「白く光るアザ」
自警団の本拠地は、村の外れにある大きな建物だった。
石造りの壁に、広い土間。
倉庫と集会所を兼ねたような造りで、普段から自警団の拠点として使われている。
中では、すでに多くの自警団兵が動いていた。
剣を腰に差す者。
槍を肩に担ぐ者。
革鎧を整え、盾を手に取る者。
金具の擦れる音と、低い声が重なり合う。
誰も騒いではいないが、空気は張り詰めていた。
そこへ、ガイアスが入ってくる。
「よう! 団長!」
一人の戦士が声をかける。
顔なじみの、少し気の荒い男だった。
「ああ」
ガイアスは短く返しながら、歩みを止めない。
「話は聞いた。数は?」
戦士は顎をかきながら答える。
「詳しい数は分からねえ。
だが、森に入ってた村人が怪我して逃げ帰ってきてな。そいつの話じゃ、かなりの数が集まってたそうだ」
ガイアスは、わずかに目を細める。
「……わかった」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ガイアスは声を張り上げた。
「よし! お前ら、行くぞ!」
その声に、動いていた自警団兵たちが一斉に顔を上げる。
「村に来させるな。森で叩く!」
「おう!!」
何人もの声が重なった。
準備は、もうできていた。
自警団兵たちは武器を構え、本拠地を飛び出していく。
ガイアスも先頭に立ち、森の方角へ走り出した。
避難所の中は、人でいっぱいだった。
床に座り込む子供たち。
母親の服にしがみついたまま、顔を上げない子。
肩を寄せ合って、声を潜めて話す女たち。
泣き声は、ほとんどない。
代わりに、震える息と、布が擦れる音があった。
広いはずの室内が、やけに狭く感じる。
柱の影、壁際、空いている場所という場所に、人が詰め込まれている。
誰もが、入口の方を気にしていた。
――まだ、来ていない。
だが、それがいつ変わるかは分からない。
リアムは、無意識に周囲を見回した。
ここにいるのは、子供と女、そして年老いた者ばかりだ。武器を持つ者はいない。
「……リアム」
隣で、エレナが声を落とした。
服の裾を掴む手が、強くなる。
指先が、わずかに震えているのが分かった。
「大丈夫かな……」
不安を押し殺すような声だった。
リアムは、そっとエレナの手を取る。
冷たかった。
握り返しながら、リアムは言う。
「大丈夫だよ」
自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。
エレナは、少しだけ顔を上げる。
その手の震えは、まだ止まっていなかった。
人の合間を縫うようにして、リーナが近づいてきた。
その顔には、さっきまでの慌ただしさはない。
だが、目の奥は張り詰めていた。
「リアム」
呼ばれて、リアムは顔を上げる。
「私は、村の入口に行くわ」
声は低く、はっきりしている。
「魔物が入り込まないように、警備に入る」
リアムは、すぐに状況を理解した。
「……わかった」
短く答える。
リーナは、ふっと息を吐いたあと、膝を折り、リアムと同じ目線になる。
そして、そっと頭に手を置いた。
優しく、だが少しだけ強く。
「ここをお願いね」
指先が、わずかに震えていた。
「無理だけは、しないで」
それだけ言って、リーナは立ち上がる。
その背中を、リアムは黙って見送った。
胸の奥に、言葉にならないものが残っていた。
森の中は、枝葉が幾重にも重なり、昼間だというのに光がほとんど届かない。
足元は下草に覆われ、数歩先の地面すら見えづらい。
湿った空気が、肌にまとわりつく。
踏み込むたび、枯れ葉と土が嫌な音を立てた。
遠くで、声が上がる。
「ぐおぉ……!」
短く、喉を潰すような呻き声。
続いて、別の方向からも。
「ぎゃっ――!」
森の中で、何かが次々と倒れている。
姿は見えない。
だが、確実に数は削られていた。
ガイアスは、剣を握る手に力を込めた。
――来る。
次の瞬間、影が飛び出した。
小柄な体。
尖った耳。
ゴブリンだ。
ガイアスは迷わない。
