第2章:ギルドと噂
工房を出るころには、町はすっかり目を覚ましていた。
雨上がりの石畳はまだ濃い色を残していて、歩くたびに靴底が軽く吸いつく。屋根の端から落ちる雫の音はもう疎らで、その代わりに人の声と足音が町の中を満たし始めていた。
荷を積んだ馬車、籠を抱えた商人、眠そうな顔の冒険者。
誰もがそれぞれの目的地へ向かっている。
リオはその流れの端を歩きながら、冒険者ギルドへ向かった。
石造りの二階建ての建物は、派手ではないが頑丈そうで、長く町に根を下ろしてきたことが分かる。扉の前では、鎧の留め具を直している冒険者や、壁にもたれて目を閉じている者がいた。
――みんな、まだ準備の途中。
リオはそう思いながら、扉を押し開けた。
中はすでに賑やかだった。
木の床は長年の靴跡で滑らかになり、壁の掲示板には依頼書が何枚も貼られている。報酬額を指差して相談する声、酒の匂い、金属が擦れる音。
その喧騒の中で、ひときわ軽い声が響いた。
「おはよー、リオ」
受付カウンターの向こうで、猫獣人のミーネが手を振っていた。
小柄な体を少し背伸びさせるようにして書類の山から顔を出し、尻尾をゆらゆらと揺らしている。
「おはようございます」
リオがそう返すと、ミーネの耳がぴくりと動いた。
「今日は早いね。もしかして、もう炉、起こした?」
「ええ。親方が……人が来ると言っていたので」
「あー、それそれ」
ミーネはペンをくるりと回し、書類の端に置いた。
「じゃあ今日は、ちょっと忙しくなるかもだよ。覚悟してね?」
「もう分かるんですか」
「分かる分かる。勘」
胸を張って言い切ったあと、ミーネは小さく笑った。
「……半分は噂、だけど」
その言い方がどこか可笑しくて、リオはほんの少しだけ口元を緩めた。
ミーネはすぐにそれに気づく。
「今、笑った」
「笑ってません」
「笑ったよ。ちょっとだけ」
そう言いながら、尻尾が楽しそうに左右に揺れる。
「毛並みのいい人が町に入ったって話。たぶん狼。大きくて、無茶するタイプ」
「……面倒な人、ですか」
「うーん」
ミーネは顎に指を当て、わざと考える仕草をした。
「腕はいいけど、無理する人。そういう人ほど、修理屋さんが必要になるんだよね」
「……そうですね」
「でしょ?」
ミーネは満足そうに頷いたあと、少しだけ声を落とした。
「最近ね、壊れた装備が多いの。直せる人、減ってきてるから」
軽い口調の奥に、ちゃんとした心配が滲んでいる。
リオはそれを感じ取って、静かに頷いた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミーネはにこっと笑い、思い出したように付け足す。
「あ、そうだ。エルフも来てるよ」
「エルフ……ですか?」
「うん。素材持ち。静かで、綺麗で、ちょっと近寄りがたい感じの人」
「近寄りがたい……」
「でも悪い人じゃないと思う。たぶん」
そう言って、ミーネは片目をつむった。
リオは軽く会釈し、ギルドを後にした。
外に出ると、昼の光が町を照らしていた。
湿った石畳が乾き始め、金属の匂いに土の匂いが混じる。
工房へ戻る道すがら、リオは自分の手を見た。
直せるものと、直せないもの。
その境界は、いつも曖昧だ。
それでも、炉は待っている。
《灰炉の工房》の前には、すでに一人の影があった。
大柄な体躯、灰色の外套、風に揺れる毛並み。
狼獣人。
リオは歩みを止めず、その背中に声をかけた。
「――お待たせしました」
影が振り返り、金色の目がリオを捉える。
物語は、ここから本格的に動き始める。




