表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

投稿小説作品【神衣舞】

咲かない花

作者: 神衣舞

 全ての存在意義を失って

  その存在は何故あるのだろう?


 『銀嶺の魔女』と言えば伝説のように語られる存在である。

 彼女に出会った事のある者は少なくないが、中には「私の祖父が」とか「私の三代前の」とか、突拍子のない話も多く存在する。

 セリム・ラスフォーサーという稀代の魔女は、魔術師の定義するそれではない。

 なぜなら彼女はコモンマジックも、精霊魔法も、神聖魔法も使わない。

 では彼女が何か?と言えば、やはり彼女は『魔女』である。

 『ウィッカ』と呼ばれる技術がある。

 起源を自然崇拝とするこの術は現在世に知られる魔術とは異なり、儀式魔術を主体とする特殊なものだ。

 そこまでマイナーなのかと言えばそうでもない。

 例えば薬学や医学の祖を魔術師は『錬金術』と言うが、それより以前からウィッカの領分である。

 魔女の秘薬とも呼ばれるそれら薬品は純然たる知識の継承が生み出した必然なのである。

 また、占いに関してもカード、占星術の祖はこれに起因するし、呪術と呼ばれるものもこのウィッカに含まれる。

 勘違いする者も多いが『のろい』と『まじない』は同じ物である。

 どちらも媒介や形式を経て願いを達するものなのだから。

 自然と言う舞台から、魔術と科学を操ってきた技術こそウィッカであり、未だ秘匿され続けている術の中には、世に名立たるウィザードや魔術師ギルドが未だ至らぬ領域が純然と存在する。

