2:温度差で風邪を引きそうですよ!
街の広場の時計塔前。
わたしは、昨日から楽しみで仕方がなかった「お出掛け」を前に、鼻歌まじりの軽い足取りで待ち合わせ場所へと向かっていた。
今日の服装は、白色のワンピース(元々あった服は着こなせる自信がなかったので、個人的に購入させていただいた)。
動きやすくて、かつ友達と遊びに行くにはちょうどいい華やかさの、いわばピクニック・スタイルだ。
今日の目的は明確。美味しいものを食べて、可愛い雑貨を見て、ルナの悩み事――昨日見せたあの曇り顔を、パーッと晴らしてあげること。
昨日のルナ、なんだか思い詰めてたみたいだし……今日はパーッと屋台とか回って、気晴らしに付き合っちゃうぞ~!
なんて、お気楽なことを考えていた。
……そう、時計塔の下に“それ”を見つけるまでは。
遠目からでもわかる、異質な空気。
休日の喧騒の中、そこだけがモーセの十戒のように人が割れ、静謐な結界が張られている。
そこに立っていたのは、まばゆいばかりの気品を纏った、一人の「王子様」だった。
白のシャツに、深い群青のベスト。隙のない着こなし。
騎士の正装ではないはずなのに、その立ち姿からは高潔という文字が物理的に浮き出て見える。
「……」
わたしは後ずさった。
あれに気軽に声をかけるのは流石に勇気がいる。
どうしようと逡巡していると、こちらに気づいたルナが顔を綻ばせて、手を振ってきた。
わたしはぎこちなく笑顔をつくって手を振り返す。
「ま、待たせちゃいましたかね……?」
ルナはこちらに近寄ってくると、これ以上ないほど真剣な顔で、深々と……そう、まるで謁見の間での礼のように腰を折った。
「今来たところだよ――ma petite reine(僕のかわいいお姫様)」
そして、ルナはすっとわたしの手を取るとその甲に口づけをする。
その光景に、周囲の人たちからどよめきが起きた。
って、――ええええええええええええええええええっ!?
「っえ、あっ!? ルルル、ルナ様ですか!?」
何言ってんでしょうね! わたし! 大混乱ですよ!
「ああ。君のルナだよ」
慌てふためくわたしと対照的に、どこまでも自然体に、ただルナは目の前でかしずいていた。
そんな彼女を見て、逆にわたしは少し冷静になる。
「えーっと……あの……これはどういう……?」
「どう、というのは?」
天然か!? 自分が何をしているのか自覚がないのか!?
あっ、なるほど! 恥ずかしがり屋でも、“恥ずかしいことをしている自覚”がなければ恥ずかしくないってことですね!
「……今日は、ただふたりでお出掛けするだけでは?」
「そうさ。ただ、どうしても君をエスコートしたくてね」
「なるほどぉ……」
うん……めっちゃ恥ずかしいのですが。
それとも、また、わたしをからかっているのだろうか……?
「エット、その服とても良く似合っているよ」
「ルナ様こそ、信じられないくらい様になっていますね……」
「そ、そうか。……君にそう言ってもらえるなら、昨晩から徹夜で服を選んだ甲斐があったよ」
……え、重っ。いや、気合が重いわっ!
若干の皮肉すら込めたつもりなのに、彼女は意に介すどころか衝撃的なことを言う。
わたしが「今日は食べ歩きとかしたいなー」なんて緩い心構えでいたのに対し、ルナの瞳には“命懸けの護衛任務”にでも挑むかのような覚悟が宿っているようだった。
この時点で、わたしの心境との温度差は北極と南極くらいある気がする。
……? 違う! 南極と赤道だ。
どうやら、まだわたしは混乱しているらしい。
「さあ、行こうか。エット、こちらへ」
ルナがスッと左腕を差し出してきた。
肘を軽く曲げた、完璧なエスコートのポーズだ。
「え、えーっと……こう、ですか?」
「ああ……しっかり掴まっていてくれ。人混みが激しいからね。だけど、決して不届き者が君に接触する隙は与えないよ」
不届き者とは? 道行く善良な市民たちのことだろうか?
