第二章 それでも剣を置く
夜明けの光は、思ったよりも淡かった。
王都は騒ぎ疲れたように静まり、
鐘も、怒号も、もう聞こえない。
《灰炉の工房》の扉が叩かれたのは、
朝の火を入れる前だった。
乱暴ではない。
だが、迷いもない。
リオが扉を開けると、
そこに立っていたのは――昨夜の英雄だった。
鎧は外され、
簡素な上着に包帯。
だが、背筋は真っ直ぐだ。
「……話をさせてくれ」
「はい」
それだけで、十分だった。
⸻
工房の中は、静かだ。
炉には、まだ火が入っていない。
金属の匂いも、薄い。
英雄は、作業台の前に立ち、
少しだけ言葉を探してから言った。
「……俺は」
一拍。
「止められたことが、ない」
その声は、
自慢でも、怒りでもなかった。
「前に出れば、
道が開いた」
「強ければ、
戻る必要がなかった」
リオは、何も言わない。
英雄は、続ける。
「昨夜、
脚が動かなくなったとき……」
拳を、ぎゅっと握る。
「怖かった」
沈黙。
「強化が切れたわけじゃない。
意識が飛んだわけでもない」
「……ただ」
視線を落とす。
「前に出る理由が、
一瞬で消えた」
⸻
「……英雄は」
リオが、静かに口を開く。
「前に出続けた人の、
結果です」
英雄が、顔を上げる。
「でも」
続ける。
「戻れなかった人の、
代償でもあります」
英雄は、目を閉じた。
長い沈黙。
やがて、
低く息を吐く。
「……俺は」
「はい」
「剣を、置くべきか」
その問いは、
昨夜よりも重かった。
リオは、すぐには答えなかった。
炉を見る。
冷えた灰を見る。
そして、言う。
「置くかどうかは、
あなたが決めてください」
英雄が、少し驚いたように見る。
「……止めないのか」
「止めません」
リオは、まっすぐに言う。
「選択肢は、
奪いません」
一拍。
「ただ」
英雄を見据える。
「前に出る装備は、
作りません」
英雄は、苦く笑った。
「……だろうな」
⸻
英雄は、腰の剣を見る。
昨夜、
世界を守った剣。
そして、
世界から切り離された剣。
「……じゃあ」
ゆっくりと、言う。
「戻る装備は?」
リオは、答える。
「作れます」
「……俺に?」
「はい」
英雄の目が、わずかに揺れる。
「戦えなくなるぞ」
「はい」
「呼ばれなくなる」
「はい」
英雄は、しばらく黙っていた。
やがて、
剣を外し、
作業台に置いた。
金属音が、静かに響く。
「……それでいい」
顔を上げる。
「呼ばれない英雄で、いい」
リオは、頷いた。
「帰れる人です」
⸻
英雄が去ったあと、
ミーネが、ぽつりと言う。
「……世界、変わったね」
「はい」
「英雄が、
“戻る”を選ぶ世界」
リオは、炉に火を入れる。
弱い火。
だが、
昨夜よりも、
確かに温度がある。
「……まだ、途中です」
ミーネが笑う。
「そりゃそうだ」
工房の外で、
また足音がする。
今度は、
一人ではない。
呼ばれない英雄の選択は、
必ず、次を呼ぶ。
灰炉の温度は、
その朝――
静かに、確実に、
世界へ広がり始めていた。




