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街の東区画には第二次産業の工場や施設が多くある。元々は労働者街だったのが時間の経過と共にスラム化した。
(と作中では描写されていた。この界隈は後々も絡むけれど、今は割愛する)
だから当然、治安は良くない。夜ともなれば誰も近づかず、昼でも薄暗い路地には浮浪者と野良犬が住みついている。
特に川沿いの倉庫群には、今では使われていない建物も多く、半ば廃墟と化しているものも少なくなかった。そのため昼間でも人通りはほとんどなく、人目を避けて誰かを連れ込み、監禁しておくにはまさにうってつけの場所だった。
「偵察して参りました。ノネット殿が言うように、確かにひとつだけ、明らかに様子のおかしい倉庫があります」
戻ってきた護衛が息を整えながら告げた。衣服の裾には埃と泥がつき、足音を立てぬよう気を遣って動いた跡がうかがえる。
「ご苦労さまです。おかしいとはどのように?」
「はい。男たちが出入りを繰り返していて、外に見張りのような者も……ほぼ間違いないかと」
「そう。厳しいわね」
エレオノールが短く返す。
その推察はきっと的確だ。
ルナの救出にあたって、ひとつ大きな課題が残っていた。それは、ルナ本人と“主人公”が不在であることだ。
本来のシナリオでは、ノネットが誘拐される場面を偶然目撃した主人公が、ヒロインたちと協力して彼女を救い出す――という流れになっていた。
その中でも特に鍵を握るのが、主人公とルナのふたりだった。相手は20人ほどの規模で、こちらにとっては明らかに戦力的に不利な状況だった。
だが、主人公が巧みに賊の注意を引きつけ、その隙にルナとエレオノールの護衛たちが突入・制圧に成功する。
それが、ゲーム上“正しい”展開だった。
しかし今、その肝心のふたりがいない。
つまり、成功が約束されたルートからは完全に外れてしまっている。
「街の保安官と協力して救出にあたるのはどうでしょうか?」
少しの沈黙の後、アメリアが提案した。
「正論ですね。けれど……この件で保安官は動いてくれませんわ」
「なぜですか?」
「ごめんなさい、理由は説明できませんわ」
シナリオの都合もあるだろうが、エレオノールの言う通りこの件で保安官に助けを求めても協力は得られないはずだ。
後々明かされることではあるが、そもそもこの誘拐事件の真相にも関わる色々と複雑な事情がある。
「わたくしが自由にできる護衛もそう多くありませんので正面から制圧、というのも難しいでしょう」
エレオノールが視線を横に流しつつ、呟くように言葉を添える。
背後に控えた護衛のひとりが、小さく頭を垂れた。
「アメリア様、エレオノール様の言っていることは多分、正しいです」
「……そう、なのですね……」
たっぷり間をおいて、アメリアが苦しそうに呟く。
頷いてはいるが、納得もできない。アメリアは唇を噛みしめるように視線を落とした。
事情を知らないアメリアには、私とエレオノールの言葉が理不尽に思えたはずだ。
だが、それに反論するためには実際に保安官のところへ駆け込んで事情を説明してみるしかないのだ。
加えて、さっきからゲーム知識で千里眼じみたことを言っているわたしがその言葉を正しいと言えば、アメリアにできることは、もう納得のいかないまま従うことだけだろう。
「ノネットさん、貴女はどう?」
エレオノールが私に問う。
「作戦を提案させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ。構いませんわ」
「あの倉庫には戦時に作られた隠し通路があります」
「……本当にこの街のことに詳しいのですね」
言葉の奥に、静かな疑念が見え隠れする。
『なぜ、そんなことまで?』
その言葉の裏にある真の言葉に気づかないほど鈍感ではなかったけど、それでも、今はなりふり構ってはいられない。
「今は見逃してください」
「……そうね。続けて」
「二手に分かれます。わたしが隠し通路から入って、ルナ様を助け出します。エレオノール様たちは表で、できるだけあいつらを引きつけてもらえませんか?」
「陽動作戦というわけですね。けれど、とても危険ですわよ。ひとりで行くおつもりかしら?」
「隠し通路はそう広くありませんから、何かあったとき、逃げるのにも不利になります」
エレオノールは口元に手を当て、しばし思案の表情を浮かべた。
やがて彼女はふっと、肩の力を抜くように息を吐く。
「『私の指示には絶対に従うこと』……などと申しておきながら、お恥ずかしい限りですが、代案が浮かびませんわ。――承知しました。表の役割は、わたくしが担いましょう」
「ありがとうございます」
「聖女様は、」
「私にも手伝わせてください。交渉や説得、会話で時間を稼ぐことなら、多少の心得があります!」
アメリアだった。声は澄んでいたが、緊張を押し隠しているのがわかった。
それでも何かの役に立ちたいと、決意に満ちた表情を向けてくる。
「わかりましたわ。多少の考えはあります、子細は後ほど」
アメリアの様子を見て、エレオノールが小さく目を伏せた。わずかに頬が緩んでいた気がしたが、すぐに真剣な顔つきに戻り、静かに口を開いた。
「ノネットさん。条件をひとつ……いいえ、ふたつ」
エレオノールが真剣な眼差しで言う。
その声には、先ほどまでの冷静さとは異なる、切実さが滲んでいた。
「はい」
わたしは背筋を伸ばし、静かに答える。
「ひとつ。自分の安全を最優先にすること」
エレオノールは一度、大きく息を吐いて笑顔を作る。
「もうひとつは――モントルヴァル卿と共に、必ず無事で戻ってくること!」
「はい!」
――推しは、絶対に傷つけさせませんとも!




