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「……し、失礼しまーす」
寮監に事情を説明し、鍵を開けてもらってから、そっとアメリアの部屋に入る。
事前にシリルが話を通してくれていたのだろう。余計な詮索もなく、静かに通された。
小さく息を整え、室内へ足を踏み入れる。
ノックをしても返事はない。
やはり、もう眠っているのだろう。
夕暮れの光が、厚手のカーテン越しに淡く滲んでいる。
薄橙色に染まった部屋は、静かで、なぜか、少しだけ落ち着かない。
ベッドに近づくと、アメリアは静かに眠っていた。
布団を胸元までかけ、浅い呼吸を繰り返している。
「……やっぱり、辛そう……」
近づくだけで分かる。
頬は熱を帯び、額には薄く汗がにじんでいた。
そっと、額に手を伸ばす。
「……っ」
指先に触れた肌は、思っていたよりずっと熱い。
相当無理をしていたのだろう。
倒れないほうがおかしかったのかもしれない。
椅子を引いて腰を下ろし、熱に浮かされる彼女を案じながら、そっと手を引こうとした。
「……おかあ、さま……」
ふいに漏れたかすかな寝言に、思わず息を呑む。
あまりにも無防備で、弱々しいその声が、胸の奥をちくりと刺した。
布団の中で、アメリアが小さく身じろぎする。
何かを探すように、その指先が力なく宙をさまよった。
わたしは反射的にその手を取り、布団の上へと戻してやる。
……そうだ、忘れていた。
彼女は幼い頃に聖女として見出され、母と引き離された。そして、その母とはもう二度と会えない。
――物語の設定として知っていたはずのことが、今はひどく現実味を帯びて胸に落ちてくる。
気がつけば、また無意識に手を伸ばしていた。
熱に浮かされる頬へ触れる直前、アメリアの指が、きゅっとわたしの指に絡む。
「……だあれ……?」
眠りに落ちたままの、幼い声。
「……ノネットです」
囁くように、名前を告げた。
「ノネット……さま……?」
彼女はゆっくりと、わたしの手の方へ身体を寄せてきた。
まるで、そこが一番安心できる場所だと信じて疑わないように。
ぼんやりと開いた瞳が、こちらを捉える。
焦点は定まっていないけれど、確かに、わたしを捉えていた。
「……そばに……」
掠れるような、必死な声。
言葉の意味を噛みしめるより先に、細い指がわたしの袖をつまんだ。
逃がさないとでも言うように、微かに力がこもる。
「……そばに、いていただけませんか……?」
拒む理由なんて、考えつくはずもなかった。
「今夜は……ここにいますよ」
そう答えると、アメリアは安心したように吐息を漏らす。
――けれど、それで終わりではなかった。
彼女は、さらにゆっくりと距離を詰めてくる。
「……隣で……」
「え?」
「……添い寝、してください」
か細く、けれど明確なそのお願いに、思考が一瞬で真っ白になる。
「……はっ! えっ!? え、えっと……!?」
我に返ると、情けない声が漏れていた。
あれれー? 添い寝なんてイベントあったかな……!?
いや、断言できる。共通ルートはスキップしがちだったけれど、さすがにこれは記憶にない!
「あの、その」
近い。近すぎる。
顔の距離も、吐息の温度も、触れ合う熱も。
逃げ出したい。だって、このままでは、どうにかなってしまいそうなのだ。
「……だめ、ですか……?」
潤んだ瞳で見上げられて、思考が止まる。
それは、反則でしょう……!
「い、いえ! だめじゃないですけど……その……!」
「お友達……ですから……だめ、ですか……?」
「そ、それは……」
「……お嫌ですか?」
間髪入れず、追い打ちがかかる。
「い、いや! 嫌じゃないですけど! そうじゃなくて……!」
抵抗を試みるものの、距離は縮まったままだ。
「……一緒に、いてくれませんか?」
距離、ゼロ。
「……っ」
――だめだ。
これは、完全に押し切られるやつだ。
「……ほ、ほんの少しだけですよ!? 本当に、少しだけですからね!?」
「……はい」
わたしが半ばヤケクソ気味に叫ぶと、アメリアは満足げに目を細めた。
そして安心しきったように、ゆっくりと瞼を閉じる。
カーテン越しの色は、いつの間にか橙から深い藍へと溶け落ちていた。
わたしは受け入れた手前、仕方なく布団の端をめくり、アメリアの隣に横たわる。
同じ布団に入った瞬間、ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐった。
すずらんの花のように、控えめで、やさしい香り。
「……あ、暑くありませんか、アメリア様……?」
呼びかけても、もう言葉での返答はない。
代わりに、穏やかな寝息と、こちらに体をすり寄せてくる柔らかな感触。
――あ、猫だ。完全に、甘えるときの猫だ。
そう思った瞬間、指先が吸い寄せられるように動いていた。
そっと、乱れたアメリアの髪に触れる。
「……ん……」
すると、喉を小さく鳴らして、彼女はさらに距離を詰めてきた。
「ちょ、ちょっと……!?」
慌てて身を引こうとした、そのとき。
「ぎゅう……」
逃げ場を塞ぐように腕を回され、胸元に顔を埋められた。
いつもなら、どこか冗談めかして触れてくる彼女が今日は、ただ縋るように、わたしにしがみついてくる。
「……あたたかい……」
くぐもった声が漏れる。
「ノネットさまの色は……ほんとうに……」
その言葉に、ふと胸の奥がひやりとした。
――この世界で、ただひとつのファンタジー。
アメリアは“聖女”だ。
人の嘘や悪意を見抜く力を持っている。
正確には――魂の揺らぎや色を、感じ取る力。
なら、今この距離で。
心臓の鼓動まで伝わるような、この触れ合いの中で。
彼女には、わたしが“何者なのか”も、見えてしまっているのではないか。
そんな不安が、一瞬だけ脳裏をかすめる。
「……おかあさま、みたい……」
ぽつりと落ちた言葉に、思わず息を止めた。
けれど、アメリアは目を閉じたまま、心底安心しきったように、ふっと微笑む。
「……やさしくて……あったかくて……」
その声には、探るような響きも、疑うような色も一切なかった。
ただ、眠気に溶けた、純粋な感情だけがそこにある。
――ああ。そういう意味じゃ、ないんだ。
彼女が見ているのは、正体でも、違和感でもなくて。
ただ、“今ここにいるわたし”なのだ。
そう思った瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、すとんと腑に落ちて、ほどけていった。
じんわりと広がっていく温かさに、もう、逃げたいとは思わなかった。
「……だいすき」
囁くような声。
そこに計算はなく、ただ安らげる場所に辿り着いた幸福感だけが溢れていた。
きっと、深い意味なんてない。
けれど、わたしは何も言わず、その小さな体温をしっかりと受け止める。
拒む理由なんて、どこにもなかった。
「……すぅ……」
やがて、規則正しい寝息が聞こえ始める。
熱はまだあるけれど、さっきまでの苦しそうな様子はもうない。
「……おやすみ、アメリア」
――ただ、二人だけの、静かな夜が流れていく。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
どうでもいい予告ですが、1月中のどこで1章の文章の改稿を行う予定です(改めて読み返すと少々読みづらく……)
セリフ回しに変更はあるかもしれませんが、話の流れは変わりませんので、お時間とご興味があれば、ぜひ。改稿が終わりましたら、改めて後書きなどでお知らせします。




