15
翌日。
約束の時刻が近づくにつれて、胸の奥のざわつきが増していく。
来客棟へ向かう廊下は、いつもより静かだった。たぶん、視察団が来てから、学園全体がどこか息を潜めている。
アメリアはいつものように背筋を伸ばして歩いている。
だけど、袖口のあたりを何度も握り直す仕草が、緊張を隠しきれていない。
「……大丈夫ですか?」
わたしが小声で聞くと、アメリアは小さく笑ってみせた。
「大丈夫、です。ノネット様が一緒ですから」
それは励ましの言葉なのに、どこか祈りみたいに聞こえた。
来客棟の奥。案内された部屋はこの応接室だ。
普段使わないので当然入ったことはない。
案内役の使用人が、無言で扉を開けた。
「どうぞ。こちらです」
通されたのは、上等な応接室だった。
壁は落ち着いた色の布で覆われ、窓から差す陽光が絨毯の毛足を柔らかく照らしている。
そして中央のテーブルには、白磁のティーセット。
金縁のカップ、細い取っ手、艶のあるティーポット。
部屋の隅には、視察団の護衛らしき男が二人。腕を組み、じっとこちらを見ている。
その視線だけで、もう“お茶会”という雰囲気じゃない。
まるで見世物のようにこちらを眺めている。
「ご足労いただき、感謝します」
ギョームは柔らかな声でそう言い、軽く頭を下げた。
以前よりも丁寧で、礼儀正しい態度。だが、その丁寧さがかえって不自然に感じられる。
「先日は、うちの者が粗相を働いたそうで」
うちの者。
その言葉に、わたしの手首が無意識にきゅっと強張る。
「悪気があったわけではないのです。ただ少々血の気が多く、私も手を焼いているのですよ」
そう言って、困ったように肩をすくめる。
「誤解を生んでしまったのなら、ここでちゃんと話しておきたいと思いましてね」
彼は視線で席を示した。
アメリアが先に腰を下ろし、わたしもその隣に座る。
背後で扉が閉まる音がした。
鍵の音はしない。
けれど、なぜか“閉じ込められた”という感覚だけが残る。
「せっかくですから、ゆっくりお茶でも」
ギョームがティーポットを持ち上げる。
「……しかし、学園は素晴らしい場所ですな」
ギョームはゆっくりとカップを口元へ運びながら言った。
「我が校にはない活気のようなものがある」
褒め言葉。
だが、どこか上から目線に聞こえる。
「やはり、あなた方生徒会の賜物なのでしょうな」
ギョームはカップを口元に運びながら、何気ない調子で言った。
「王女殿下に聖女様までおられて、だというのに気取った様子がなく、規律に厳しく、問題行動にはすぐに対応する」
それは褒め言葉にも聞こえる。
「ですが」
少しだけ、声の調子が変わる。
「外から見たら、少々“悪目立ち”しておりますなぁ」
視線が、わたしたちに向けられる。
「正しいことをしていても、やり方次第で敵を作る」
柔らかな笑み。
けれど、どこか含みのある言い方だ。
アメリアは微笑を崩さずに答える。
「私たちは、学園の規則に従って行動しているだけです」
「もちろんですとも」
ギョームはすぐに頷く。
「だからこそ、今回の件も文化的な“行き違い”で済ませたい」
その言葉に、わたしは内心で警戒を強める。
「うちの者も、悪気があったわけではないのです」
そう言いながら、彼はテーブルの上の銀色の盆を横にずらした。
――その下から、小さな瓶が現れる。
琥珀色の液体。
香草のような匂いが、ほのかに漂った。
「それは……?」
わたしが尋ねると、ギョームは軽く肩をすくめた。
「気分転換のようなものです。茶会には、こういう香りも悪くないでしょう」
笑みは穏やか。
だが、その視線は妙に鋭い。
「さて」
彼はわたしたちを見回した。
「あなた方は、礼儀正しく、真面目だと聞いています」
「……恐れ入ります」
「だからこそ、今日は肩の力を抜いてほしい」
そう言って、わざとらしく周囲を見回す。
「ここには、堅苦しい監視の目もない」
護衛が立っているのに、いけしゃあしゃあとしたものだ。
「ただの楽しいお茶会です」
その言葉が、やけに軽い。
そして、ギョームはふっと息をついた。
「今回はこちらの不勉強でした」
彼はカップを指先で軽く回しながら続けた。
「正直に言えば、あなた方がそこまで大事にするとは思っていなかった」
にこやかな笑み。
「行き違いであったとはいえ、ルールには違反してしまった。ですから、ここで穏やかに話して、手打ちとしたい」
その言葉は、謝罪のようでいて、どこか責任転嫁にも聞こえた。
ただ、こちらに一方的に非があったという言い方でもない。
――痛み分けにしたい、ということだろうか?
