シャルロット・ド・ベルナール
今回は、侯爵令嬢シャルロットが登場します。
エレナとの掛け合いを中心に、
少し賑やかな回になっています。
気軽に読んでいただければ嬉しいです。
狭い路地裏に、静寂が落ちる。
倒れ伏した男たちは微動だにせず、湿った石畳に重なっていた。
遠くから聞こえていた露店通りの喧騒も、ここでは嘘のように薄い。
リアムとお嬢様――
二人は、自然と向き合う形になっていた。
ふっと、路地を抜ける風が吹く。
その拍子に、彼女の金色の巻き髪がふわりと揺れ、月明かりを受けて柔らかく光った。
上品で、どこか現実感のない光景に、リアムは一瞬だけ言葉を失う。
「……こ、婚約って……」
我に返ったように、リアムは頭をかきながら言った。
「いや、ちょっと待ってくれ」
「まず、君は誰なんだ?」
お嬢様はきょとんと目を瞬かせ――
次の瞬間、はっとしたように背筋を伸ばす。
「……あら」
小さく息を吐き、優雅にスカートの端を摘まんだ。
「失礼しましたわ」
一拍置いて、澄んだ声で告げる。
「わたくしはシャルロット・ド・ベルナール。
マルキス家の令嬢ですわ」
その言葉が、路地に静かに響く。
「……」
リアムは一瞬、思考が止まった。
「……マルキス?」
首を傾げたあと、遅れて理解が追いつく。
「……って、それ、侯爵だよな?」
「ええ。そうですわ」
何でもないことのように、にこりと微笑むシャルロット。
リアムは思わず息を呑み――
そして、勢いよく首を振った。
「いやいやいや!?」
「なんでそんな人が、こんな路地裏で絡まれてるんだよ!」
「それは……」
シャルロットは一瞬だけ視線を逸らし、すぐに楽しそうに笑った。
「寄り道、ですわ」
「いやいやいや!」
リアムは思わず声を上げ、慌てて手を振る。
「そんなお嬢様が、こんな路地裏で寄り道って……」
「どう考えてもおかしいだろ!」
「本当ですわ?」
くすっと笑いながら、シャルロットは胸の前で手を組む。
「アルセリオン学院の入試時間まで、少し余裕がありましたの」
「ですから、王都を……ほんの少しだけ、一人でお散歩しておりましたのよ」
「一人で!?」
リアムの声が裏返る。
(この子、あぶなすぎだろ……!)
心の中で思わず叫ぶ。
(その身分で一人歩きとか、
普通に考えてダメなやつだろ……!)
「それよりも――」
シャルロットは、話題を切り替えるように一歩近づいた。
「あなた……」
「結構、腕が立つようですのね」
そう言いながら、
リアムの服の袖を、きゅっと引く。
「……っ!?」
「戦っている姿、とても素敵でしたわ」
「思わず……見惚れてしまいました」
距離が、近い。
リアムの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
「な、なに言って……」
「別に、普通だろ……」
「ふふ。謙遜なさるのも、また素敵ですわ」
そのとき。
「――リアム〜?」
聞き慣れた声が、路地の入口から響いた。
「……!」
リアムは、はっとして振り返る。
露店通りの方から、エレナが歩いてきていた。
「ちょっと、何してるのよ」
「そろそろアルセリオン学院に行かないと、遅刻しちゃ――」
そこまで言いかけて、
エレナの言葉が止まる。
リアムの袖を掴むシャルロット。
顔を赤くして固まっているリアム。
その光景を、しっかりと目に映してしまった。
「……」
一瞬の沈黙。
シャルロットが、ゆっくりとエレナに視線を向ける。
「あら……」
にこり、と余裕の微笑み。
「お連れの方、でしたの?」
「……っ!」
リアムは完全に固まった。
「あっ……しま……」
「こ、これは……!」
次の瞬間。
「――リアムのバカ!!」
エレナの声が、路地裏に響き渡った。
◆
王都アウレリアの大通り。
先ほどまでの路地裏とは打って変わり、人通りの多い石畳を、三人は並んで歩いていた。
――いや、正確には。
リアムは、両腕を取られていた。
「……」
左腕にはシャルロット。
右腕にはエレナ。
どちらも、しっかりと腕を絡めて離そうとしない。
(……歩きづらい)
内心でそう思いながらも、声には出せない。
シャルロットは、楽しそうにリアムの腕に体重を預けながら歩いていた。
その様子を、エレナが横目で――いや、明確に睨んでいる。
「ふふ……」
シャルロットが、わざとらしく微笑む。
「……っ」
エレナのこめかみが、ぴくりと動いた。
負けじと、エレナはリアムの腕をさらに強く抱き寄せる。
「……っ!?」
リアムの身体が、微妙に引っ張られる。
(だから歩きづらいって……!)