 この『ウィッカ』の継承者を『ウィッチ』。

 つまり魔女と呼ぶ。




 さて『銀嶺の魔女』が何者かと言えば『魔女』である。

 だが、先にも述べた通り、『魔女』とは『ウィッカ』の継承者である。

 つまり『ウィッカ』使いという項目を除けば何者か、といえば彼女はただの女性である。

 別段強力な魔力を有しているわけでもなく、凶悪な特殊能力を有しているわけではない。

 ウィッカを正式伝承した『セリム・ラスフォーサー』こそ『銀嶺の魔女』なのだ。

 そしてそれは連綿と続くはずだった。




 それは突然断絶を迎える。




 先にも述べた通り、ウィッカは『魔術』と『科学』の結晶である。

 だが、九代目の『セリム・ラスフォーサー』になるべくして生まれた子には決定的な欠陥が存在した。

 先天性魔力欠損症

 農民だろうが、貴族だろうが、人間には少なからず魔力と呼ばれる物が存在し、魔術は使えなくてもマジックアイテムの発動くらいはできるものである。

 しかし、この九代目にはその魔力がカケラも存在しなかった。

 子供でも使えるマジックアイテムを彼女は僅かながらも使えないのである。

 『魔力』とは言うが、これは本来人体に必ず存在し生命活動を助けている力の一つである。

 故に使いすぎれば疲労し、限度を越えれば気絶する。

 魔術暴走で死ぬ原因として最も多いのは、魔力の全てを浪費することとされる。

 つまり、魔力がカケラも存在しない人間など居るはずもないのであるが、彼女に限っては『ない』と言わざるを得ない。

 その矛盾はともあれ、ウィッカの構成要素の半分が使用できない以上、正式継承は不可能であり、また魔女は生涯一人の子供しか産むことができない。

 そしてそれは必ず女児である。

 ここに『銀嶺の魔女』が潰える事は決まったのである。

 魔女について知る者ならば、そう断じる他無い。




 そこは『深淵の森』『人食い森』『帰らずの森』と言われていた。

 踏み入った者は帰って来ないという意味での俗称であるが、現にこの森で暮らすハンターもいるし、薬剤師も存在する。

 だが、ある一点。

 そこに踏み込んだ者は命を落とす。

 それほど大きくない森。

 その中央には広場が存在する。

 ぽっかりと樹木が晴れ、空の見えるそこに足を踏み入れた瞬間、その者は魔境へと至る。

 空はいつまでも黄昏で、草花は見たことの無いほど毒々しい色で踊る。

 大地を見れば森の中ではありえない大型獣の足跡を見つけることができるし、何よりも濃密な瘴気に満ちている。

 一羽のウサギが不幸にもこの場に脚を踏み入れた。

 そして獣の本能が危険だと叫んだ瞬間、巨大な何かが空からウサギを捕らえた。

 鳥でない、球体。

 ウサギを捕らえた反対側から伸びた支柱はそのまま大地に埋まり、その傍からどす黒い緑の葉が伸びる。

 食人植物の貪欲なる餌食になったウサギは10秒もしないうちに骨すらも溶かされ消滅した。

 ここは生態系の狂った場所。

 外では決して見ることのできない動植物の楽園、否、地獄。

 それは『銀嶺の魔女』が己の秘術のために作り上げた異形であり、ここはまさに『魔女の庭』であった。

 そこを歩く者が居る。

 足音はない。気配も無い。

 目深に被ったフード、体を隠すローブ。

 まるで布の幽霊が誰にも気付かれる事も無く通り過ぎるように、どの凶悪な存在も彼女に食指を向けない。

 薄闇の世界で発達したのは聴覚であり、無音、無気配のその存在にどれもが気付けないのである。

 それはカケラの音も漏らさずにやがて空間の地帯にやってくる。

 元の森と同じく中央に広場があり、そしてこちらには家があった。

 ぎいと扉が鳴く。

 それは滑るように家に入ると、ある部屋に入る。

 そこは異臭に満ちていた。


「とってきタ」

「そこの棚に置いておいて」


 口布を当てているせいか、多少くぐもった声が返事をする。

 その声の主こそ、当代の『銀嶺の魔女』である。

 赤い髪に紫の瞳。

 噴出すのは色気と覇気。

 作業中だというのに指には宝石のついた指輪、耳には豪奢なイヤリング。

 首にも売れば屋敷の一つを使用人付きで買えそうなネックレスをつけている。

 これらは全て魔石であり、実際の価値に換算すれば町一つ買えるかも知れない。

 懐から数種類の草を取り出したその手は細やかで、イントネーションにゆがみはあるがそれは少女の声だ。

 この完全に自分の身を隠した少女が本来九代目として継ぐはずだった者。

 名前を『クュリクルル』と言い、古い言葉で『精霊の忌み子』を意味する名を持つ者。

 そしてありえるはずもない、『先天性魔力欠損症』の症例。


