第五章 毛糸づくりと、助手エルドの奮闘記
「えっ、毛糸って……羊から!?“買う”だけじゃないんですか?」
ぽかんとした顔のエルドに、みのりはくすっと笑った。
「そういうこともあるけどね。手仕事の面白さって、“つくるところ”から始められることなんだよ」
暖かいある朝、みのりは“助手見習い”となったエルドを連れて、村の東にあるノックの丘へ向かっていた。そこには、ティル村の特産とも言える、夢紡ぎ羊という魔獣種の羊たちが暮らしている。
夢紡ぎ羊は、身体が淡いミルク色で、毛にごく微量の魔力を蓄える性質がある。特に心が穏やかなときに刈った毛は、「やすらぎ」の属性を帯びるという。
「へぇ、毛に“属性”がつくんですか……」
「そう。素材の“気持ち”が、編んだものに残るの。だからね、できるだけ、優しい気持ちで刈ってあげたいんだ」
ここに来たばかりの頃は私も何も知らなかったが、村の人が私が編み物が好きだと知ると、毛糸なんかの素材についていろいろと教えてくれた。
おかげで、私もこの世界の素材にちょっと詳しくなった。
前の世界とは違って、ただの羊とは違った魔獣と呼ばれる魔力を宿す動物がいること。
魔獣によって様々な属性や特性があること。
魔法はあるけど、一般的には使えず、代わりに魔道具が主流となっていることなどなど。
エルドに話しながら、私自身がこの世界の素材について復習しているのはナイショの話。
***
丘の上の牧場では、もこもこした羊たちがのんびりと草をはんでいた。
「もふもふ……かわいい」
「近すぎると逃げちゃうからね、エルドくんはちょっと離れて見守ってて」
みのりは村の羊飼いのベルナおばあさんと挨拶を交わし、さっそく毛刈りの準備を始めた。
羊たちの毛は、刈る時期や体調によって質が変わる。今日は一番ふくふくと育った牝の「リーネ」から刈ることにした。
「よし、リーネ。ちょっとだけがんばろうね」
魔道具のくしと毛刈りばさみを使い、丁寧に毛を梳いて、そっと刈っていく。羊が驚かないよう、静かに、ゆっくり。
「……ほんとに、話しかけながらやるんですね」
「糸もね、扱い方で機嫌を損ねるの。そうすると、ほつれたり絡まったりする。
だから、素材とも、気持ちでつながるのが大事なんだよ」
エルドはその言葉を、じっと胸に刻むように聞いていた。
***
毛を刈ったあとは、水で洗って、天日干し。
そして乾いたら、紡ぎ車でくるくると糸に紡いでいく。
この作業も、地味で、でも奥が深い。
「くるくる……ああっ、切れた……!」
エルドは何度も糸を途中で切ってしまい苦戦していた。けれど、手元を見つめる表情は真剣そのもの。
「ちょっと貸して。ほら、右手は少しやさしく引いて、左手で流れを整えて……」
みのりがそっと手を添えると、エルドの動きも少しずつ安定していった。
「……こう、ですか?」
「うん、いい感じ。糸がつながっていくと、結構気持ちいいよね」
「……はい。なんか、魔法とはまた違う“すごさ”を感じます。
ただの毛の塊だったのに、糸ができてくるって、……すごく不思議だ」
みのりは、彼の素直な言葉に、うれしさを覚えた。
***
数時間後――
二人が仕上げた毛糸は、ふんわりと柔らかく、淡く光を帯びていた。
「これで、“やすらぎ”の魔力が込もった毛糸の完成。次はこの毛糸で、夜泣きの赤ちゃんのための編みぐるみを作る予定なんだ」
「それって……魔法の道具?」
「ううん、魔法みたいな手仕事。素材の力と、気持ちを込めて、丁寧に作ればね、ほんの少しだけ“奇跡”が起きることもあるんだよ」
そう言って、みのりはできた毛糸玉を、そっと手に包んだ。
そのぬくもりは、たしかに心をほぐす何かを宿していた。
エルドはその様子を見ながら、小さくつぶやいた。
「……この工房、ほんとにすごい場所になるかもしれない」
みのりはふふっと笑って、応えた。
「それは助手くんの腕次第、かな?」