そんなリアムの内心などお構いなしに、
シャルロットはふと思い出したように口を開いた。
「そういえば」
ちらりとリアムを見上げる。
「あなた、リアム様とおっしゃるのですね」
「え? あ、うん……」
「リアム様……」
その呼び方に、リアムは少しだけむず痒そうに肩をすくめる。
そして、シャルロットはゆっくりと視線を移し――
エレナを見る。
「それで……そちらの……」
「……子娘?」
「――なっ!?」
エレナが、即座に反応した。
「エレナ・フィオリアって言います!!」
勢いよく、胸を張って名乗る。
シャルロットは一瞬だけ目を瞬かせ、
すぐに柔らかく微笑んだ。
「あぁ……」
「エレナさんも、アルセリオン学院の入試を受けに?」
「そ、そうですけど……!」
エレナは、どこか悔しそうに言い返す。
その間に挟まれ、リアムは小さく頷いた。
「う、うん。二人とも、入試だよ」
「そうでしたの」
シャルロットは満足そうに頷く。
リアムは、少し迷ってから口を開いた。
「えっと……シャルロットも、だよね?」
そう言いかけた、その瞬間。
「――シャル」
シャルロットが、さらりと割り込む。
「シャル、で結構ですわ」
「……え?」
「親しい方には、そう呼んでいただいておりますの」
にこり、と意味深な笑み。
リアムは一瞬、言葉に詰まり――
観念したように頷いた。
「……シャル、も受けるんだね」
「ええ」
シャルロットは、どこか楽しげに言った。
「まさに――運命、ですわね」
その言葉に、
エレナの中で、何かがじわじわと沸騰していく。
(なにが……運命よ……)
リアムは、それを肌で感じ取りながらも、
なぜかエレナの方を直視できずに前を向いたままだった。
◆
アルセリオン学院。
王都の街並みを抜けた先、
視界いっぱいに広がる巨大な建造物を前に――
三人は、思わず足を止めていた。
白い石で築かれた外壁は果てが見えず、
いくつもの塔が空へと突き刺さるようにそびえ立っている。
正門だけでも、ひとつの城のような規模だった。
「……でっか……」
リアムの口から、素直な感想が漏れる。
「うわぁ……」
「なにこれ……学院、だよね……?」
エレナも、ぽかんと口を開けたまま見上げていた。
その横で、シャルロットは満足そうに微笑む。
「ふふ……無理もありませんわ」
ゆったりと、誇らしげに言う。
「ここはアルセリオン学院」
「この世界で、最も大きな学院だと言われておりますもの」
その言葉をきっかけに――
周囲から、ひそひそとした声が聞こえ始めた。
「……見て、あの人……」
「まさか、平民……?」
「え、入試を受けに来たの……?」
視線が、ちらちらと三人に集まる。
「……?」
リアムとエレナは顔を見合わせ、首を傾げた。
そんな二人の反応を見て、
シャルロットはくすっと笑う。
「まぁ……そういう反応になりますわよね」
少しだけ、声を落として続ける。
「普通、この学院に来るのは貴族の方が主ですもの」
「平民のあなたたちが、ここに足を踏み入れること自体……珍しいのですわ」
「……そうなのか」
リアムは、改めて学院を見上げた。
(場違い……ってやつか)
そんなことを考えていると――
不意に、シャルロットがリアムの手を取った。
「……っ!?」
「でも……」
ぎゅっと、指先に力がこもる。
「リアム様は、必ず合格なさいますわ」
「わたくし、そう信じておりますの」
真っ直ぐな視線。
「お……おう……」
リアムは気圧されつつ、なんとか頷く。
その様子を、
シャルロットは一瞬だけ満足そうに見つめ――
ゆっくりと、エレナへ視線を移した。
「……もっとも」
にこり、と微笑みながら。
「あなたの方は……分かりませんけれど」
「……っ!!」
エレナの眉が、ぴくりと跳ね上がる。
「じょーとーよ!!」
ぐっと拳を握り、前に出る。
「あたしだって受かってみせるんだから!」
「なめないでよね!!」
二人の視線が、正面からぶつかる。
――ごうっ。
背景に、謎の炎が見える気がした。
「……」
その間に挟まれたリアムは、
完全にタジタジになりながら、そっと一歩引いた。
――ごつ。
不意に、誰かの身体にぶつかる。
「あっ……す、すみません……」
反射的にそう言って振り返った、その瞬間だった。
視界に入ったのは、
腰まで届く金髪のロングヘア。
整えられた服装は、学院に集まる貴族たちの中でも、ひときわ上質だった。
余計な装飾はない。
それなのに、立っているだけで“格の違い”が分かる。
切れ長の目が、静かにリアムを睨む。
そこに宿る感情は、怒りでも苛立ちでもない。
――無関心に近い侮蔑だった。
「……なんだ?」
低く、冷たい声。
「平民の分際で、俺の前に立つな」
空気が、はっきりと変わった。
周囲にいた受験者たちが、息を呑むのが分かる。
ひそひそとした声が、さっと引いていく。
リアムは言葉を失ったまま、立ち尽くした。
その背後で、
シャルロットの表情が、わずかに強張る。
「……あの方は……」
小さく息を吸い、
いつもの余裕を保とうとしながら告げる。
「レオン・ヴァルディス=アークライト様」
「アークライト公爵――デューク家のご長男ですわ」
その名を聞いた瞬間、
周囲の空気がさらに一段、重く沈んだ。
デューク。
それは、この国における貴族階級の頂点。
学院に集う貴族たちの中でも、
“別格”と呼ばれる存在だった。
レオンは、シャルロットの方を一瞥する。
「……ベルナール家の令嬢か」
名を呼ばず、家名だけで判断する視線。
「お前も、随分と……くだらないものに関わるようになったな」
その一言に――
シャルロットの喉が、わずかに鳴った。
「……っ」
言い返そうとして、
言葉が、そこで止まる。
いつもの余裕のある微笑みは消えた。
このレオンとの出会いが、やがてリアムの運命を――
大きく、静かに、そして確実に変えていくことになる。
続く
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、少し雰囲気を変えて、
ギャグ寄り・ラブコメ寄りで描いてみました。
キャラクター同士の掛け合いを、
楽しんでいただけていれば嬉しいです。
次回からは、いよいよ試験編に入ります。
的当てや模擬戦など、
お馴染みの試験内容が続いていく予定です。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




