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「灰炉に残る温度」  作者: ぷにゅん


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第三章 それでも歩く人

朝の街道は、静かだった。


人の往来はまだ少なく、

店の扉も半分ほどしか開いていない。

石畳は夜露を残し、

歩くたびに、わずかに靴音が響く。


兄は、ゆっくりと歩いていた。


速くはない。

以前なら、

この倍の速度で進んでいたはずだ。


「……遅いな」


ぼそりと呟く。


妹は、半歩後ろを歩きながら、何も言わなかった。


一歩。

また一歩。


脚当ては、何も主張しない。

痛みもない。

ただ――踏み込もうとすると、重くなる。


兄は、一度だけ、

無意識に歩幅を広げようとした。


……重い。


自然と、足が戻る。


「……っ」


妹が、息を詰める。


「兄さん……?」


「……いや」


兄は、首を振った。


「分かってる」


深く息を吸い、

歩幅を戻す。


「……戻れる」


その言葉は、

誰に言ったのか分からなかった。


自分か。

妹か。

それとも――あの工房か。



橋の手前で、兄は立ち止まった。


「……前なら」


妹は、静かに待つ。


「前なら、

 ここ、走ってた」


「……うん」


「時間、惜しかったからな」


妹は、小さく頷く。


「今は?」


兄は、橋の向こうを見る。


遠くに、

町の外れの家々が見える。

あの先に、戻る場所がある。


「……今は」


少しだけ、笑った。


「急がなくていい」


妹の目が、潤む。


「……ごめん」


兄が、ぽつりと言う。


「何が?」


「俺、

 帰ってきてたつもりだった」


妹は、足を止める。


「……つもり?」


兄は、頷いた。


「身体だけな」


沈黙。


橋を渡る風が、二人の間を抜ける。


「……怖かったか」


妹は、声を絞り出す。


兄は、少し考えてから答えた。


「……怖かった」


正直な声だった。


「前に出られなくなった瞬間、

 ……何もなくなった気がした」


妹は、拳を握る。


「でも」


兄は、続ける。


「一歩下がったら……

 ちゃんと、足がついた」


妹は、堪えきれず、

小さく息を漏らす。


「……それで、いい」


兄は、ゆっくり歩き出す。


一歩。

確実な一歩。


「……戦えなくなった」


「うん」


「でも」


兄は、空を見上げた。


「歩ける」


妹は、笑った。


「……うん」



《灰炉の工房》では、

リオが扉を閉めていた。


外から聞こえる足音は、

もうない。


炉の前に立ち、

火の入っていない灰を見る。


「……歩いたな」


それだけ、呟く。


ミーネが、後ろで腕を組む。


「見送らなかったんだ」


「はい」


「冷たい?」


リオは、首を振った。


「必要ありません」


「……そっか」


ミーネは、少し考えてから言う。


「でもさ、

 あの脚当て――」


「はい」


「英雄には、絶対向かない」


リオは、はっきり答えた。


「向かせません」


ミーネは、ふっと笑う。


「でも、

 “帰る人”には?」


リオは、灰を見つめたまま言う。


「十分です」


炉に、火を入れない。


今日も、入れない。


けれど――

灰炉の中には、

確かに残る温度があった。


それは、

踏み込まなかった勇気と、

引き返した選択の重さ。


誰かが歩いて帰るたび、

その温度は、静かに――

積もっていく。


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