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――ここだ。
倉庫群の外れ、石垣の陰に半ば埋もれた鉄格子の蓋がある。下水道に降りる入口だ。
正直、ゲームで描写されている情報なんて限られている。
特に地形や細かい位置関係なんて、きちんと描かれていないことのほうが多い。
この入口だって、ゲーム中の断片的なワードからなんとなくこの辺りという程度の情報しかなくて、全力で走り回ってようやく見つけたのだ。
腐食が進んでボロボロになった蓋をなんとか外し、梯子を降りる。
一番下に足がついた瞬間、ひやりとした水が足首を撫でた。もっと酷い臭いの汚水に腰まで浸かる覚悟をしていたが、幸いにして水位は低い。
思ったよりも狭い。小柄なわたし(というか、ノネットちゃん)でも、少しかがまないと進めないほどだ。
当然ながら、明かりはない。
冷たい煉瓦の壁に手を沿わせ、川とは反対方向へと、ただひたすら進んでいく。
ノネットが捕まっていたときの彼女視点での描写は、ゲーム中には存在しない。
救出時、彼女は傷ひとつなく、縄で拘束されているだけだった。
何もされなかったのは、ノネットが気絶していたうえに、エレオノール本人だと思われていたからだ。
それに比べて今回は、自らついて行き、会話できる状態のルナ。
同じ扱いをされている保証なんて、どこにもない。
なにより、わたしは本当にルナを助け出せるのだろうか。
もし運悪く侵入するところを発見されたら?
もしルナが意識を奪われていたら?
もし足を折られ、動けない状態だったら?
暗闇の中、可能性だけがどんどん悪い方へ膨らんでいく。
ダメだダメだ! それでも、何もしないなんて選択肢は存在しない!
……。
…………。
どれくらい歩いただろうか。
目的地からは直線距離で精々2、300mくらいしか離れていないから、精々10分そこらしかこの中にはいないだろう。
だけど、感覚的にはもう1時間くらいはこの中にいるようだった。
不意に、額に当たる空気が変わった。
油の匂い。灯りだ。前方、煉瓦の目地に、紙一枚ほどの細い光が差している。
光のもとにたどり着くと、降りてきた時と同様の梯子があった。
ゆっくりと、音と息を殺して梯子を登る。
梯子の上端、掌に古い木の感触。蓋だ。
押し上げるときの軋みが怖くて、指の腹で板の端を探る。
引っかかる部分を見つけて、ひと呼吸ぶんだけ持ち上げてみる。幸いにして抵抗は感じず、軋みも少ない。
ゆっくりと蓋を押し上げ、視線だけを先に滑らせる。
ありがたいことに、そこは荷物の陰になっていた。おそらく、部外者が簡単には見つけられないよう意図的に設けられた死角なのだろう。
ここから先は、もう戻れない。
完全に外に這い出してから、今度は荷物の裏から倉庫内を見る。どうやら、ここは倉庫の事務所のような場所らしい。
「ぐぉおおおおおお! ぐぉおおおおおおお!」
「!」
驚きで声が出そうになり、咄嗟に手で口をふさぐ。
警戒しながら音のする方を見ると、机に突っ伏す男がいた。
どうやら、イビキらしい――ふざけんな!
バインダーを持ってたら思いっきりシバいてやりたい気分になる。
よく寝入ってはいそうだが、極力わたしは足音を殺して男に近づく。
机の上に投げ出された帳簿、インク壺、紙束、それに鍵束。男の手の届く位置には短剣まで転がっている。
乱雑なのに、必要な物だけ妙に近い。
これは色々と使えるのでは?
机から鍵束と短剣だけそっと拝借する。
「……」
よく考えたら、人生初の窃盗だった。すごい自己嫌悪である。
いや、悪人から盗むわけだから義賊的なそれだよね! ……だよね?
静かに視線を巡らせる。正面の扉は通路に繋がっているようだ。
扉を開け、左右を確認。倉庫なだけあって、隠れられる場所は多そうだった。
素早く飛び出すと、手近にあった木箱の裏へと再度隠れる。
箱と箱の隙間に身を縮めて、警戒する耳に全神経を集中する。
すると、足音。
徐々にこちらに近づく靴音が、ついにすぐ近くを横切る。
息が止まる。
喉がひゅっと縮んで、呼吸の仕方も忘れそうになる。
「こいつまた居眠りこいてやがる……あれ? さっき扉、ちゃんと閉めたよな?」
君のように勘のいい見張りは嫌いだよ!
キョロキョロと周囲を見渡し、そしてなぜかこちらに向かってくる。
まずい、明らかに不審がっている。木箱の裏くらい確認しそうな勢いだ。
どうする!? 意識も思考も、心臓の音に全部押し流され――
――その瞬間。
ドンッ!!
壁が震え、内外から怒号が巻き起こる。
「なんだ!?」
「火事か!? 煙出てんぞ!!」
「おい消火道具はどこだ!」
「こっちの燃え移るんじゃねえのか!?」
隣の倉庫だ。
いや、わかる。彼女たちだ。
それにしてもなんて派手なことを。
「うるせぇ、誰でもいいから急げ! こっちに燃え移ったらことだぞ!」
揉めながら、皆が外へ駆けていく音がする。
当然、目の前の男も弾かれたように火災現場に向かっていった。
足音が遠ざかって、静寂が落ちた。
わたしは、喉の奥で息を吸い込む。
「た、助かった~」
いや、そんなことより折角、表のみんなが作ってくれたチャンスだ。
早くルナを救出しなくては!
わたしは思い切って駆け出した。
一瞬だけ見えた事務所の中では、さっきの居眠り男がまだイビキをあげて眠っていた。