「カステア?」

「正解。わかったならする事があるでしょ?」


 カステアとは冬にある地方で流行する流行病である。

 インフルエンザに良く似た症状ではあるが酷い下痢の症状により脱水症状で死ぬ者が後を絶たない。

 キュリクルル────クルルは擂粉木を取り出すと持ってきた草の一つを無造作に磨り潰し始める。

 それに少しずつ青緑色の液体を混ぜながら新しい草を足していく。

 そうして出来たものを小鉢に移し、また同じ事をする。


「魔術のいらない薬ならもうクルルに任せてよさそうね」


 その何気ない言葉に少女の手が一瞬止まるが、気のせいとも思える時間の後に再び作業を開始する。


「できたら鍋に入れて。

 結構な数作らないといけないから、一気にやるわよ?」


「わかっタ」


 作業の音だけが響く。

 少女の胸の中の痛みを磨り潰すように。


 魔力を持たない少女。

 魔女になれない少女。

 魔女になるべくして生まれた忌み子。


 その葛藤にはけ口はなく、その悩みに回答はあるはずもなかった。

 この森には二人しか居ない。

 一人は至高の魔女と謳われる『セリム・ラスフォーサー』。

 そしてもう一人は魔女になれない魔女。

 生まれてから魔女になる以外の道はなく、そしてそれを適わないと知る少女。

 他の道など最初からなく、また後から知る事もなく育った少女。

 彼女が16の誕生日を迎える数日前。

 それは突然現れた。




「よぉ」


 声がする。

 今まで聴いたことの無い声。


「は、何処見てやがる。いや、どこを見たって俺はいねぇよ」


 そうして、初めて自分の口が知らぬ声を出している事に気付く。


「長かったぜぇ? ようやく出る事ができた。

 はン。今日は憂さ晴らしだが、別段なにをするつもりもねぇ」


 荒々しい男言葉を止める手段はない。


「……いや、待てよ。

 どうせなら今から復讐といくか」


『こレ、なニ?』

 思えど声が出ない。

 けれどもその思いを当たり前のように理解して、声は嘲笑う。


「なんだ、てめぇ、聞いてないのか?

 ちっ、こいつは迂闊だったぜ。

 まぁ、知られちまったもんは仕方ねぇ。

 いっちょクサレ魔女をブッ殺しにいくか」


 わからない、理解できない。

 自分がどうなったのかさっぱりわからない。

 今まで教えてもらった薬の中に、症例の中に、技術の中に、こんなものは無かった。

 手が動く、脚が動く。

 ずんずんと前へ。いつもと違う。

 他の動植物に気付かせない歩きではない。

 これでは襲われる。

 殺される。

 思うが早いか、大型獣が茂みより飛び出す。

 顔が動き、それを捉える。


「くだらねぇ」


 どうやったか分からない動きで必殺の爪を掻い潜る、そのまま脚の裏に柔らかい感覚。

 そして体がぐんと持ち上がる。

 急激な視界の変化に脳がついていかない。

 それでもわかる事は笑っていること。

 凶暴に、残忍に。

 くるんと体が回る。

 そうして突き入れたものはつま先で、そしてそれは獣の目。

 この世のものとは思えない咆哮が森を震撼させる。

 けれども終わらない。

 眼球に足の甲を引っ掛け腰から捻る。

 ぶちぶちと背筋が粟立つ音が響き、そして重力が体を下に引っ張る。

 無理やり体を捻り、勢いを殺す。

 膝のばねを最大限に使って着地。

 そうして顔をしかめる。

 叩き潰すような乱暴な一撃をなんなくかわす。

 そう思った直後にはその足は獣の腕を蹴り、昇る。

 残った目に突き入れられた腕。

 そして引きずり出す。


「なんて脆い体だ」


 それは獣に対してでなく、少女の体に対しての文句。

 大きく獣から間合いを取り見遣れば、暴れ狂い、木という木にぶつかりながら踊る獣の姿。


「け、つまんね。痛てえから寝るわ」


 理解できない。

 まま、さきほどまで薄幕越しに聞こえていた『外』の音がクリアになり、そして


「っぁ──────────!?」


 喉が引き攣って悲鳴にもならなかった。

 無理やり伸ばされた腱がありえない痛みの不協和音を叫び、体液を纏う右手の指が折れていた。

 のた打ち回り、涙を流す。

 それでも痛みは消えない。

 うずくまり、叫び、声は出ない。

 熱い、痛い。

 理解できない。

 痛い、痛い、痛い、痛い!


 ぶちっ


 まるでテレビの電源を落とすように。

 少女の意識は閉塞する。




「はらへったー」


 少女が目覚めたとき、最初に聞いた言葉はそれだった。


「お、動いた」


 聞いたことのない声。

 初めて聞く他人の声。

 初めて?

