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倉庫内の保管エリアへと踏み込んだ。
天井近くまで積み上がったラックが視界を遮り、木箱や反物が迷路のように立ち並んでいる。
残念ながら全体を一望することはできなかった。
エレオノールたちが時間を稼いでくれているとはいえ、ここで悠長にはしていられない。
見張りが全員出払っている保証もなければ、戻ってくるタイミングも読めないのだ。
とにかく、早々にルナの居場所を見つけなければ。頼りになるのは、やはりゲームの情報だ。
だが、やり込んでいるとはいえ、細部の描写まで完全に覚えているわけじゃない。
『青空』には次の選択肢までスキップする機能があったから、変化の少ない冒頭は飛ばしてしまうことも多かった。
それでも思い出せ、わたし。
ノネットがどこに捕まっていたのかを。
「……確か、ベッドに寝かされていたはずだ」
そうだ。文章では淡く触れられているだけだったが、一枚絵では手足を縛られ、ベッドに横たえられていた。
ならばどこかの部屋だ。さっきの事務所ではないなら――休憩室!
ぐるりと周囲を見渡す。
「あそこだ!」
視線を上へ滑らせる。倉庫の上部、中二階になっている区画。
簡易構造の壁で仕切られた、小さな部屋が見える。
小部屋へと続く階段に向かって駆け出す。足がもつれ、膝を打った。
痛い。けど、そんなもの気にしていられない。
手すりを掴み、一段飛ばして段差を駆け上がる。
一秒。いや、一瞬でも早く。
扉の取っ手を掴むが、動かない。鍵が掛かっている。
先ほど手に入れた鍵束を取り出す。
5つある鍵を1つずつ――。
1つ目、刺さらない。
2つ目、回らない。
3つ目――開いた!
「ルナ!」
開け放した扉、その正面。彼女はそこにいた。
それを認めた瞬間、視界がにじむ。
そこにいる。無事に、ルナがいる。
「よかった……」
安堵に、へたり込みそうになるのをぐっと堪えて彼女へと駆け寄る。
薄い毛布のかかった簡易ベッドに、ルナが横たえられていた。両手は頭上でベッドの柵に、両足は脚部に、それぞれ荒縄で固く縛められている。
口は塞がれていないが、動けば軋む音が響くよう仕組まれているのか、ベッドの骨組みがいやらしく鳴った。
「……エット? ……どうして君が……」
憔悴した様子ではあったが、幸いにして外傷などは見当たらない。
「すぐ解きます」
縄の末端は慌てた結び。ループの向きだけは厄介だ。素肌に触れる箇所は短剣を使わず、ほどく。
手首側の結びを指先でほぐし、輪に指を引っ掛けて一気に引く。三呼吸で両手、二呼吸で足首。最後に膝元の補助縄だけは短剣で切り落とす。
相当きつく縛られていたのだろう、手首には縄の跡が残っていた。
無意識にその手を取り、自分の額に押し当てた。
感情は渦を巻くのに、言葉だけが出てこない。喉の奥で熱い息だけが震えた。
「……ごめん」
ようやく漏れたのは、そんなちっぽけな謝罪だけだった。
自由になった瞬間、ルナが上体を起こし、わたしの手をそっと握り返す。
驚くほどやさしい力だった。
「どうして君が謝るんだい?」
「わたしのせいで、こうなったんです! だから、」
言い終えるより早く、笛の鋭い合図が倉庫の空気を裂いた。
「見つかってしまったようだね」
「走れますか? ルナ様」
「もちろん」
二人で小部屋を飛び出したところで、ちょうど男たちが倉庫の入り口からなだれ込んでくるのが見えた。
「行くよ!」
階段へ駆け込む。が、下からも足音。2人。外に出るにはこの階段を降りるしかない。
選択肢はない。突破するしか……。
「観念しろ!」
