第二十七章 風のうたと、春のまぼろし
乾いた風が草原を渡り、まだうっすらと残る冬の名残をさらっていく。
村のあちこちで春支度が始まり、日だまりに咲く小さな草花が季節の変わり目をそっと告げていた。
そんなある日、みのりは子どもたちとともに、草原の丘にもう一度足を運んでいた。
あの古い地図に記された祠──風のうたが刻まれた布──そして、そこに込められた過去の声を、今度こそ正しく受け止めたかったからだ。
今回の探索にも、ヨランダの孫にあたる若者、フレッツが付き添ってくれることになった。
エルナも「みんなのこと見てないと心配だし……」と、自ら申し出てついてきた。少し緊張した面持ちで、姉妹の手をしっかりと握っている。
「この前見つけた木箱の中身、やっぱり気になるんだよなぁ」
ティオが張り切って草をかき分けながら進む。
「また石、勝手に動かしたりしないでよね」
ニコがぴしゃりと釘を刺しつつも、みのりの後ろをついてくる。
目的の丘にたどり着いた一行は、祠の前で立ち止まった。
みのりはそっと手をかざし、石の扉に描かれた紋様をなぞる。前回は開かなかったその扉に、今度は風が集うような気配があった。
──コォォ……。
音もなく、扉の石がゆっくりと横にずれる。中は乾いてはいたが、埃の舞う空間に一本の細長い糸巻きと、織りかけの布が納められていた。
「……風の布だ」
みのりは息を呑んだ。糸の一本一本が、まるで風の動きそのものを捉えているようだった。
その模様は、音のようにも、記憶のようにも感じられた。
「これは、織られることなく、ここにしまわれていたんだ……」
工房に戻った後、みのりは静かに作業を始めた。
風の布に触れたとき、どこかで見た夢の断片がよみがえった気がしたのだ。
草原を走る少女、風に揺れる糸、そして──手を伸ばすような誰かの気配。
「ミノリ、さっきの布……なんで途中で止まってたのかな」
ルーシャがぽつりとつぶやく。
みのりは手を止め、少し考える。
「たぶん──誰かが、完成させるのを待っていたんじゃないかな」
「それって、ミノリのこと?」
みのりは笑って、ルーシャの頭をなでた。
「それはわからないけど。でも、今ここで続きを織ることに意味があるなら、やってみたいなって思ってる」
その夜、みのりは祠の中で感じた風の気配を思い出しながら、風の布に込める模様をひとつひとつ編みこんでいった。
糸はさらさらと、まるで風が案内しているように織り機の中をすべっていく。
──まるで誰かの「おかえり」を編んでいるような、そんな感覚だった。
***
数日後、工房にはふたたび人が集まり始めていた。
ミノリのしおりや編みぐるみの噂が、近隣の村にまで広がり始めていたのだ。
「“糸守の工房”って呼ばれてるんだって!」
ルーシャが誇らしげに言うと、ティッタも「ミノリ、すごいねぇ」と目を輝かせた。
「でも、わたしはただ……ここで手を動かしてるだけだよ」
ミノリはそう言いながら、窓辺に飾った風の布に目を向けた。
糸はまだ途切れず、どこかへつながっている。
誰かの願いを引き継ぐように、静かに、確かに──。
その日、工房には、初夏の風とともにやわらかなにぎわいがあった。
村の女性たちが持ち寄った草木染めの糸や薄手の布が机の上に並び、子どもたちは窓辺の風鈴に夢中になっている。
エルナはルーシャとティッタの姉妹に教えながら、慣れた手つきで夏用の織り布を整え、フレッツは織り機の糸張りを手伝ってくれていた。
「ねえミノリ、もうすぐまたてのひら市やるんだよね?」
ルーシャが頬を染めながら聞いてくる。
「うん。今度は、草原の祠で見つけた布もお披露目できたらいいな」
みのりはそっと微笑み、風に揺れる窓辺のカーテンに目をやった。
木々はすっかり若葉をまとい、空は夏の気配をたたえている。
風は涼やかに丘を越え、誰かの記憶を連れてくるようだった。
それは──過去と今とをつなぐ糸のように。
やがて訪れる季節を、そっと予感させる風だった。




