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境界(はざま)

 避難所は、静まり返っていた。


 誰も喋らない。

 泣き声すら、もう聞こえない。


 人々は身を寄せ合い、床に座り込み、あるいは立ち尽くしたまま動けずにいた。


 その輪の中心――


 そこに、何かが倒れていた。


 胴は裂け、床には赤黒い血が広がっている。

 ホブゴブリンが、動かずに横たわっていた。


 そのすぐそばに――

 リアムが、立っていた。


 剣を握ったまま、微動だにしない。

 服も、腕も、頬も、血に濡れている。


 ぽたり、と。

 赤い雫が床に落ちた。


 誰も、声を出せなかった。


 避難所の空気が、凍りついたように重くなる。


「……リアム……?」


 震える声が、静寂を裂いた。


 エレナだった。


 一歩、前に出かけて、止まる。

 信じられないものを見るように、目を見開いている。


「……リアム、なの……?」


 テオは、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。

 木剣を握る手が、わずかに震えている。


 リアムは、ゆっくりと顔を上げた。


 虚ろだった瞳が、わずかに揺れる。


「……エレナ……?」


 かすれた声が、空気を震わせる。


  そのときだった。


 避難所の奥から、足音が響く。


「……?」


 人の間を縫うようにして、リーナが姿を現した。

 外で聞こえた大きな音に気づき、様子を見に来たのだ。


 そして――


 その場の光景を見て、言葉を失う。


 床に横たわるホブゴブリン。

 赤黒い血。

 そして、そのすぐそばに立つ、血まみれのリアム。


「……リアム……?」


 思わず、名前が零れた。


 ゆっくりと近づき、様子を確かめる。


「……何が、あったの……?」


 問いかけた、その瞬間だった。


 リアムの身体が、ぐらりと揺れる。


「……おかぁ……さ……」


 かすれた声。


 次の瞬間、力が抜ける。


「……っ!」


 リーナは慌てて腕を伸ばし、倒れ込む身体を受け止めた。


 思ったよりも、ずっと軽い。


「リアム……!」


 呼びかけても、返事はない。


 力なく項垂れた頭。

 呼吸はあるが、意識は失っている。


 魔力切れ――

 それは、すぐに分かった。


 リーナは、ぎゅっと唇を噛みしめた。


 腕の中の体を、静かに抱き寄せる。


 避難所は、息をひそめたまま沈黙していた。




 暗闇だった。


 音も、温度もない。

 ただ、重たい空気だけが、肌にまとわりつく。


 ――どこだ、ここは。


 足元に、何かが転がっている。


 嫌な予感がして、視線を落とす。


 ……血。


 赤黒い血が、地面を濡らしていた。


 その先に――人影がある。


「……え……?」


 一歩、近づく。


 倒れているのは、見慣れた顔だった。


 エレナ。


 瞳を閉じ、動かない。


「……うそだ……」


 喉から、かすれた声が漏れる。


 周囲を見渡す。


 そこには――

 テオがいた。

 リーナがいた。

 ガイアスがいた。


 そして、村の人々。


 皆、血に濡れ、倒れている。


「……なんで……」


 足が震え、後ずさる。


 そのとき、視界の端で“何か”が光った。


 左腕。


 皮膚の下で、紫の光が脈打っている。


「……なに、これ……」


 恐る恐る、自分の腕を見る。


 その瞬間――


 自分の手が、真っ赤に染まっていることに気づいた。


 指の隙間から、血が滴り落ちる。


「……っ……」


 呼吸が、乱れる。


 視線を下げると、足元は血の海だった。


 その中心に、自分が立っている。


「……俺、が……?」


 震える声が、空間に溶ける。


「……エレナ!」


 リアムは、近くにいたエレナを強く抱きしめる。


 だが、その体は冷たく、重く――


 動かない。


「……俺が……やったの……?」


 声が、震えた。


 視界が、歪む。


 心臓が、壊れそうなほど暴れ出す。


「やだ……やだ……!!」


 叫んだ瞬間――


 世界が、歪んだ。


 ――はっ。


 リアムは、息を詰まらせるように目を開いた。


 暗闇……ではない。


 天井が、ぼんやりと視界に映る。

 木目のある、見慣れた天井。


「……あ……」


 喉がひりつく。

 体を動かそうとして、わずかに痛みが走った。


 そのとき。


 すぐ隣から、小さな寝息が聞こえた。


「……すぅ……」


 視線を向ける。


 エレナが、椅子に座ったまま眠っていた。

 肘をついたまま、頭が少し傾いている。


 安心しきった顔で、静かに呼吸をしていた。


「……エレナ……」


 小さく声を出す。


 それだけで、胸の奥がふっと緩んだ。


 ――夢、だったのか。


 全身の力が抜けて、リアムは深く息を吐く。


 そのとき。


 ギィ……と、扉が開く音がした。


「……あら」


 聞き慣れた声。


 振り向くと、リーナが立っていた。


 手には水の入った器を持っている。


「起きたのね。……よかった」


 ほっとしたように、そう言った。


 その声に反応して、エレナが身じろぎする。


「……ん……」


 目をこすりながら、ゆっくりと顔を上げる。


「……あ……?」


 一瞬、状況が理解できず、きょとんとした顔。


 そして、次の瞬間――


「……リアム!!」


 ぱっと立ち上がり、ベッドに駆け寄る。


「よかった……っ!」


 ぎゅっと、袖を掴む。


「目、覚めたんだね……!

