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エレナは書類の一枚を取り、机の上に置いた。
背筋を伸ばし、呼吸を整える。
それは生徒会長として、そして王族としての声に切り替わる合図だった。
「まず、これが何なのか、からお話ししますわ」
机を囲むわたしたち一人ひとりに、視線が静かに配られる。
「知っての通り、わたくしは王族です」
一瞬の間を置いてから、エレナは続けた。
「学生の身ですから、直接政務に関わることはほとんどありませんが、外交や儀礼には顔を出す立場です」
その声には、淡々とした現実感があった。
「これも、その延長だと思ってください」
書類に視線を落とし、指先で軽く押さえる。
「内容は、学園の教育制度に対する視察要請です。名目は教育交流と制度研究……学園が関わる以上、取りまとめはわたくしが担うことになりました」
そこで、エレナは一拍置いた。
「視察団は隣国から。人数も少なく、身分としても高い方々ではありません」
その説明に、わずかに空気が緩んだが、次の一言で再び張りつめた。
「ただし、文書上では“賓客として遇すること”が前提になっています」
エレナは顔を上げる。
「……賓客? どういうことだ?」
シリルが眉を寄せる。
「簡単に言えば、特別扱いと外交特権を約束しろ、ということですわ」
「……それは、学園の裁量を超えていないか?」
問いに対し、エレナは迷いなく頷いた。
「ええ。本来なら、完全に管轄外です」
その言葉が、重く落ちる。
「もてなすにしても、学園の予算でどうにかなる話ではありませんし」
書類の端を押さえる指に、わずかに力が入る。
「かといって、無視するのも難しい」
続きは、誰もが察していた。
ルナが、気まずそうに椅子の上で身じろぎする。
「……それって、失礼があったら面倒なことになりますよね?」
エレナは小さく首を振った。
「外交的には、我が国の方が立場は上ですわ。多少の無礼で即問題、というほどではありません」
「じゃあ、何が問題なんですか?」
その問いに、エレナは肩をすくめるように微笑んだ。
「特に何も。せいぜい、わたくしの評判が地に落ちる程度ですわね」
あっけらかんとしたその軽い言い回しが、かえって重い。
「そのくせ、組んでいる予算は雀の涙。まさか、学園の予算は使えませんし、わたくしの私費で賄うか……あるいは」
そこで、エレナは言葉を切る。
「ジュリアン様に泣きつく、とか……?」
わたしの言葉に、エレナがゆっくりと視線を向ける。
「あら、ノネットさん。『泣きつく』だなんて、おもしろい言い回しをしますのね」
冗談めいた微笑みの奥には明確な棘があった。
「抗議する、でした! お詫びして訂正いたします!」
「ですが、どうしてそんな無理な条件を? お話を聞く限り、そこまで気を遣う必要があるようには思えませんが……」
アメリアが、控えめに問いかけた。
エレナは一瞬だけ視線を逸らし、それから口角を上げた。
「……では、事情通のノネットさん。どうしてだと思います?」
「えっ!?」
突然振られて、思わず声が裏返る。
「わ、」
「『わかりません』なんて言ったら、あとで二人きりで面談ですわよ?」
完全に先回りされた。
「――わたしの推測ですが、ジュリアン様からの嫌がらせ、ではないでしょうか……」
「ご明察」
エレナは、あっさりと肯定した。
「使われている印章は兄個人のものです。法的な拘束力はありませんけれど……これは、とても厄介な紹介状というのが適当でしょう」
「ああ……つまり、勝手な約束だけ取り付けて、あとは会長に丸投げしたと」
「ありていに言えば、そういうことですわね」
「それでも、突っぱねることはできなかったんですか?」
「できなくはありませんでしたけれど、視察そのものに正当性はあります。兄に好き勝手されて、こちらの手が出せなくなるくらいなら……という、消極的な判断ですわ」
エレナは、静かに言い切った。
「結果、わたくしが引き受けることにしましたの」
エレナは、書類を揃えると、わずかに顎を引いた。
「以上がこの件の概要ですわ」
一度、言葉を切る。
「性質上、この件について、貴方たちにできることはありません」
きっぱりとした断言だった。
そして、それはどうしようもなく正論だとも思えてしまった。
「視察対応と交渉は、わたくし一人で引き受けます。その間、生徒会の通常業務については、少々ご迷惑をお掛けすることになるかもしれませんが」
あくまで穏やかな口調。
だがそこには、踏み込ませない線が引かれていた。
反論を許さない、王族としての判断。
「……以上ですわ。質問は?」
一瞬、誰も言葉を発さなかった。
関与は不要。
それが、エレナの答えだった。
「……了解した」
最初に口を開いたのは、シリルだった。
その声には、不満と納得が混じっている。
「通常業務の引き継ぎについては、こちらで整理します」
「ありがとう。助かりますわ」
ルナも、軽く肩をすくめる。
「まあ、会長がそう言うなら僕たちは従うまでです」
「ええ。この件はすべてわたくしの責務なのですから、最初から貴方たちが気にかける必要はありませんわ」
エレナの横顔を見る。
こちらに視線を向ける気配はない。
「エレナ様」
「なにかしら、ノネットさん」
「……通常業務、少し多めに引き受けます」
「私もお力になります!」
アメリアがわたしの言葉に続く。
エレナは一瞬だけ目を細め、それから微笑んだ。
「皆さん、お気遣いありがとうございます」
ここで踏み込めば、彼女は拒むだろう。
彼女の性格を思えば、感情論で手伝いたいといったところで却下されるのは目に見えている。
だからこれ以上は、踏み込まない。
けれど――。
会議が終わり、皆が席を立ち始めたとき。
シリルと、ルナと、アメリアの視線が、わたしに集まった。
言葉はない。
けれど、同じことを考えているのが分かる。
エレナを直接説得することはできない。
でも、きっと何か力になることはできる。
『この件はすべてわたくしの責務なのですから』
その言葉が、耳の奥に残っていた。
結果がどうなったのか。どう処理されたのか。
わたしたちは知らされない。
介入せず、すべてエレナに任せていれば、表向きはうまくいくのだろう。
視察は無事に終わり、学園も混乱しないはずだ。
――少なくとも、表向きは。
描かれなかった真実があるとすれば。
彼女はこの件を『解決した』のではなく、すべて飲み込み『自分を削って』やり過ごしたのではないだろうか?
脳裏に、あの光景が浮かぶ。
政争に敗れ、王都を離れ、離宮へと追われた彼女の姿。
毅然とした笑顔の裏で、すべてを飲み込んだ結末。
もちろん、この件が決定打になることはないはずだ。
後の選択肢次第で、運命はどちらへでも転びうる。
けれど、逆に言えば。
ここでわたしが介入し、彼女の負担を減らしたところで、大勢に悪影響はないのではないだろうか。
まだ、迷いはある。
それでも、もしそうであるならば。
陰で独り削り取られる彼女のために、何かをしてあげたいと、わたしは思うのだった。
次回は少し空いてしまうかもです。
遅くとも5日以内には投稿したいとは思っています……。




