第二章 もう一人の英雄
その噂は、意図的に流された。
「新しい英雄が立つ」
「王都は、止まらない」
「戻らない覚悟を持つ者だ」
《灰炉の工房》に届いたとき、
リオは、嫌な予感を否定しなかった。
「……来ますね」
ミーネが、腕を組む。
「来るね。
しかも、“分かりやすいやつ”」
⸻
夜。
防壁の外が、赤く染まった。
魔物の群れ。
数は多い。
だが――統率はない。
「……試してる」
ロウエンが、低く言う。
「英雄を、
“見せる”ための戦場だ」
城門が開き、
一人の男が出ていく。
全身を覆う強化装備。
魔力が、音を立てて溢れている。
「……速い」
セイルが、目を細める。
「溜めて、
一気に出るタイプ」
ガルムが、鼻を鳴らす。
「嫌いだぞ。
ああいうの」
⸻
男は、躊躇しなかった。
踏み込み。
一撃。
魔物が、まとめて吹き飛ぶ。
歓声が、城壁から上がる。
「ほら見ろ!」
「これが英雄だ!」
男は、振り返らない。
前に出続ける。
戻るという選択肢が、
最初から存在しない。
「……名前は」
リオが、静かに聞く。
「ヴァイス」
ロウエンが、即答する。
「評議会が推した英雄だ」
「戻らない、
英雄」
リオは、呟いた。
⸻
次の瞬間。
魔物の群れが、
“割れた”。
奥から、
大きな影。
「……来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
ヴァイスは、止まらない。
むしろ――
前に出る。
「援護はいらない!」
魔力が、さらに高まる。
その背中を、
一人の男が見ていた。
レオン・グレイヴァル。
剣を帯びず、
城門の前に立つ。
「……戻れ」
低い声。
だが、
届かない。
⸻
「……行く」
レオンが、一歩踏み出す。
リオが、止めない。
「……選択です」
ミーネが、息を呑む。
二人の英雄が、
同じ戦場に立つ。
だが――
向いている方向が違う。
ヴァイスは、前を見る。
レオンは、後ろを見る。
「邪魔だ!」
ヴァイスが叫ぶ。
「下がれ、
“元英雄”!」
レオンは、答えない。
ただ、立つ。
「……戻るぞ」
「戻る?
勝てばいい!」
ヴァイスは、踏み込む。
その瞬間――
装備が、軋んだ。
リオの胸が、わずかに強く打つ。
「あれは……」
「限界、近い」
⸻
魔力が、暴れ始める。
止まらない。
逃げ場がない。
レオンが、声を張る。
「ヴァイス!」
初めて、名を呼ぶ。
「戻れ!
今なら戻れる!」
一瞬。
ヴァイスの動きが、
ほんの一拍、遅れる。
――問い。
だが、
答えは選ばれなかった。
「……黙れ!」
次の踏み込みで、
装備が――悲鳴を上げる。
崩れない。
だが、制御を失う。
「……っ!」
ヴァイスが、膝をつく。
魔物が、迫る。
その前に、
レオンが立った。
「……これが」
レオンは、低く言う。
「戻れない英雄の、
行き止まりだ」
⸻
援護が入る。
魔物は、押し返される。
ヴァイスは、生きていた。
だが――
立てない。
担架に運ばれながら、
彼はレオンを見る。
「……俺は……」
言葉が、続かない。
レオンは、答えた。
「まだ、生きてる」
それだけで、十分だった。
⸻
城壁の上は、静まり返っていた。
歓声は、ない。
代わりに残ったのは、
重い理解。
「……勝ったのは」
誰かが、呟く。
「どっちだ?」
リオは、静かに答えた。
「戻れた方です」
夜が、深まる。
灰炉の工房には、
また人が集まるだろう。
前に出たい者と、
戻りたい者。
世界は、
もう一度――
選ばされる。




