第十章 冬支度と、ほころぶ記憶
初霜が降り、薪の香りが家々の煙突から立ちのぼる季節になった。
村の人々は冬仕度に追われ、織りや裁縫、干し野菜作りに忙しい日々を過ごしている。
そんなある日、てのひら工房にひとりの男がやってきた。
ヨルグ、木こりとして村の外れで暮らす男で、幼い娘と息子をひとりで育てていた。
「……これ、仕立て直してもらえませんか」
彼が差し出したのは、分厚く織られた古いウールのロングコート。
袖口は擦り切れ、裾には小さな焦げ跡もあるが、丁寧に織られた布に花模様の刺しゅうがまだ色あせずに残っていた。
「妻が使っていたコートです。もう五年も前に……」
みのりは黙ってうなずき、布の状態を確かめる。
「……これを、娘さんに?」
「ええ。エルナももう十一。自分のコートが要る年ですし……でも、反対されるかもしれません」
***
その夜、みのりの工房に少女がやってきた。
長い黒髪に頑なな表情――エルナだった。
彼女の目には涙の跡があり、握った手は白くなるほど力がこもっていた。
「お父さんが……お母さんのコートを壊そうとしてるんです。やめさせてください!」
みのりは彼女を中に招き、あたたかいハーブティーを淹れて出した。
「“壊す”んじゃなくて、“繕う”のよ」
「でも……お母さんの匂いとか、抱っこしてくれたときの感じとか、ぜんぶ、なくなっちゃう……」
――そして、ぽつりとこぼした。
「弟が生まれて……お母さんが、いなくなった」
みのりは、こわばった少女の顔を見た後、そっとコートの刺しゅう部分を撫でた。
「このお花の模様、もしかしてエルナちゃんの好きな花じゃない?」
「……はい。昔、お母さんと摘みに行って……」
「きっと、コートを作ったときから、エルナちゃんのための模様だったんだと思うよ」
「私のため……?」
「そう。お母さんもエルナちゃんのことが大好きだったんじゃないかな。
コートをそのまま残しておくのもいいけど、エルナちゃんが引き継いで着てくれたほうが、お母さんも嬉しいんじゃないかな?」
「……」
「私は、お母さんの想いをエルナちゃんにも伝えたい。だから、壊すんじゃなくて、エルナちゃんに着てもらえるように直したいの」
エルナの目にはみるみる涙が溜まっていき、大粒の雫がこぼれ落ちた。
少女は小さく頷くと、「大切な宝物なの。だから、だから、大事にしてね」とみのりの手を握った。
***
仕立て直しは、ダーニングという技法で行った。
ほつれた部分は同系色の毛糸で編み足し、焦げ跡は花の刺しゅうで隠した。
擦り切れた袖口は詰め直し、エルナの背丈に合わせて丈を少し縮めた。
最後にみのりは、ポケットの裏にそっと一言の刺しゅうを加えた。
「これは、内緒ね」
***
完成したコートを受け取ったエルナは、表情をこわばらせながら袖を通した。
そのとき、弟のユリスが、少し離れた場所でこちらをじっと見ていた。
「……ごめんね。ぼくが来たから、お母さん、いなくなっちゃったんだよね……」
エルナはギクリとしてはっと目を見開いた。
「え……なに、言って……」
「お父さん、夜に言ってた。エルナが、もう笑わなくなったって……」
小さな肩が震えていた。
みのりはそっと口を開いた。
「ねえ、エルナちゃん。ポケット、開けてみて」
中に縫われていた刺しゅうは――
「あなたと、あなたの弟に、いつもあたたかい春が訪れますように」
母親の筆跡を模した、みのりの静かな祈り。
***
その夜。
工房の外で、姉弟が並んで歩いて帰っていく姿を、みのりはそっと見送っていた。
暗い空の下、あのコートはまるでひとつの家のように、
二人の肩をやさしく包み込んでいた。
ほどけた糸も、失われた想いも。
“繕う”ことで、もう一度つながることができる。
布も、心も、いつだって修復はできるのだ。