半歩踏み込み、剣を横薙ぎに振る。
肉を断ち切る感触。
ゴブリンの体が宙で弾かれ、地面に転がる。
「……ちっ」
跳ねた血が、頬にかかる。
生温かさが残ったまま、滴り落ちた。
足元には、すでに何体もの死骸。
森の土は踏み荒らされ、血と泥でぬかるんでいる。
倒れたゴブリンから、剣を引き抜く。
血を払う間もなく、周囲を見渡した。
「団長、さすがです!」
少し離れた場所から、仲間の声が飛んでくる。
「これで、この辺りも片付きましたね」
ガイアスは、すぐには答えなかった。
森に耳を澄ます。
枝の揺れる音、風の音。
――まだ、断言はできない。
「ああ……」
低く返し、剣先を下げる。
「念のため、もう少しこの辺りを調べる」
「見つかりそうになければ、一旦引き返すぞ」
仲間たちは迷いなく頷いた。
「了解!」
「分かりました!」
声が重なり、それぞれが散開する。
森の奥へ、再び足音が消えていった。
村の入口は、静まり返っていた。
簡素な柵と、踏み固められた道。
その先には、森へと続く一本道が伸びている。
人の姿はない。
風に揺れる草の音だけが、やけに大きく聞こえた。
リーナは、その中央に立っていた。
背筋を伸ばし、視線は森の奥。
一瞬たりとも、目を逸らさない。
――来る。
胸の奥で、確信に近い感覚が走る。
次の瞬間。
遠くの闇が、ざわりと揺れる。
小柄な影が、いくつも現れた。
尖った耳。
歪んだ動き。
ゴブリンだ。
一体、二体――いや、違う。
十、二十……それ以上。
群れとなって、村へ向かってきている。
リーナは、一歩も引かない。
静かに息を吸い、右手を前に出す。
空気が、きしりと鳴った。
「《フロスト・プリズン》」
放たれた魔力が、地面を這い、空気を凍らせる。
次の瞬間だった。
ゴブリンたちの足元から、氷が一気にせり上がる。
悲鳴を上げる暇もない。
群れ全体が、そのまま――
凍りついた。
動きは、完全に止まる。
氷像のように固められたゴブリンたちが、道を塞ぐ。
砕ける音も、まだしない。
ただ、完全な静寂だけが残った。
リーナは、ゆっくりと腕を下ろす。
「……ふぅ」
小さく息を吐いた。
村の入口は、再び静けさを取り戻していた。
リアムは、エレナとテオを壁際に座らせた。
「ここにいろ。動くな」
二人は黙って頷く。
リアムの心臓は、早鐘のように鳴っていた。
胸の奥が、どくどくと痛いほど脈打つ。
エレナの手を、強く握る。
指先が冷たい。
――大丈夫だ。
そう思い込もうとした、その時だった。
ドン!
建物の入口の方から、鈍く重い音が響いた。
「……っ」
誰かが息を呑む。
ドン、ドン、ドンドンドン!
連続する衝撃。
木が軋み、悲鳴のような音を立てる。
「ひっ……!」
あちこちから、小さな悲鳴が上がった。
次の瞬間――
バキィッ!!
扉が、内側へと吹き飛んだ。
砕けた木片が床に散らばる。
埃が舞い、視界が揺れる。
その向こうに、影が立っていた。
小柄な体が、五つ。
尖った耳、歪んだ顔。
――ゴブリン。
そして、その後ろ。
一回り大きな影が、ゆっくりと前に出る。
筋肉の盛り上がった体。
鈍く光る目。
ホブゴブリン。
そいつは、室内を見渡した。
怯える子供たち。
震える女たち。
逃げ場を失った老人たち。
その光景を見て――
ニタリ、と口元を歪めた。
「……なんで……」
震える声が、背後から聞こえる。
「なんで、ここまで……」
「自警団は……何やってたの……?」
誰も答えられなかった。
その時だった。
リアムが、一歩前に出る。
「――みんな、後ろに下がって!」
その声は、思ったよりもはっきりしていた。
剣を抜く。
金属音が、静まり返った室内に響く。
リアムは前に立ち、構えた。
小さな背中。
だが、逃げなかった。
ホブゴブリンが、リアムを見下ろす。
一瞬だけ、興味を示すような視線。
次の瞬間、後ろのゴブリンたちに、顎で合図した。
――来る。
ゴブリンたちが、一斉に飛び出した。
リアムは、歯を食いしばる。
