16
夕方、生徒会室。
扉を開けた瞬間、空気が凍っているのが分かった。
いつもなら書類の匂いとインクの匂いがするのに、今日はそれすら薄い。
エレナが会長席に座っている。
背筋は真っ直ぐだが、目元が鋭すぎる。
ルナとシリルもいた。
二人の表情は、どことなく重い。
「戻りました」
声が思ったよりも落ち着いていて、自分でも驚いた。
アメリアは、少し遅れて入ってきた。
目が赤い。でも泣いた痕は拭っている。偉い。いや、偉すぎる。
エレナが封書とは別の紙を、机の上に置いた。
「視察団から、学園へ報告がありました」
淡々とした声。
だけど、その淡々が一番怖い。
「内容は」
エレナは紙を読み上げる。
「『生徒会の一員が来客棟において、賓客の前で酒類に類するものを口にし、規律を乱した』、『その場で破損した高価な茶器について、当事者が不誠実な態度を取った』――以上です」
はじめから用意していたのだろう。
報告の早さに、感心すらおぼえる。
ルナが息を呑んだ。
シリルの拳が、机の端をぎゅっと掴む。
「……ふざけるな」
シリルの声が、震えていた。
エレナは紙を置き、わたしを見る。
「ノネットさん」
「はい」
「……あなたは、どう答えますの?」
一瞬、喉が詰まる。
でも、ここで揺らいだら終わる。
アメリアのために被った罪が、ただの失敗になる。
「……わたしが、やりました」
言葉は、想像以上に簡単に出た。
アメリアが息を呑む。
「ノネット様……っ」
「アメリア様は関係ない」
わたしは、できるだけ穏やかに言った。
「わたしが勝手に……やりました」
エレナは、しばらく何も言わなかった。
ただ、視線だけが鋭い。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……理事会から通達がありました」
紙の端を指で押さえる。
指先が、ほんの少しだけ震えているのが見えた。
「処分は、まだ確定していません。ですが」
そこで一拍置く。
「退学処分を含めて、審議に入るそうです」
空気が、重く沈む。
「……期限があるのです」
エレナが続ける。
「明後日までに、生徒会として説明をまとめ、学園へ提出すること。それまでに弁明が通らなければ」
そこで、一度言葉を区切る。珍しく歯切れが悪い。
エレナの視線が、わたしに刺さる。
「……ノネットさんは、退学となる可能性が高い」
シリルが、椅子を蹴るように立ち上がった。
「そんなの、認められるか!」
「シリル君」
エレナが静かに制す。
怒鳴らない。怒鳴らないからこそ、怖い。
ルナが、唇を噛む。
「……明後日、か」
アメリアは、震える声で言った。
「わ、私が……私が、」
「違います」
わたしはその言葉を遮った。
――悪いのは、わたしが“行く”って言ったこと。
でも、それも言えない。
エレナが、深く息を吐く。
「……時間が足りませんわね……」
ぽつり。
けれどそれは、誰かに向けた言葉じゃない。
机に落とされた視線の先には、紙と、封書と、そして――何もない空白。
「会長……?」
「失礼……なんでもありません。少し考え事ですわ」
ルナが声をかけるとエレナはすぐに表情を整えた。
「明後日まで、ですね」
ルナが唇を噛み、もう一度確認するように呟く。
「ええ」
エレナは淡々と頷いた。
「理事会は、外からの“印象”を恐れています。賓客の顔に泥を塗ったと取られるのを」
それはつまり、いくらこちらが「違う」と叫んでも、“形”が悪ければ負けるということだ。
シリルが苛立たしげに机を叩く。
「じゃあ、どうする。弁明って言っても――何を出せばいい?」
「事実を……積み重ねるしかありません」
エレナは答える。
けれど、その声音には、どこか歯切れの悪さが残る。
……積み重ねる時間がない。
それを、彼女自身が分かっている。
アメリアが、震える声で言った。
「私が……私が壊したんです。だから……」
「違います」
わたしは再びその言葉を否定する。
言い切ったあとで、喉の奥が痛くなった。
エレナはわたしとアメリアを一瞬だけ見て、それから視線を落とした。
「……このままでは、こちらが規律を乱したという一点で押し切られます」
彼女の指先が、紙の端をなぞる。
爪がわずかに白い。力が入っている。
「つまり」
エレナは、言葉を選ぶように一拍置く。
「覆すには、あちらに撤回させるしかありませんわ」
「撤回……?」
ルナが眉を寄せる。
「向こうが、そんなことをするとは思えません」
「撤回させる理由があるなら別です」
「理由って……脅すとか?」
シリルが低く言う。
エレナは答えず、否定も肯定もしなかった。
「自供をとることができるなら……」
「……自供?」
その言葉をルナが拾う。
「……いえ。現実的ではありませんが」
エレナは小さく頷く。
「本人の口から、『茶器に細工をした』『名誉を貶める目的だった』――そう言わせられれば、話は変わります」
わたしは思わず、唾を飲み込んだ。
でも、それは無理だ。
あんな狡猾なやつが、自分から口を滑らせるはずがない。
ルナも同じことを思ったのだろう。
「……会長。それは、さすがに」
室内の温度が下がる。
まるで、結果が決まったみたいに。
そのとき。
「……いや」
シリルがぽつりと言った。
全員の視線が向く。
シリルは腕を組んだまま、険しい顔で続ける。
「勝ちを確信してるやつほど、口は軽くなる」
それは、わたしが茶会で感じたものと同じだ。
「そういうやつは、“語る”んだよ。自分がどれだけ上手くやったかを。相手がどれだけ無力かを。武勇伝ってやつだ」
ルナが眉を寄せる。
「でも、証拠として残せなければ意味がない……そういうのは、酒の席だったり、聞かれちゃまずい人間がいない場所でついうっかりと口にするものだろう?」
「……それはそうだな」
沈黙が落ちる。
八方塞がり。よくよく考えたら、これは“わたし”だけの問題でなく“ノネット”の名誉や立場の問題でもある。
自分自身の浅はかさが憎い。
なんと詫びればよいのだろうか。
「声が……記録でもできたらな」
ぽつりと。シリルが、今度は本当に独り言みたいに呟いた。
――その言葉が、頭の中で弾けた。
記録。
声。
自供。
撤回。
全部が、一つの線で繋がる。
「…………それだぁ!!」
思わず、叫んでいた。
全員がびくりと肩を跳ねさせる。
「ノネットさん?」
エレナが、驚きより先に“警戒”の目を向ける。
けれど、わたしは止まれなかった。
椅子から身を乗り出し、机に両手をつく。
「エレナさま! 反撃、できるかもしれません!」
「……何を考えていますの?」
エレナの声が、少しだけ低くなる。
いつもの“会長の声”だ。ふざけた案なら即座に潰すと言外に態度が滲む。
相手は勝ちを確信している。
勝ちを確信しているやつは、喋る。
そして、喋った言葉は――残せる。
「エレナ様。作戦を提案させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……ふふっ、いつかのことを思い出しますわね」