もしかしたら、あまりにも身構えすぎていたのかもしれない。
そう思いながらも、わたしは軽く頷いた。
「わたしたちも、これ以上事を荒立てたいわけではありません」
口にしてから、少しだけ胸がざわつく。
これは、正しい選択だろうか?
ギョームは満足そうに微笑んだ。
「そうでしょう。争っても、何も得るものはありません」
その声は柔らかいのに、どこか底が見えなかった。
「今日のところは、和やかに終わらせましょう」
その言葉に、ほんのわずかだけ、嫌な予感が混じる。
そのときだった。
――カラン。
微かな音。
アメリアの肘が、ティーカップの取っ手に触れた。
取っ手が、ありえないほどあっさり外れる。
「――っ」
カップはそのまま床へ落ちていく。
パリン。
白磁が砕ける音が、応接室に響いた。
瞬間、空気が凍りついた。
「……」
アメリアの顔から、血の気が引く。
「す、すみません……!」
震える声。
ギョームはゆっくりと立ち上がり、破片を見下ろした。
「……おお、なんということだ!」
嘆く口調は、あまりにも整いすぎていた。
「その茶器は、王都の工房で特注した一点物だというのに……」
値段は言わない。
だが、高価だということだけは十分に伝わる。
護衛の男が、無言で一歩前に出た。
逃げ場が、消える。
「……どうしましょう」
アメリアの声が、かすれる。
「簡単なことですよ」
ギョームは、瓶を手に取った。
「ここで、楽しい茶会を続ければいい」
栓を少し緩める。
甘く、刺激的な香りが強くなる。
「酒でも、ハーブでも。呼び方は何でも構いません」
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「君たちが“自発的に楽しんだ”と言えば――」
口元が歪む。
「アメリアさんの『不注意で壊してしまった高価な茶器』の件は、不問にしましょう」
――そう来たか。
和解などさらさらする気はなく、狙いは生徒会のスキャンダル。
壊したのを不問にする代わりに、こちらが“素行不良”の証拠を自分で作れと。
茶器も細工していたに決まっている。
しかし、こうも露骨なやり方をしてくるとは。
アメリアが、息を呑む。
「……それは」
拒否しようとした言葉が、喉で止まる。
ここで拒否すればどうなるか――想像がつく。
法外な弁償額を請求してくるか、それをネタにさらにエレナを追い込みにかかるだろう。
だから。
「……わかりました」
わたしは、先に声を出した。
アメリアが驚いた目でこちらを見る。
彼女の不安を少しでも和らげたい。その一心で笑ってみせる。
「ノネット様……?」
わたしはアメリアの目の前の、片割れを失ったソーサーを手に取ると――そのまま、思い切り床にたたきつける。
「……ほう」
ギョームの目が、愉快そうに細くなる。
「わたしがやったことにすればいい」
言葉を選ぶ時間すら惜しい。
「あなたの要求はなんでも飲みます。だから、彼女を帰してください」
アメリアが何か言おうと口を開く。
でも、その前にわたしが首を振った。
――黙って。お願い。
ギョームは、満足そうに頷いた。
「いい覚悟だ。気に入った」
そして、護衛に顎で指示する。
「聖女様を送りなさい。丁重に」
「待って――!」
アメリアが立ち上がる。
でも護衛が、やわらかい所作で彼女の進路を塞ぐ。
「ノネット様っ!」
その声は、今にも泣きそうだった。
扉が開き、アメリアが外へ出される。
最後に彼女が振り返ったとき、わたしは笑って手を振った。
扉が閉まる。
部屋に残ったのは、わたしと、ギョームと、護衛。
「さて」
ギョームは瓶を差し出す。
「“自発的に”楽しみましょうか」
わたしは瓶を受け取り、栓を開けるふりをした。
匂いが強い。頭がくらっとする。
……これは、本当に酒なのか?
でも、考えても仕方ない。
わたしは――わざとらしく笑ってみせた。
「……乾杯?」
「そうだ。乾杯だ」
ギョームが満足げに頷く。
その瞬間、わたしは悟った。
これが、“暴力じゃない”強硬手段。
合法の範囲で、名誉を壊すやり方。
――そして、報告書に残すやり方。
本日は2話投稿します。
16話はほんの少しだけ加筆と最終チェックをするので時間を空けて(正午前後……?)




