第十八章 はじまりの季節と、忘れられた糸の記憶
春も後半にさしかかり、村の周囲には山野草が顔を出し始めていた。
みのりは、染め物や織りの素材を探しに、エルナと共に森の奥へ入っていた。
「去年はまだこの奥まで来てなかったね」
「うん、雪解けの道はぬかるむから、気をつけてね」
2人は手を取り合いながら、獣道を踏みしめていく。
森の中では、あちこちに春告げの花が咲き、小鳥の声が降るように響いていた。
そんな中、斜面を下りたところで、エルナがふと立ち止まる。
「……あれ、あんな建物、前からあったっけ?」
「……!」
見下ろす先にあったのは、古びた石造りの小さな祠。
苔むした屋根、崩れかけた石段、でもどこか優しい気配をまとっていた。
みのりは自然とそちらに足を向けた。
扉は閉じられていたが、傍らには丸い石の台座と、風化した木の標が立っていた。
「織りの乙女、ここに眠る」
わずかに読み取れたその言葉に、みのりの胸がかすかに震えた。
***
村に戻ったあと、みのりはこのことを村の最年長──ヨランダに話した。
曲がった背としわの深い顔、それでも目は今も強く輝いている。
「……ああ、あの祠かい。あれは“織り手の社”と呼ばれておってね」
ヨランダは竈の火を見つめながら、ぽつりぽつりと語り出した。
「むかし、この村がまだちいさな集まりと呼ばれるような時代、ひとりの若い女が住んでおったそうじゃ。たいそう手先が器用で、草の繊維や獣毛を糸にして、美しい布を織ったと聞くよ」
「その人が“織りの乙女”……ですか?」
「そうじゃな。乙女の織った布には不思議な力があって、着れば病が癒え、まとう人の心も穏やかになると……」
「まるで、魔法の布みたいですね」
「うむ。じゃが、いつしかその娘は姿を消し、祠だけが残った。
『春のはじめに、糸の記憶をたどると、ふたたび出会える』──そうも言われておるよ」
みのりは思わず、胸の内で糸を手繰るような感覚を覚えた。
自分の作るものも、ほんの少しでも、そんな“記憶を宿す手仕事”であれたら。
***
翌日。
祠の近くで、みのりは土に埋もれていた古い糸巻きを見つけた。
木の芯はほとんど朽ち果てていたが、薄桃色の糸がほんのわずかに残っていた。
手にした瞬間、なぜだか心の奥が静かに震えた。
――この糸は、だれかの時間を、含んでいる。
その夜、糸をほぐして、湯に通し、乾かしてから巻き直し、柔らかく編み上げる。
編み目は粗く、糸も長さが足りないため不完全。けれど、あたたかい編み地。
「忘れられた糸の記憶」が、少しずつ、現在とつながっていく気がした。
***
数日後、村の広場で子どもたちにその編み布を見せると、
ティオが目をまるくして言った。
「なんか……ふしぎ。これ、見てると落ち着く……」
「うん、ちょっとだけ、眠たくなる……」とニコもつぶやく。
「この布、だれが作ったの?」とティッタが聞いたとき、みのりはこう答えた。
「……たぶん、昔、ここに住んでいた“織りの乙女”さんがね。
でも、今はみんながその続きを織っていくのよ」
***
春はすこしずつ、夏の気配を帯びていく。
でも、草花の香りと、遠くで鳴く鳥の声に耳をすませば──
きっとまだ、祠の奥に眠る糸が、そっと揺れている気がした。




