第六章 ぬいぐるみの子守唄
春の夜。ティル村の南端の家から、また――赤ちゃんの泣き声が響いていた。
「……ごめんなさい、また……」
「大丈夫、大丈夫だから。気にしないで」
村の若夫婦、カイとエナ。二人のあいだに生まれた赤ちゃん――ユイナは、ここ数週間、夜ごとに火がついたように泣き続けていた。
最初はお腹かと思った。次は歯の生え始めかと。けれど、どれも違った。
夜中に突然目を覚まし、悲鳴のような泣き声を上げる。
抱いても、揺らしても、歌っても、何をしても泣き止まない。
エナの目の下には濃いクマができ、カイの声も日に日にかすれていた。
近所の人々も心配し、魔道具師や薬師に相談したが、はっきりした原因はつかめなかった。
「……魔物の影が見えるわけでもないし、呪いの気配もないな」
村の魔術師は、ただそう言うだけだった。
そして今日もまた、眠れぬ夜が始まろうとしていた――
***
「ねえ、ミノリさん……って、“てのひら工房”の人でしょう?」
買い物の帰り道、エナが声をかけてきた。
「うん、そうだよ。どうかしたの?」
「その……私たちの赤ちゃんのこと、聞いてる?」
みのりは静かにうなずいた。
「もうどうしたらいいかわからないの……。何をやっても泣き止まなくて、もう私もカイも限界で……何かミノリさんの力でどうにかできないかなって……」
「何もできないかもしれないけど……でも、もし“眠るときに寄り添ってくれるもの”があれば、少しでも安心できるかな。
もし良かったら、赤ちゃんのために、編みぐるみを作ってみましょうか?」
「……編みぐるみ?」
「ただのぬいぐるみじゃなくてね。特別な毛糸を使って、魔力を込めて編むの。
もしかしたら、それが“心の奥の不安”を落ち着かせてくれるかもしれない」
エナは、ぽろりと涙をこぼした。
「……お願い。何でもいいから、すがりたいの」
***
みのりは、工房の一角で静かに糸を選んでいた。
毛糸棚の奥。エルドとともに紡いだ、夢紡ぎ羊の“やすらぎの毛糸”。
そこに少しだけ、「星霜草」という魔草の繊維を混ぜる。これは、時間に関わる力を持ち、古くから“悪夢除け”としても知られているらしい。
みのりは、毛糸玉をそっと手に取り、目を閉じた。
「……ユイナちゃんが、ちゃんと眠れますように」
そう願いを込めて、みのりは編み始めた。
かぎ針を動かす音が、やがて静かなリズムになっていく。
***
完成した編みぐるみは、小さなひつじの姿をしていた。
もこもことした手触り。耳の内側には、ユイナの名前を刺しゅうしたタグ。
背中には、「安らぎのルーン」が一目だけ編み込まれていた。
「これは……?」
「この子の名前は“モフ”。ユイナちゃんのそばで、一緒に眠るための子を編んでみたの」
「……ほんとに、眠ってくれるかな」
「わからない。でも、少なくとも、怖い夢を一人で見ることはなくなると思う」
***
その晩。
ユイナは、いつものように突然泣き始めた。
けれど、みのりが渡した“モフ”を胸に抱かせると――
ぴたり。
火がついたような泣き声が、すっと静まった。
そして、深く、ふかく、呼吸を繰り返しながら――
ユイナは、眠った。
何日、何週間ぶりの静寂だった。エナは声も出せず、ただユイナを見つめていた。
***
次の日、カイが工房を訪ねてきた。
「……おかげで、昨夜は誰も泣かずに眠れました。……初めてです。
本当に、ありがとうございます」
「よかった」
「……でも、どうしてこんなことができるんですか?」
「うーん……“魔法”ってほどでもないの。
でも、誰かを思って作るとね、素材がそれに応えてくれることがあるの。
それが魔法みたいにみえることもあるって感じかな」
カイはしばらく黙っていたが、小さく頭を下げて言った。
「……あなたの手仕事は、魔法より、すごいかもしれません」
みのりは少し照れくさそうに笑いながら、こう返した。
「ありがとう!じゃあ、また何かあったら、“てのひら工房”に来てね!
毛糸の魔法、まだまだいっぱいあるから」