「――《身体強化》!」
体の奥が、熱くなる。
一歩。
踏み込む。
一閃。
最初の一体が、吹き飛ぶ。
返す刃で、二体目。
回転しながら、三体目。
床を蹴り、最後の二体を立て続けに斬り伏せる。
時間にして、ほんの一瞬だった。
ゴブリンたちの体が、床に転がる。
「……!」
室内が、静まり返る。
「おお……」
誰かの、かすれた声。
怯えの中に、驚きと希望が混じる。
リアムは、剣を構えたまま、息を整える。
――やれる。
そう、思った。
だが。
ホブゴブリンは、倒れたゴブリンたちを一瞥しただけだった。
そして、ゆっくりと――
ホブゴブリンが、前に出てきた。
リアムは、一瞬も迷わない。
「――《身体強化》!」
体が跳ねる。
床を蹴り、距離を一気に詰めた。
――速い。
だが。
ホブゴブリンの目が、はっきりとリアムを捉えた。
次の瞬間。
伸ばした右腕を――
がっしりと、掴まれる。
「……っ!」
子供の細い腕など、抵抗にもならない。
ホブゴブリンは、そのまま腕を引き寄せ――
叩きつけた。
床に、鈍い衝撃。
視界が、真っ白になる。
息が、肺から一気に抜けた。
音が遠ざかり、頭の奥が揺れる。
(――な……)
考える間もなく、体が宙に浮いた。
次の瞬間。
ドンッ!!
壁に、体ごと叩きつけられる。
衝撃が背中を貫き、頭が打たれる。
床に落ちたリアムは、そのまま動かなくなった。
――静寂。
「……ひっ……」
誰かの喉から、かすれた声が漏れる。
人々が、後ずさる。
肩を寄せ合い、ガタガタと震え出す。
「……リアム……?」
エレナの声は、ほとんど音になっていなかった。
小さな体が、前に出かけて、止まる。
目は、倒れたリアムから離れない。
「……リアムが……」
テオの唇が震える。
「リアムが……っ」
テオは、腰に差していた木剣を握った。
自警団に入りたくて。
毎日、振ってきた剣。
力を込めようとする。
――だが。
手が、言うことを聞かない。
震えて、握れない。
(……守れない……)
悔しさが、胸に突き刺さる。
頑張ってきた。
夢も、覚悟も、あった。
それなのに――
こんなところで、何もできない。
ホブゴブリンは、その光景を見下ろしていた。
倒れたリアム。
怯える人間たち。
ゆっくりと、口の端を吊り上げる。
獲物を前にした、余裕の笑みだった。
リアムの意識は、暗闇に沈んでいた。
音が、遠い。
だが、完全には消えてはいなかった。
「……リア……む……」
かすかな声。
震えて、今にも泣き出しそうな声。
エレナだ。
「……リアムが……」
別の声も、聞こえる。
喉を詰まらせた、必死な声。
テオ。
(……だめだ)
胸の奥で、何かが軋んだ。
(ここで……終わるわけには……)
前世の記憶が、嫌でも浮かぶ。
何もできなかった自分。
みんなからいじめられ、虐げられてきた自分
(……もう、あんな自分には)
(……戻りたくない)
(俺が……守るんだ!)
その瞬間だった。
左腕が、熱を帯びる。
皮膚の奥で、何かが脈打つ。
龍の紋様が、白く――淡く、しかし確かに光り始めた。
暗闇が、ひび割れる。
光が、意識を押し広げる。
次に目を開いた時。
視界は、はっきりとしていた。
目の前に、エレナがいる。
肩をすくめ、唇を噛みしめ、全身を震わせている。
その少し後ろで、村人たちが固まっていた。
「……え?」
誰かが、間の抜けた声を漏らす。
テオも、目を見開いている。
木剣を握ったまま、動けずに。
「……リアム……?」
リアムは、ゆっくりと瞬きをした。
(……え?)
自分の体を、確かめる。
痛みは、ない。
おかしい。
さっきまで――
確かに、動けなかったはずなのに。
違和感に突き動かされるように、周囲を見回す。
そして、気づいた。
床に転がる、黒い影。
砕けた肉。
折れた骨。
原型を留めていない――
ゴブリンの、残骸がそこにあった。
続く
今回は、村で起きた出来事を描きました。
それぞれが感じた恐怖や無力感は、
この先の選択につながっていきます。
次回もお楽しみに