 ずっと……ずっと起きなくて……」


 声が、少し震えていた。


「……怖かったんだから……」


 リアムは、ゆっくりと瞬きをした。


 夢の中の血も、叫びも、もうない。


 ここには、温度がある。


 息があって、声があって――


 生きている。


 リアムは、ゆっくりと息を吐いた。


「……俺……は……」


 言葉にしようとして、途中で止まる。


 何を言えばいいのか、分からなかった。


 そのとき、静かに声がかかる。


「魔力切れよ」


 リーナだった。


「無理をしすぎたの。丸一日、ずっと眠ってた」


 淡々とした声だったが、どこか安堵が滲んでいた。


 リアムは、目を伏せる。


「……そう、か……」


 そう言いながらも、胸の奥がざわつく。


 夢だったはずなのに。

 あまりにも、生々しくて――


 自分の手を、そっと見つめる。


 そして、左腕に視線を落とした。


 そこに、あの感覚はない。

 光も、熱も、今は感じない。


 それでも――


 無意識に、腕を押さえていた。


 胸の奥に、言葉にできない違和感が残っていた。


 *


 外は、穏やかな陽射しに包まれていた。


 家の前で、エレナがくるりと振り返る。


「じゃあ、またね!」


 少し照れたように笑って、手を振る。


 リアムも、ゆっくりと手を上げた。


「うん……また」


 それだけで、胸の奥が少し軽くなる。


 エレナはもう一度小さく手を振って、村の方へ走っていった。


 その背中が見えなくなるまで、リアムは立ち尽くしていた。


 やがて、静かに扉を閉める。


 ――ガチャリ。


 家の中に、静けさが戻る。


 リアムは、少しだけ間を置いてから、振り返った。


「……お母さん」


 リーナが、部屋の奥で振り向く。


「……ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」


 一瞬の沈黙。


 リーナは、その言葉の重みを感じ取ったように、目を細めた。


 そして、小さく息を吐く。


「……ええ」


 覚悟を決めたように、静かに頷いた。





 夜の静けさが、家を包んでいた。


 窓の外はすっかり暗く、虫の鳴き声だけが微かに聞こえる。

 部屋の中央のテーブルには、一本の蝋燭が灯っていた。


 ゆらゆらと揺れる炎が、三人の影を壁に映す。


 リアムは椅子に座り、両手を膝の上に置いていた。

 向かいにはガイアス。

 少し離れた場所に、リーナが腰掛けている。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 火の弾ける音だけが、静けさを刻む。


 やがて、リアムが小さく息を吸った。


「……この前のことなんだけど」


 二人の視線が、静かに集まる。


「ホブゴブリンと……戦ったとき……」


 言葉を選ぶように、少し間を置く。


「……気がついたら、全部終わってた」


 ガイアスの眉が、わずかに動いた。


「気づいたら、倒れてて……」

「そのあと……変な夢を見た」


 リアムは、ゆっくりと言葉を続ける。


「エレナも、テオも……みんな、倒れてて……」

「俺が……殺してた」


 蝋燭の炎が、揺れた。


 リーナの指が、わずかに強く組まれる。


「左腕が、光ってて……紫色で……」


「でも……ホブゴブリンのときは、違った」


 二人の視線が、リアムに戻る。


「白い光だったんだ。」


無意識に、腕を押さえる。


「ねぇ……このアザって一体なんなの?なんで俺にあるの?」


 その言葉が落ちた瞬間。


 部屋の空気が、変わった。


 リーナが、息を止める。


 ガイアスの表情が、わずかに硬くなる。


 重たい沈黙が落ちた。


 蝋燭の炎が、ゆらりと揺れる。


 そして――


 ガイアスが、ゆっくりと口を開いた。


「……正直に言う」


 その声には、迷いが混じっていた。


「俺にも、詳しいことは分からん」


 リアムが目を見開く。


「だが……昔話として、聞いたことはある」


 蝋燭の炎が、ゆらりと揺れる。


「はるか昔、この地には“勇者”と“魔王”がいた」


 リーナが、わずかに息をのむ。


「勇者の力は――金色に輝いていたそうだ」


 リアムの指が、わずかに震える。


「人を守る光で、希望そのものだったと伝えられている」


 少し間を置いて、ガイアスは続けた。


「一方で……魔王の力は、紫だった」


 空気が、わずかに重くなる。


「その力は、すべてを侵し、歪めると……そう語られている」


 リアムは、無意識に左腕を押さえた。


「……俺のは……」


 ガイアスは、首を横に振る。


「お前が見せた“白”は、どの伝承にも出てこないから、俺にもわからん」


 蝋燭の火が、揺れる。


 少しだけ、声を落とす。


「だが……それを持つ者は、必ず時代の流れに関わる」


 静かな重みが、部屋を満たした。


リアムは、自分の中で何かが静かに、しかし確実に変わり始めていることを感じていた



        続く

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


今回は少し重たい話になりましたが、

リアムにとって大切な一歩でもありました。


次は、彼が決断する話になります。

また読んでもらえたら嬉しいです。


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