 思い出す。

 痛みと共に目覚める。


「っく!?」

「むりすんなよー。ほねおれてるんだからさー」


 反射的に抑えた指は不恰好な添え木が為されている。

 痛みで目が回る。

 それでもなんとか堪えたクルルは無事な左手で懐から錠剤を取り出すと一気に飲み干す。

 強力な鎮痛成分のある薬であるが、強力な酩酊感を与えるものでもある。

 本来は軍人が使うような緊急用で、彼女も飲んだのは初めてである。


「っく」

「おい、だいじょうぶかよ?」


 痛みとは違った視界の歪みに堪えて、そして息を整える。


「おーい?」

「……だイじょうブ」


 むくり、体を起こすと体のどこかでの痛みが鈍痛として全身に響く。

 痛みを感じる部分を麻痺させたのだ。実際は気を失いかねない激痛だろう。


「………」


 ぼんやりする頭で正面に居る生物を見る。

 この森で見るあらゆる生物は二種類に分類されると言える。

 捕食者と屍食い。

 その共通点は肉を噛み千切る強靭な歯や顎だと言える。

 しかし、目の前の生物はそのようなものを備えているようには見えない。

 となるとこの生物は第三の存在となる。

 つまり『外』から入ってきた者。

 体の造りは似ているが、詳細なディテールで言えば自分とも母とも違う。

 亜種の存在かと培われた本能は自然と警戒の火を宿す。

 よくよく考えてみれば『銀嶺の魔女』以外に会話出来る者に始めて会った気がする。

 初めて?

