13
夜半、寮の医務室は静かだった。
煎薬の香りと石鹸の匂いがまだ残り、夜の冷えが白いシーツに籠っている。
エレオノールは「あとで戻る」と言い置いて席を外している。アメリアは教会に呼び出されて不在だ。
わたしはルナの脇腹を清拭し、湿布を貼り終え、今は二人きりで向かい合っている。
「今日、安静にしていれば、明日からはふつうの生活に戻っていいそうです」
ルナの怪我の具合は、打撲と擦過傷だけだった。骨に異常はないと聞き、わたしはようやく胸をなで下ろした。
「よかった。数日鍛錬できないと取り戻すのに苦労するんだ」
「ふ・つ・う・に! 生活する分にはですからね!? 鍛錬は普通じゃありませんから!」
「いやしかし、僕にとって鍛錬は日常的にやっているものだからね」
「ダメですよ!」
「努力する」
「努力じゃなくて遵守でお願いします! いい加減にしないと怒りますよ!?」
「じょ、冗談だよ」
本当にわかっているのだろうか、この人は。
「いっ……!」
不意に脇腹を指先でつつくと、ルナは痛みで涙目になっていた。
「ダメですからね?」
「……はい」
ルナはしょんぼりとうなだれた。
……可愛い。
「ねえ、エット」
「はい?」
「さすがに気づいてるよね?」
「なんのことですか?」
「……僕が――女だって」
わたしはベッド脇で丸椅子に腰を半分だけ落とし、ルナの毛布の端を直した。きっとすごくぎこちない動きをしていたことだろう。
わたしにしてみれば最初から知っていたことではあるけど、ルナにとっては重大な秘密だ。
……でもよく考えたら、先ほども特に隠すそぶりもなく、素直に体を拭かせてくれた……。
「まっ……またまた。お戯れを」
「『わたしのヒロインを傷つけるな』」
「ぎ、ギクゥ!」
「『今はわたしがルナ様の騎士だから』」
「か、からかわないでください……」
ルナはふっと目を細める。
「……ふふっ。嬉しかったよ」
「も、もう!」
少し間を置いて、ルナが姿勢を正した。
「ふたつ、いいかな?」
「はい」
「このことは、ふたりだけの秘密にしてくれないかい。家の事情だ。察してくれると助かる」
「もちろんです! 口外なんて絶対しません!」
「ありがとう。もうひとつは――」
ルナは顔を伏せ、頬にうっすら色を差した。
手をついて、少しだけわたしに体を寄せる。
「エット」
「はい」
なんだろうか。ルナにしては妙に歯切れが悪い。
「……質問、ひとつ」
たっぷりと溜めてから、囁くように。
「――好きな人、いる?」
「えっ」
コン、コン。
扉が二度、控えめに鳴る。
「失礼いたしますわ」
月明かりを背に、エレオノールが入ってきた。制服の上には薄いショール。
腕には、厚みのある革張りの書類ファイル。見た瞬間、直感が告げた――悪い予感の形だ。
「診立ては?」
「打撲だけです! 安静にしていれば回復します!」
「……モントルヴァル卿? なにをそんなに慌てているのかしら?」
「いえ、なんでもないんです!」
「まあ、よいでしょう。大事ないのなら、安心しました」
小さく頷くと、エレオノールは椅子を引き寄せ、わたしの正面に腰を下ろした。
目線の高さが同じになる。逃げ道がふさがる。
「さて、本題に入りますわ。ノネットさん」
来た。正直、まともな言い訳も思いついていない。
それは死刑宣告に等しい。
「本日の件、報告書の作成や後処理……山のようにやることがあります。そこで」
革ひもが解かれ、書類が机に置かれた。上から順に、綴じ紐、朱の校印、そして任命書。
「ノネット・メリヴィエルさん。貴女を生徒会書記に任じます。以上」
「……はい?」
「生徒会。つまり、わたくしの監督下ということですわ」
エレオノールはにっこりと笑う。
「ま、待ってください! わたし、生徒会なんて――」
いや、でも生徒会加入は正しいシナリオの流れだからいいのか……?
「え、えっと、その“知識”の出どころは……」
「わたくしも考え直しましたの。なにか話しづらい事情があるのでは?」
「話しづらいというか、説明が難しいといいますか」
「どのみち、この件の関係者であるあなた達をそのままにしておけませんので、全員生徒会に入ってもらうことにしましたわ」
「僕もですか?」
「はい。ちなみにあなたは副会長です」
ルナはほんの少しだけ考え込むそぶりを見せて。
「Oui, Votre Altesse(仰せのままに。殿下)」
「賢明です」
「えっと、つまり」
「貴女のことを追及はしませんが、代わりにわたくしにも協力してもらいたいということです」
「……本音は?」
「飼い殺しにするにしても、脅して支配するより、恩を売って仲良くする方が士気が高まるでしょう?」
「そんなことだと思いましたよ!」
「あら。わたくしの事をよくわかっているのね。それも例の”知識”かしら?」
「……黙秘します」
やさしくにこやかな調子なのに、相手の弱点をついて逃げ場を奪う容赦ないやり口。
まさに完全無欠の生徒会長・エレオノールその人である。
「もちろん、ただ縛るだけではありませんわ。何かと便宜を図るつもりです。後悔はさせません……差し当たり、」
エレオノールは次の紙束を差し出す。「特別食券支給」「資料閲覧許可」「門限の弾力運用」。
そして小さく、さらりと――。
『学費半期免除』
これは、あまり裕福ではないノネットちゃんの家計にはとても嬉しい提案なのでは?
正しいシナリオの流れなのだし、ここはもう腹を括ろう。
「……は、入ります」
負け犬みたいに縮んだ声が出た。
ルナが咳払いで笑いを誤魔化す。
「よろしい。では、改めて明日顔合わせをしましょう」
あと1話で1章完結です。2章の前に幕間も投稿予定です。




