第二章 作らないという選択
夜の工房に、二度目の来訪者があった。
今度は、ノックが一度だけ。
短く、迷いのない音。
リオが扉を開けると、
そこに立っていたのは、王都の使者ではなかった。
銀糸の縁取りがされた外套。
腰には、装飾過多な短剣。
立ち姿だけで分かる――上の人間。
「……時間をもらえるか」
「内容によります」
即答だった。
男は、わずかに笑う。
「率直だな。嫌いじゃない」
工房に入り、
彼は懐から、布に包まれたものを取り出した。
ほどかれた布の中には――
古い金属片。
だが、ただ古いだけではない。
「……これは」
リオの視線が、自然と吸い寄せられる。
「“折れなかった”剣の芯だ」
男は言った。
「百年前の戦争で、
最後まで形を保った」
ミーネが、思わず息を呑む。
「それ、
王都の宝物庫にあるやつじゃ……」
「その一部だ」
男は、平然と言った。
「お前の灰炉式なら、
これに“意味を与えられる”」
沈黙。
男は、続ける。
「英雄用の装備を作ってほしい。
灰炉式を、
最高到達点まで」
空気が、張りつめる。
「伝説になる」
男は言った。
「名は残る。
記録も、評価も、全て手に入る」
リオは、しばらく何も言わなかった。
炉を見る。
道具を見る。
棚の奥――灰炉式の記録を見る。
そして、顔を上げた。
「……作りません」
ミーネが、思わず声を上げる。
「えっ」
男の表情が、凍る。
「……今、何と言った」
リオは、はっきりと言った。
「今は、作りません」
男の声が、低くなる。
「できないのか」
「できます」
即答だった。
「なら、なぜだ」
リオは、一歩前に出る。
⸻
「英雄用の装備は、
踏み込むことを肯定します」
男は、黙って聞いている。
「灰炉式は、
踏み込ませないための思想です」
「……思想の違いか」
「時期の違いです」
リオは、言い直した。
「今、これを作れば――
灰炉式は“英雄を支える技術”として
定義されます」
「それの、何が悪い」
リオは、静かに答えた。
「帰れない人が増えます」
ミーネが、息を呑む。
男は、苛立ちを隠さず言った。
「英雄が死ねば、
戦は終わることもある」
「終わりません」
リオは、首を振った。
「英雄が死んだあと、
次の英雄が立つだけです」
沈黙。
「灰炉式は、
その連鎖を止めるためのものです」
男は、しばらく黙っていた。
やがて、低く笑う。
「……欲張りだな」
「はい」
リオは、否定しない。
「英雄も救え。
無名も救え。
そんな技術は、まだ作れません」
男は、古い金属片を布に戻す。
「後悔するぞ」
「後悔は、
作ったあとにしかできません」
その言葉に、
男は一瞬、言葉を失った。
「……分かった」
立ち上がり、背を向ける。
「だが、覚えておけ」
振り返らずに言う。
「世界は、待ってはくれない」
扉が閉まる。
重い沈黙。
ミーネが、しばらくして言った。
「……伝説級、
断ったね」
「はい」
「怖くない?」
リオは、少し考えてから答えた。
「……怖いです」
「それでも?」
「今、作ったら――
灰炉式が壊れます」
ミーネは、静かに頷いた。
「そっか」
リオは、炉の前に立つ。
火は入れない。
「……作らない、という選択も
職人の仕事です」
棚の奥に、
あの金属片は戻された。
伝説は、
まだ火の中に入れない。
今は、その時じゃない。
灰炉の温度は、
今日も“待つ強さ”を保っていた。