……今日は、彼女はテンションが少々おかしいようだ。
差し出された腕に手を添えると、ルナの腕が微かに震えているのが伝わってきた。
緊張している? いや、それよりも全神経を周囲の警戒に割いているような気迫のようにも感じる。
歩き出して数分。
ルナのエスコートは「親切」を通り越して、もはや「シークレットサービス」の域に達していた。
向かいから歩いてきた人が少しでもわたし側に寄ろうものなら、ルナはさりげなく、けれど鉄壁の挙動でわたしの前に身体を割り込ませ、鋭い視線で牽制する。
道の端に小さな水溜まりを見つければ、わたしの肩を抱いて華麗に回避させた。
「ルナ様! そんなに警戒しなくても誰もわたしなんて狙っていませんよ!」
いやでも、わたしが男だとして、ノネットがその辺りを歩いていたら声をかけてしまうかもしれない。
中身が残念なわたしであっても、外見だけは超一流なのだから。
「いいや。エット、君は……自分がどれだけ魅力的で無防備か分かっていない。今日の僕は、君を世界で一番幸せにし、かつ、蚊の一匹すら君に寄せ付けないと誓っているんだ」
また、恥ずかしいことをさらりと……。
わたしはただ、あそこの屋台の串焼きから漂う香ばしい匂いに「おいしそー」なんて思っているだけなのに、このギャップはどうだろう。
そんな気恥ずかしくなるようなことを言うルナの横顔は、ふざけているどころか、まるでこれからドラゴンでも討伐しにいく英雄のような決意に溢れていた。
「エット、すこし落ち着いた場所に行こう」
ルナが導いたのは、大通りに面した高級喫茶だった。
入り口には燕尾服の店員が立ち、一見さんお断りのオーラを放っている。
「えっ、ここですか?」
「ああ。君に最高のティータイムを楽しんでもらうために、特別室を予約しておいた」
ルナはスマートな手つきで扉を開け、わたしを中へと促す。
店内に足を踏み入れると、生演奏の弦楽四重奏が心地よい調べを奏でていた。
通されたのは完全な個室で内装は非常に豪奢だった。
だというのに、派手すぎない落ち着いた内装にまとめられているのが逆に“本物”を感じさせて怖い。
席に着くなり、ルナは流れるような所作で店員から渡されたメニューを開き、わたしの好みを完璧に把握した注文を済ませていく。
注文を受けた店員が一礼して退出したのを見計らって、わたしは身を乗り出して小声で尋ねた。
「……あの、ルナ様。無粋なのは百も承知なのですが、わたし、予算の方が……」
店員が持っていたメニューをチラ見した限り、わたしの知る常識的な価格設定から、ゼロがひとつ、いやふたつは多かった気がする。
「エット」
ルナはテーブル越しにわたしの手をそっと取った。
その瞳は、真剣にわたしを射抜いてくる。
「ふたりで過ごす今日この一日は、僕にとって……何物にも代えがたい、特別な時間なんだ。だから、僕にできる限りの『最高』を君に捧げたい……重荷かな?」
結局のところ、本当に彼女が何を考えているかはよくわからない。
だが、『今日は全て僕に任せてくれないか?』と乞うようなその瞳を見て、これ以上小銭の話をするのは本当に無粋だと思い至った。
「……すみません。いえ、違いますね。すごく嬉しいです。ありがとうございます……ル、ルナ」
わたしが精一杯の笑顔でそう言うと、ルナは本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そうか……なら、よかったよ。エット」
……ダメだ。
温度差にびっくりしてたはずなのに、この笑顔ひとつで全部許せてしまう。
たとえ方向性がどれだけズレていようと、この一生懸命なエスコートを全力で楽しむのが、ファンとして、そして友人としての誠意というものだろう。
わたしは覚悟を決めた。
今日一日は、ルナが用意した「シナリオ」に、喜んで翻弄されてやることにしよう。
「じゃあ、ルナ様。次の『お楽しみ』も期待しちゃっていいですか?」
「むう、様付けを外してくれたのは一度きりかい? 残念だ」
「そんなすぐに変えられませんよ! 努力はしますので! それより!」
「ああ……覚悟しておいてくれ。君を、今日という一日の主役にしてみせるから」
さらりと言ってのける彼女の耳が、真っ赤に染まっているのをわたしは見逃さなかった。
このデート、ルナの緊張が保つのか。
あるいは、わたしの理性が保つのか。
共通ルートの平穏を置き去りにして、わたしたちの特別な一日が、本格的に熱を帯び始めていた。
3章から各話にタイトルつけていきます。(1章~2章も順次見直し予定です)
最近忙しく、投稿ペースがしばらく週一くらいになりそうです。
次回は7日以内で……!




