知らない男
ふぅ……今日も1日が終わった。毎日毎日、朝起きて、会社で仕事して、帰って寝る……そんな日々が続いている。最近始まったプロジェクトが忙しくて、土日返上で会社に行って仕事して、趣味のテニスすらほとんど出来ないような日々だ。
「はぁあ……こんな毎日がずっと続くのは嫌やなあ」
けど、このプロジェクトが完了するのは3ヵ月後。3ヵ月後まではデスマーチのような日々がずっと続くのだろう。とぼとぼとそんなことを思いながら、家への道を歩いていた。
「おお、おっす! 奇遇だなあ! こんなところで会うなんて!」
バシンって背中をたたかれて、そんな風に声をかけられた。
……いってえなあ。このくそ疲れているときに、一体誰だよ!? 振り返ってみると、身長170cmくらいの黒髪メガネ、少し小太りで、おなか出っ張り具合が心配そうなスーツを着たサラリーマン風の男がニコニコ笑いながら立っていた。
誰だっけこいつ? 俺よりちょっと年下っぽいけど……タメ口で話してきたからきっと同年代だよな。けど、こんな人テニス仲間にいたか? いなかったような気がするんだけど。じゃあ、会社つながりの誰かか? やべ、全然わかんねえ。と、とりあえず何か返事しないと。
「お、おはよう!」
「はあ? 今、もう深夜なんだけど。いきなり何言ってんだお前は? しかも何でタメで話してくるんだよ?」
やっば、この人先輩か上司なのか!? 全然わからねえ。とりあえずすぐに謝らないと!
「す、すみませんでした!」
「ま、いいけどさ。で、最近調子はどうよ」
ちょ、調子ってどの調子のことだよ!? もっと具体的に話してくれよ。そうしないと返事のしようがない。
テニスの話か? 仕事の話か? 恋愛の話か? わ、わからない……とりあえずもっと情報を引き出さないと。
「ええと……ぼちぼちですね。そちらはどうですか?」
「あ? ああ、俺はいい調子だ。最近、タマの感じが全然違っててなー」
タマ……タマって言った! って事は、テニス仲間の誰かだ! 昔あったっきりで忘れちゃった人か? いや、違うよな。きっと最近入会した人だよな。北田さんか? 山森さんか? やばっ、やっぱりまだわからねえ。こんな人テニス中に見た記憶が……うまくセリフをあわせないと。
「そうなんですかー、うらやましいですねー」
「おう、だろだろ? こう、うまく腰を使ってだな……うまく穴に入れた瞬間がたまんねえんだよな。今日もばっちりだったし」
前後に腰を振って説明する誰だかわからない人。な、何の話だよ? テニスの話をしてて、どこから穴が出てくるんだ?
もしかしてテニスの話をしているわけじゃないのか? 腰を使う……穴に入れる……タマ……。ま、まさか!?
「俺のアイアンを振ってるところを見ると、まじ惚れ惚れするぞ」
な、何てことを俺に言ってくるんだよ!? こ、この人は道のど真ん中でどんな話をしてんだよ!? 幸い、今いるところは裏の小道で、今現在人通りもないけれど、それでもそんなことをこんなところで言おうとするなよ。
「そ、そ、そうなんですかー」
「そうなんだよ、あ、そだそだ。お前もやりに行くか?」
へ? いや、いきなり何てお誘いを!? 行きたいけど! 確かに行きたいけどだな。そんなこと突然誘ったりして、それは人としてどうなんだよ!?
「俺のやり方を見てお前も学ばないといけないと思うんだよ」
「い、いや俺はいいですよ!? というかなんで人がやってるところ見なきゃいけないんですか!? 絶対嫌ですからね!」
そんな拷問みたいなことしたくねえよ。
「なんでそんなに嫌がるかねえ? 俺のスイング、めっちゃすごいぞ。絶対参考になるから」
「そんなところ自慢しないでくださいよ! 嫌ですからね、絶対行きませんから」
馬鹿かこの人は!? 未だに誰なのかさっぱりわからないけど。
「そこまで頑なに固辞することはないと思うんだけどな。まあいいよ、そんなに無理してやらせようとは思わないから。けど、ゴルフのよさはお前にもわかってほしいけどなあ」
「へ? ご、ゴルフ?」
「あん? いまさら何言ってんだ? ゴルフに決まってるだろ?」
あ、ああ! 腰使って、タマを穴に入れて……な、なるほど。な、なんて俺は勘違いを……。
「ってかおい、何の話をしてたと思ってんだよ?」
「い、いや。なんでもないですよ」
まさか男と女がちょめちょめしてるところを想像してたなんて言えないよ。
「ま、いいけどさ……あ、そうだ。今から飲みに行かないか? まだ時間、余裕あるだろ? いい店知ってんだよ」
「いや、いいです。今日はもう遅いですし……。明日も早いので」
ってか誰かもわからない人と飲みになんて怖くて行けないっすよ。
「なんだよ、高校時代はもっと付き合いがよかったのに。社会人になって付き合いが悪くなってねえか?」
……高校時代……高校時代か! 高校時代の先輩……こんな感じの人はいなかった気がする。面影すら沸いてこない。まあ、そもそも高校時代先輩たちとはそんなに仲良くなかったしなあ……。
「ええと……俺って高校時代そんなに付き合いよかったでしたっけ?」
「よかったじゃんか、いきなり何言ってんだよ……」
いきなりと言われても、あなたの事がわからないと俺はどうも返事のしようがないのですが。
「……なあ、もしかしてお前、俺が誰だかわかってないか」
ば、ばれたー! やばい、やばい。いくら仲良くなかったと言ったって、高校時代の先輩のこと、完全に忘れてるなんて言えねえ。け、けどここでどうやってごまかせばいいんだよ。
「そ、そ、そんなことないですよ」
「じゃあ、俺の名前言ってみ?」
……やっばー! わからねえ! 誰なんだ、誰なんだ!? こ、ここまで言われたら正直に知らないっていって謝るしかない!
「すみません! ずっと考えてたんですけど、誰だかわかりませんでした! 忘れてしまっててごめんなさい!」
「はあ……ったく、てめえってやつはひでえなあ」
「ほんとすみません!」
「はあ……もう忘れんなよ。俺だよ、前田博だよ」
し、しらねー!! 誰だお前!?
「高校のとき卓球部で一緒だっただろ? 覚えてねえのかよ、薄情なやつだなあ」
俺高校のときは野球部だよ!?
「また機会があったら飲もうぜ、佐藤!」
肩をバシバシと叩きながら、豪快に笑う前田博。前田博……俺はお前に一言言いたいことがある。
「俺は鈴木だあ!」