幕間∶あるいは、ローズマリーの赤ちゃん
それはとある日のこと。いつもの生徒会室で。
「今日は礼拝堂の清掃をするんです」
アメリアが楽しげにそんな話題を振ってきた。
「今日って、もしかしてこの後かい?」
ルナがそれに反応を示す。
この後、とは生徒会が終わった後という意味だ。
アメリアは大きく頷いた。
「はい!」
時刻は既に18時。
まだ生徒会の仕事も残っているので、掃除を始められるのは19時を回った頃になるのではないだろうか。
「ひとりで掃除するのか?」
シリルも同じようなことを思ったのだろう。
建物はそこまで大きくないとはいえ、ひとりで掃除をするのはいささか手に余るだろう。
「ご心配なく! はたき掃除をするだけで、その後はお祈りをするんです!」
「確かにそれくらいなら大したことはない……か?」
「はい!」
アメリアはよく生徒会の掃除もしてくれている。
掃除が好きだ、とも言っていたのでこうも楽しげなのかもしれない。
「よければ、お手伝いしましょうか?」
何気なく、そう言った瞬間。
「ダメです!」
アメリアが椅子から立ち上がりながら、バンと机を打った。
「アメリアさん」
「す、すいません!」
無意識だったのだろう。
エレナがやんわりと制すると、ハッとした表情でわたしたちに向けて頭を下げてくる。
「お気持ちは嬉しいのですが、お掃除は10分くらいでぱぱっと終わらせて、あとはお祈りをするだけなので!」
「そ、そうですか」
「埃が舞って健康に良くないので絶対絶対来ちゃだめですからね! 絶対ですよ!」
「はあ……」
結局、その場はアメリアの勢いに押される形で話が終わってしまった。
けれど、寮に戻ってからも、あの時のアメリアの焦りようがどうしても頭から離れない。
「……やっぱり、少し様子を見てこようかな」
一度気になりだすと、じっとしていられなかった。
時刻は20時を回ったところ。
夜の静寂が支配し始めた寮を抜け出し、わたしは校舎の裏手にひっそりと佇む礼拝堂へと向かった。
礼拝堂の重厚な扉の前に立つと、隙間から微かな光が漏れているのが見えた。
もしかして、もうお祈りを始めていただろうか。
だったら邪魔しちゃいけないと思い、わたしは息を潜め、音を立てないようにゆっくりと扉を押し開けた。
「……?」
何十本もの蝋燭がゆらゆらと怪しげに影を落とす中、静かに祈りを捧げるアメリアの姿は、まさに聖女然としていて、息を呑むほどに美しかった。
ただ静かに、敬虔な祈りを捧げるその姿は、名画のような完成された美しさを纏っている。
そう。
きっと、それは何一つ不自然なところなどない、正しいお祈りの光景だ。
――祭壇の中心に、“ノネットに似た人形”が安置されているという一点を除いては。
「……???」
アメリアは変わらず、ただじっと、手を組み瞳を閉じて祈っていた。
ん? あれは、この前捨てたペン……?
よくよく見ると、その周囲には、わたしが使い古して廃棄したペンやハンカチなどが、まるで聖遺物のように整然と並べられていた。
やがてアメリアはゆっくりと目を開けると、壊れ物を扱うような手つきで、人形の額にそっと自分の額を重ねた。
そして、そのまま深く、深く――押し潰すような力強さで、人形を自らの胸の中へとかき抱いた。
その背中が、歓喜に震えているのがわかる。
愛おしくてたまらないというように、人形に頬をすり寄せ、陶酔しきった表情で吐息を漏らすアメリア。
本当に無意識に、わたしは一歩後ずさっていた。
手に掛けていた扉のノブが指から離れ、蝶番がギィ……と軋みを上げる。
その瞬間、アメリアの動きがピタリと止まる。
「……」
彼女は恐ろしい速度でわたしの方を振り向く。
感情の消え失せた目に捉えられると、わたしの体はまるで石化したように硬直した。
え!? こっっっっっっっっっっっわ!? なに!? メデューサ!?
