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市場をたっぷり楽しんだわたし達は、学園に戻るため歩き出した。辺りは夕闇に染まっても喧騒は相変わらず、人波は絶え間なく揺れていた。そのざわめきの中で、わたしはふと背中にひやりとした感覚を覚えた。
「エット、ダメだよ。僕を見て」
振り返ろうとした、その瞬間ルナの指先が、わたしの頬をむにゅりと摘まむ。
驚いて固まるわたしのほっぺを、今度はやさしく引っ張った。
「これはね、君のかわいらしいほっぺで遊んでいるだけ。戯れだ。エットは後ろを見ようだなんて、これっぽっちも思っていない。そうだね?」
「ひゃ、ひゃい……」
え、なにこれ……なに……?
「おふたりだけ楽しそうでずるいです」
困惑するわたしの横で、アメリアが膨れっ面をする。
「普段通りにしていて」
ルナの声はやわらかいのに、芯がぴんと張っていた。
その気配で、ようやく確信する。
――誰かにつけられている?
「……あの?」
「三人くらいかな。つけられてる」
「ぅえっ!? やっぱり!?」
「大きな声もダメだよ」
「す、すみません……」
アメリアがくすりと笑う。
「ルナ様はわかっていません。ノネット様はむしろこれが自然です」
「………………一理ある」
「そんな『言われてみれば』みたいな顔で同意しないでくださいよ!」
「すまない……普段通りにって言ったのは僕なのに……!」
「はっ!」
「アメリア様、いい加減わかってきましたよ! 『あ。これ、怖がっておけば腕を絡める口実になるのでは?』とか考えてますよね!?」
「いえ、世界の平和の事が気になってしまって」
「なんて雑な嘘を……! というか、ふたりとも少しは慌てて、」
文句を述べようとしてわたしはハッとする。
ルナはさりげなくわたし達の壁になるような位置に移動し、逆にアメリアはできるだけ人々を避けて歩きやすい方向へ誘導してくれていた。
状況をわかったうえで、わたしに気を遣ってくれていたのは明白だ。
「……いえ。ありがとうございます。少し冷静になれました」
「緊張がほぐれたようでよかったよ。心配はいらない。君達のことは僕が命に替えても守るさ」
「怖かったら、いつでも抱きついていいですよ?」
「大丈夫ですから!」
「こんな人目につくような場所で何かしてくるでしょうか?」
「普通なら避けるだろうが、目的次第では……とにかく距離を保ちながら保安官の詰所へ向かおう」
ルナが正面に向き直ったその瞬間。
「止まって」
その低い声に、わたしは息をのむ。
見ると、ルナの顔からはさっきまでの余裕が完全に消えていた。
「僕らに何か御用ですか?」
いつの間にか、人波の先に一人の男が道を塞ぐように立っていた。……どうやら、不審者は後ろの三人だけではなかったようだ。
「こんばんは、王女様」
「……王女? 何を言っているんだ」
「とぼけても無駄ですよ。そのような格好をされていても我らにはお見通しです」
「どういう意味だ?」
「しっかりと"印"をつけておきましたからね。ご同行願えますか?」
ルナの襟元。徽章がわずかに発光していた。
ルナも何か察したのか、そっと徽章に触れる。
……あれは、蛍光塗料……!?
王女……徽章……さっきので入れ替わった?
世界が一瞬止まったような気がした。
――あああああああああっ! わたしのアホ! バカ! これって完全にプロローグのノネット誘拐事件じゃん! なぜ気づかなかった!?
本当はエレオノールとノネットがすれ違いざまにぶつかってふたりの徽章が入れ替わる。
徽章には標的識別用の塗料が塗られていてエレオノールを狙った刺客がノネットを誤認誘拐し、巻き込まれたゲーム主人公が他のヒロイン達と協力してノネットを救い出す……その流れのはずなのに。
まさか、わたしがはしゃいだせいでストーリーの流れが変わったとでも……?
「嫌だといったら?」
「こちらも無用な騒ぎは望みませぬ。"殿下"が大人しくついてきてくださるのなら誰も傷つきはしませんよ」
そう言って男は辺りを見渡す。
「まさか無関係な人達を巻き込むつもりか?」
「さあ、ご想像にお任せしますよ」
わたし達の後ろにいた賊のひとりが、近くの露店の客にさりげなく近づく。刃は見せない。ただ、それだけで“やる気は十分”と言わんばかりだった。
「随分と大それたことを考える。お前たちが何者かは知らないがそんな事をすればこの国にいられなくなるぞ」
「くく……構いませんよ。我らはもとより根無し草。住む場所など、いくらでもありますので」
「なるほど、金を積めば何でもする賊か……いいだろう。だが、このふたりの安全を保障しろ。そうすれば僕は大人しくお前達についていく」
ダメだ。少なくともルナが捕まる理由がない。
ここは誤解を解かなければ。
「ルナさ――」
しかし、ルナは口を挟もうとするわたしを制する。
「ええ、殿下。狙いはあなただけですからね……まあ、しばらく監視はつけさせてもらいますけど」
男が口元を吊り上げ、音もなく笑った。
そして――ルナは夕闇の喧騒の中へと消えていったのだった。




