第二章 噂と失敗作
昼を過ぎても、工房に人は来なかった。
《灰炉の工房》の前を通る足音はある。だが、立ち止まる者はいない。扉の前で迷う気配もない。今日のリュメルは、工房を必要としていなかった。
リオは作業台に肘をつき、棚の一段目を眺めていた。
そこに置かれているのは、
あのとき、使わないと決めた金属片。
光を受けても、特別に輝くわけではない。
触れても、冷たいだけだ。
――なのに。
「……落ち着かない」
指先に、わずかな違和感が残る。
金属が、というより――
それを前にしている自分自身が。
コン、と軽い音がした。
工房の扉が開き、見慣れた尻尾が揺れる。
「やっぱりここだった」
ミーネだった。
今日は仕事着ではなく、外套も軽い。情報を集めて回っていた帰りらしい。
「依頼ですか?」
「ううん。今日は“噂”」
そう言って、ミーネは勝手知ったる様子で椅子に腰掛けた。
「最近ね、南のほうで流れてる話」
リオは黙って続きを待つ。
「付与装備を扱う工房が増えてるんだけど――
失敗例も、同じくらい増えてる」
「……どんな」
ミーネは尻尾の先で床を叩いた。
「火属性を付けた剣が、初撃で折れた。
防御を強化した鎧が、衝撃を逃がせなくなった。
共通点、分かる?」
リオは少し考えてから答えた。
「……“足しすぎた”」
「正解」
ミーネは満足そうに頷く。
「魔力を込めすぎると、素材が耐えきれない。
でもね、やった本人たちは“成功した”って思ってる」
「最初は、使えるから」
「そう」
ミーネは声を落とした。
「壊れるのは、少し先」
リオは、棚の金属片に視線を戻した。
――耐えきれない魔力。
――でも、通しやすい素材。
「……失敗作は、どうなりますか」
「捨てられるか、隠されるか」
ミーネは肩をすくめる。
「失敗ってさ、目立つから嫌われるんだよ」
その言葉に、リオは小さく息を吐いた。
「直す仕事をしていると、失敗ばかり見ます」
「うん」
「でも……失敗した理由が分かれば、次は違う選択ができます」
ミーネは一瞬、目を丸くした。
「それ、職人の考え方だね」
「……そうでしょうか」
「うん。
冒険者はね、“上手くいったかどうか”しか見ない」
ミーネは立ち上がり、工房を見回した。
「でもリオは、“なぜそうなったか”を見る人」
その言葉は、褒め言葉でも評価でもなかった。
ただの事実だった。
ミーネが帰ったあと、
リオは作業台に向き直った。
金属片を手に取る。
「付けない」
そう、口に出して言った。
今の自分は、
“付与する職人”ではない。
でも。
「……調べることは、できる」
リオは紙と炭筆を取り出し、
金属片の性質を書き留め始めた。
叩かず、削らず、熱も加えない。
ただ、記録する。
魔力を流したときの反応。
止めたときの戻り。
触れたときの違和感。
――直すための観察。
――作る前の準備。
その作業が終わったころ、
工房の奥から、足音がした。
「……今日は、火を入れないのか」
オルドだった。
「はい」
「そうか」
それだけ言って、
彼は棚の金属片を一目見た。
何も言わない。
止めもしない。
それが、答えだった。
リオは記録を閉じ、金属片を元の場所に戻す。
まだ使わない。
でも、もう“知らないまま”ではいられない。
炉の前に立ち、
冷えた石に手を置く。
今日は火を使わない。
けれど、
火に近づく準備は――
もう、始まっていた。




