第十七話 遠くへ行く理由 第一章 戻れるから、踏み出せる
朝の空気は、工房の中とは違った。
湿り気があり、
草の匂いが混じり、
どこか落ち着かない。
リオは、工房の前に立っていた。
背負っているのは、
武器ではない。
防具でもない。
採集用の道具一式だった。
「……本当に行くんだ」
ミーネが、半分呆れたように言う。
「はい」
即答だった。
「遠いよ?」
「分かっています」
「危ない場所もある」
「承知しています」
ミーネは、ため息をついてから笑う。
「……変わったね」
リオは、首を振った。
「変わっていません」
一拍。
「知りに行くだけです」
⸻
今回の目的地は、
王都から三日ほど離れた高原地帯。
特別なダンジョンがあるわけでもない。
英雄が名を刻んだ場所でもない。
ただ――
素材が、自然のまま残っている土地。
「戦闘は?」
同行する斥候が聞いた。
「避けます」
「徹底的に?」
「はい」
「戻る装備は?」
リオは、少しだけ考えてから答えた。
「……一部だけ」
周囲が、首を傾げる。
「全部じゃないのか?」
「全部だと、
見えないものがあるので」
その言葉は、
自分に言い聞かせるようでもあった。
⸻
高原に出た瞬間、
リオは足を止めた。
「……」
視界が、広がる。
草原が、波打つように続き、
遠くには山脈。
風が、強い。
だが、冷たくない。
「……広い」
思わず、声が漏れた。
「地図で見たより?」
「はい」
それ以上に――
色が、違う。
同じ緑でも、
工房の前とはまるで違う。
「……これ」
しゃがみ込み、
石を一つ拾う。
特別な魔力はない。
希少素材でもない。
けれど。
「……音が、違います」
軽く叩くと、
乾いた、澄んだ音が返る。
「……ここで育った金属だ」
⸻
採集は、順調だった。
危険もない。
事故もない。
だからこそ、
リオは戸惑った。
「……戻る装備、
鳴りませんね」
同行者が笑う。
「そりゃそうだ。
危険、ねぇもん」
リオは、少しだけ視線を落とす。
「……邪魔、してない」
それに、
ほっとした自分に気づく。
「……これで、いい」
⸻
夕方。
高原の端で、
風が一気に強まった。
足元が、不安定になる。
同行者が、声をかける。
「……戻るか?」
リオは、すぐには答えなかった。
風の流れ。
草の倒れ方。
雲の動き。
そして――
自分の感覚。
留め具は、鳴らない。
だが、
胸の奥で、何かが引っかかる。
「……戻りましょう」
同行者が、少し驚く。
「まだ行けるぞ?」
「はい」
リオは、はっきり言った。
「でも」
一拍。
「今日は、ここまでが綺麗です」
その言葉に、
誰も反論しなかった。
⸻
帰路。
夕焼けが、草原を染める。
リオは、何度も振り返った。
「……また、来ます」
誰に言うでもなく、呟く。
そのとき、
初めて分かった。
戻るという選択が、
冒険を終わらせるのではなく、
次を約束するものだということを。
⸻
夜。
野営地で、
リオは採集した素材を並べる。
どれも、派手ではない。
だが――
全部、見てきた場所の匂いがする。
「……これで」
小さく、でも確かに言う。
「もっと、先へ行けます」
戻る装備は、
もう足枷ではなかった。
それは――
遠くへ行くための、
最低限の約束になっていた。




