて、返す。
「……戻る、じゃない」
リオは、
はっと顔を上げた。
「往復だ」
⸻
翌朝。
リオは、作業場に全員を集めた。
「……新しい付与を、
試したいです」
「戻る?」
ミーネが聞く。
「いいえ」
リオは、はっきり言った。
「行って、戻る」
「……何が違う?」
「戻る、は判断を止めます」
一拍。
「でも」
「往復は、
世界と会話します」
ルゥナが、
ゆっくり息を吐いた。
「……海みたいだね」
「はい」
リオは、微かに笑った。
「この世界は、
進ませて、
必ず返してくれる場所です」
⸻
作業台に、
殻の層を置く。
金属ではない。
装備でもない。
「……これを、
どう使う?」
セイルが聞く。
リオは、答えた。
「境界材にします」
「止めない」
「急がせない」
「でも」
一拍。
「戻る道だけは、
必ず残す」
ガルムが、
小さく笑った。
「……冒険向きだな」
⸻
霧が、少し晴れる。
海が、姿を見せる。
リオは、胸の奥が
熱くなるのを感じた。
「……世界は」
呟く。
「優しくないけど、
ちゃんと、教えてくれます」
この海は、
“戻る”だけの職人を拒んだ。
そして――
“行って戻れる職人”を、
歓迎した。




