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第一章 かぎ針と羊と、もうひとつの朝

 目を覚ましたとき、みのりは最初に自分の手を見た。


 細くて白い、自分の手。かぎ針を握るときに自然とできる軽いタコが、中指の腹にあるのを確認して、ほっとする。


「……夢じゃない?」


 次に気づいたのは、部屋の空気だ。ほんのりと木の匂いがする。しん、と静かで、聞こえるのは遠くで鳥がさえずる声と、風の音だけ。


 天井は、白く塗られた梁。見慣れない木枠の窓からは、やわらかい朝の光が差し込んでいた。そこから見えたのは、石畳の小道と、もこもこの白い羊が草を食む光景。


「……ここ、どこ?」


 ふと体を起こすと、隣に見慣れないかごがあった。中には、毛糸玉が数個と、一本の木製のかぎ針。


 思わずそれを手に取る。木目がなめらかで、ほんのり手の温度に馴染んでくる。サイズは6号くらい……だけど、どこにも刻印はない。


 目を閉じて、ゆっくり深呼吸する。


 夢じゃない。事故に遭ったあの瞬間。確かに見えた、光の渦。そして優しそうな声が響いた。


 「あなたに贈るのは、“編む力”です。どうか、この世界で幸せを紡いでください」


 みのりは笑った。声に出す代わりに、かぎ針をそっと毛糸に差し込み、くるりと輪をつくって引き出す。


 そこにあるのは、いつもと変わらない最初の一目。


 これが、新しい朝。新しい人生の、第一段だ。



 「おや、起きていたかい?」


 トントン、と軽いノックとともに開いた木の扉から顔を出したのは、小柄なおばあさんだった。ふっくらした体に、手織りのような素朴なエプロンを着けている。


 「昨日はよく眠れたかい? あんた、あの丘のとこで倒れていたんだよ。うちの孫が見つけてねぇ」


 みのりははっとして体を起こし、頭を下げた。


 「助けてくださって、ありがとうございます。えっと……ここは?」


 「ここはティル村。何にもないけど、いいとこだよ。あんた、名前は?」


 「佐倉みのりです。さくら……みのり」


 そう答えると、おばあさんは「ほう」と目を細めた。


 「変わった名前だね。でも、きれいな響きだ。ミノリちゃん、か」


 おばあさんはにっと笑って「お昼までには焼きたてのパンができるから、腹がすいたらおいで」と言ってから、ふと、みのりの手元を見た。


 「あら、それ……あんたが編んだのかい?」


 みのりの指先には、さっき何気なく編み始めた小さな花モチーフができかけていた。くすんだピンクの毛糸で編まれた、指先サイズの花。

 花びらが5枚。なんとなく色から連想して桜をイメージして編んでいた。


 「あ、はい。癖でつい……」


 「まぁ……器用だねぇ。こりゃ縫いの神様の祝福かもしれんよ。うちの村じゃ昔から、手仕事にすぐれた人は神様の使いって言われててね」


 おばあさんの言葉に、みのりは「まさか」と笑ったが、どこか懐かしい温もりを感じた。


 「この村にはね、服を繕ったり、かごを編んだりできる人が少なくて困ってたんだよ。もしよかったら、何か教えてもらえると嬉しいねぇ」


 「……私でいいんですか?」


 「もちろん。あんたとおしゃべりしてると、なんだか心がふわっとしてね、悪い人じゃないってわかるよ」


 おばあさんはにこっと笑い、腰に巻いた布から何かを取り出した。


 「そうそう、これ。あんたのそばに落ちてたんだよ。見たこともない針だねぇ」


 差し出されたのは、金色に輝くかぎ針だった。


 「えっ、これ……私のじゃ、ない……?」


 不思議なことに、手に取った瞬間、体がじんわり温かくなった。


 (これは、こっちの世界の……)


 ふと、針の根元に刻まれた文字に気づく。


 >《編神の贈りし手──紡ぎし者よ、心をほどき、世界を編み直せ》


 ──この世界で、私はまた、編み物をするんだ。


 そう思ったとき、胸の奥にぽっ、と火がともったような気がした。

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