男が吠え、刃を突き出す。
対峙するようにわたしも短剣を構えるが、自分でも震えているのが丸わかりだった。
「ほら、受け取れ!」
ルナは素早くわたしから短剣を取り上げると、男に短剣を軽く投げ渡した。
「お、お?」
男は間の抜けた声をあげると、素直に放り投げられた短剣を受け止めようと手を前に伸ばす。
瞬間、弾かれたようにルナが動く。わたしの前に飛び出すと、男の腹に目掛けて華麗な足刀蹴りを叩き込んだ。
「ぐえっ」
カエルがつぶれた時のような声をあげて男が白目を剥く。
そのまま吹っ飛んで、後ろにいたもうひとりの男ごと階段から転げ落ちた。
「こういう緊迫した状況でも、物を投げ渡されると意外と無意識で受け取ってしまうものさ」
圧倒されていると、ルナは事もなげに言ってわたしの手を引いた。
階段を駆け下り、人影の薄い通路を選んで走る。自然と、さっき潜って来た事務所。隠し通路のある方角へ。
よし。最悪でも、あそこから逃げ切れる――
「エット!」
名を呼ぶ声と同時に、ルナの腕がわたしの肩を抱き寄せた。
次の瞬間、空気が裂ける。ヒュン、と鋭い風切り音。さっきまでわたしの頭があった位置をボルトがかすめ、背後の板壁にドスと突き刺さる。
木屑が霰のように降り、床にぱらぱらと跳ねた。
「っ……!」
ルナはわたしを庇うように倒れ込んだ。
そのまま無理な体勢で転がったせいで、彼女の脇腹が床の角に強く当たったらしい。浅い息が、熱く震えていた。
「ルナ様!? 大丈夫ですか!?」
「だ、いじょう、ぶ」
無理やり笑顔を見せていたが、明らかに大丈夫な様子ではない。少なくともすぐには動けなさそうだった。
「見つけたぞ」
通路の影から、クロスボウと剣を構えた男たちが現れる。
「嬢ちゃん、そこで大人しくしてな」
喉の奥がひゅっと縮む。それでも、わたしは立った。
ルナを背に隠し、両腕を広げる。
「来るな!」
にやつく男。クロスボウが持ち上がる。
胸のどこかで、何かが切れた。
「ふざけるな……!」
声が勝手に、燃え上がる。
「わたしの大事な人を……大好きな人を! わたしのヒロインを、傷つけんなあああああああっ!!」
自分の声が倉庫に跳ね返り、一瞬だけ誰も動かなかった。
背中で、ルナが小さく息を呑む気配がした。
「勇ましいな、嬢ちゃん。まあ大人しくしな、ケガしたくないだろ?」
男たちが失笑し、唇を歪めた。
「でなきゃ、」
ガコン。
金具の外れる音。続けて、壁際の資材棚が“勝手に”こちらへ傾いた。
鎖が跳ね、木箱が雪崩のように崩れ落ちる。
「うわっ!?」
「押さえろ、押さえ――ぐっ!」
埃が大量に舞い上がり、世界が薄暗くかすむ。
「こっちだ!」
視界が黒く煙り、その裂け目に煤けた外套の影が立つ。
掴めと言わんばかりに手が伸びた。
「はやく!」
何者かはわからないが、少なくとも敵ではない。今は藁にでもすがりたい。
わたしはルナを支え、差し出された手を掴む。
外套の人物は無駄のない身振りで先導し、崩れた木箱の隙間を足先で寄せながら、脇通路へ滑り込んでいく。
「息は? 歩けるか?」
「……ああ」
若い男の問いに、ルナが短く応じた。
いつの間にか、彼女の指がわたしの袖をつまんでいる。
「あなたは……?」
「いいから行け、まっすぐ進めば仲間と合流できるはずだ! ここは俺がなんとかする!」
「う、うん……あの、ありがとう!」
気になることは山ほどあるが、気迫に押されるように足が動く。
走り出す直前、袖口をつまむ指に、わずかな力がこもった。
「……エット」
言葉にならないものが、そこにある。
わかる。彼女だって、不安なのだ。
「大丈夫、今はわたしがルナ様の騎士だから!」