「……あれほどダメだと言ったのに、来てしまったんですね」
そう言うと、今度はひどく穏やかな微笑みを浮かべた。
しかし、目は笑っていなかった。
その絶対零度の瞳からは感情の一切が読み取れない。
「ふふっ」
アメリアは笑い声を漏らすと、素早く懐からハンカチを取り出した。
そして、それに怪しげな小瓶に入った液体を振りかける。
「おやすみなさい。ノネット様」
「え……なに――」
逃げ出す暇もなかった。
アメリアはルナもかくや、という驚くべき速さで距離を詰め、わたしの口元をそのハンカチで塞いだ。
意識を奪うような、強烈に甘い香りが肺を満たす。
視界が急激に暗転し、わたしの身体はアメリアの腕の中へと崩れ落ちた……と思う。
「――っは!」
……ちゅんちゅん、と小鳥のさえずりが聞こえる。
差し込む朝日の眩しさに、わたしはにわかに覚醒を果たした。
「……ん」
見慣れた天井。ここは……自室?
昨夜はたしか、アメリアを追いかけて礼拝堂へ行って――。
「……ゆめ?」
嫌に生々しい感触が残っていた。
アメリアに抱きしめられた時の冷たさや、あの甘ったるい匂い。
けれど、鏡に映るわたしはいつも通りで、身体に異常は見当たらない。
いやいや、あんなの夢に決まっている。アメリアが悪魔崇拝のような儀式をしていたり、信じられない身体能力を披露したり。
わたしは自分に言い聞かせるように息を吐き、いつものように教室へ向かった。
待ち合わせに現れたアメリアは当たり前だが、特に変わった様子もなかった。
そして放課後、いつもの生徒会室。資料をめくる音が静かに響く。
「今日は礼拝堂の清掃をするんです」
不意に。
楽しげな調子でアメリアがそんな話題を振ってきた。
デジャヴのような感覚に、心臓が跳ねる。
「今日って、もしかしてこの後かい?」
ルナがそれに反応を示す。昨日と――夢の中と、全く同じ言葉。
「ひとりで掃除するのか?」
「ご心配なく! はたき掃除をするだけで、その後はお祈りをするんです!」
「確かにそれくらいなら大したことはない……か?」
「はい!」
呼吸が止まり、全身が冷たくなるのを感じた。
全身から嫌な汗が噴き出す。
「僕も手伝おうか?」
ルナが、そう言った瞬間。
「ダメです!」
アメリアが椅子から立ち上がりながら、バンと机を打った。
「アメリアさん」
「す、すいません!」
「お気持ちは嬉しいのですが、お掃除は10分くらいでぱぱっと終わらせて、あとはお祈りをするだけなので!」
「そうかい?」
「埃が舞って健康に良くないので絶対絶対来ちゃだめですからね! 絶対ですよ!」
「君は優しいね。お祈りの邪魔をしても悪いし……気が変わったらいつでも言ってくれ」
「ありがとうございます!」
満面の笑みでアメリアは答える。
「…ア、アメリア様」
わたしが震える声で名前を呼ぶと、彼女は「はい?」と小首を傾げてこちらを見た。
夢で見た、あの冷たい瞳がリフレインする。
アメリアの目がほんの一瞬だけ、獲物を定めるような光を放った気がした。
背筋に、氷を押し当てられたようなゾクリとした震えが走る。
アメリアはわたしの視線に気づくと、さらに深く、慈しむような笑みを浮かべた。
「……いえ……なんでも……お掃除頑張ってくださいね」
「はい!」
結局わたしは、それ以上アメリアに何かを聞くことはできなかったのだった。
1月中は幕間話と1・2章の改稿になると思います。
次回は5日以内に。