 違う。

 思い出す。先ほどの声は誰かと。

 自分の体を勝手に動かし、壊し、そして消えた声。


「う……」


 立ち上がると鈍いはずの痛みを強く感じる。


「いたいのか?」

「……」


 心配する言葉。

 敵対はしていない。でも警戒する。


「うーむ、だんまりはよくないぞ。まぁ、とりあえずあれだ」


 その生物はあぐらをかいて座ったまま見上げると、なさけなく笑った。


「はらへったー」


 意味は理解できる。

 けれども変な鳴き声だとしか認識しないクルルは鈍痛を無視して森の中へと消えて行った。




「そう。

 そうね。

 もうそんな時期なのね」


 瞳は虚空を見る。

 満天の星空が時間を短縮したかのようにぐるぐると回る、巡る、形を変える。


「これ以上この森にいさせるわけにはいかないわ」


 ぐるぐる ぐるぐる

  ぐるぐる ぐるぐる

   ぐるぐる ぐるぐる


 紫の瞳は星の動きを追い続ける。

 そして数多無数の輝きより求めるものを見詰める。

 無数の星がその位置にあるのは無数の生命と同じであり、つまり星の位置、明度は無数の生命の存在を示す。

 これを読み取る事ができるならば、生命の行く末を読み取る事が出来る。

 そして星の軌道こそ、運命である。

 つまりこれが『人』という存在を『星』という存在に『見立て』て、運命を見る『占星術』である。

 『見立て』とは古よりあらゆる場所で起源した。

 触れ合う事の無い文明圏のいずれもでも発生したならば、つまりこれは自然なのだろう。

 その自然こそウィッカの源流である。

 『ネイチャー』ではない『ナチュラル』こそがウィッカの本質なのだ。

 空を見上げる紫の瞳が追う星。

 その傍に輝く巨星はその瞳よりも禍々しい色を放ち、添う星の輝きを喰らわんとしている。


「…………」


 魔女は瞳を閉じ、笑み。

 最後に見た光景を思い、微笑む。

 それは間違いなく安堵であり、どんなに押し殺しても、母親だけが浮かべる事が許された慈愛。




 かさり


 久々に聞いたその音に驚く事無く彼女は振り返る。

 現れた娘の手当てをするため、長いローブを翻して歩く。


「あー、やばいっ。はらへりしぬー!」


 よく分からないわめき声を上げる少年だが、はっきり言って自殺行為である。

 ほんの僅かな匂いに、気配に、音に。この森の存在は集まってくる。

 本来ならば彼はもう大型獣の腹の中だろう。

 しかし幸運とはあるものである。

 結果的にクルルが貫いた魔獣の体液。

 これがこの場から他の獣を退けているのだ。


「うー、あー」


 もはや意味のカケラもないうめきを挙げて転がる少年は名をシリングと言う。

 剣士になるんだーと村を飛び出したのはいいものの、バールとの戦争のせいか国境の警備が厳になり、並大抵の理由では通してもらえなくなっていたのだ。

 ならばと国境にまたがる森に飛び込んだのが、本来運の尽きというか、無謀というか。

 前述した通り魔の森として恐れられるこの森は、近隣でなくとも危険な森という噂くらい立っている。

 そこに飛び込んだ挙句、魔女の領域踏み込んだのだから10分命があるだけで僥倖だろう。

 危機感のカケラもないところを見れば、自分が死ぬという可能性をカケラも脳裏に浮かべていないのだろう。

 事実今彼の頭を占めている思いは「おなかすいた」である。

 お腹の空きすぎで幻覚まで見始めた頃、ぼすっ、という音にむくりと起き上がる。


「おおお!?」


 そこに転がっているのは袋2つ。

 片一方は水袋で、もう一つの中身は今のところ知れない。

 転がるようにそれを手にした少年は一気に半分くらいの水を飲み干すと、袋の中を何の警戒心もなく開く。


「おーーーー!」


 中に入っていたのは干し肉とパンである。

 それをそこに誰が置いたのか、食べても大丈夫なのか、とその辺りの疑念を完全無比で吹き飛ばし食べ始める少年は、それを見詰める姿にやはり気付かない。


「……あ」

「起きたかい?」


 むくりと起き上がった少女は声の主を呆然と見遣る。


「災難だったね」

「……」


 なんと答えていいものか。

 見ればすでに右手は完全に治癒されており、痛みはわずかにもない。


「流石に薬を完全に抜けなかったから暫く安静におし」


 治療のためか、いつものあつぼったい全身を包むローブは脱がされている。

 少女は見事すぎるほど整ったプロポーションを持っている、日に全く当たらぬためか、肌は雪のように白く、ライトパープルの髪が際立って美しく見える。


「あれハなニ?」


 見ても無いはずの母に問うその声は答えを知っていると確信している。

 そしてそれは間違いではない。


「ファグムント。邪霊竜よ」

「……?」

「精霊はまず自然的無意識から発生する。

 そしてそれは年月を経るごとに淘汰され、強いものが残り、そして弱い者は霧散しまた生まれる。

 強くてもやがては霧散し、無に還ってまた生まれる。

 それが精霊のありよう」


 呆然と聞く娘の姿に苦笑の一つも見せない。


「数万、数億に1つの可能性で精霊は強大な王と呼ばれる存在に成り上がる。

 それを精霊王、または神霊と呼ぶ」


 そのカケラも目にする事が出来ない少女には理解する事が出来ない。

 それでも構わないと話は続く。


「中には存在が歪み、俗にいう邪霊、狂った精霊と呼ばれる存在になることもある。

 大半の邪霊は己の存在が故にやがて消えていく。

 川の流れの一部が逆流しても、かならず本流に飲まれて戻るように。

 けれども、その逆流が本流を飲み込むことが奇蹟のような確率で起こることがあるわ」

「邪霊竜?」


 それでも話の流れは見える。


「歪みの象徴、それは『自然崇拝主義』の私たちウィッカが容認できる存在でないと共に、正常なる流れを持たないそれに私たちは無力。

 それは今、あなたの中に居るわ、クュリクルル」

「ボク……ノ?」


 響く声、聞こえる声。

 あの荒々しい禍つ声がフェグムント。


「どうしテ?」

「封じたからよ」


 簡単すぎる回答に押し黙る。


「あなたは魔女にはなれない。

 でも檻にはなれた」

「ボクは……」


 言葉は最後まで放てず、失速して魔女には届かない。


「そしてクュリクルル。

 あれが目覚めた以上、あなたをここには置いておけない。

 あれは魔女の秘術を盗みに来た。

 16の誕生日にこの森を出なさい」

「……」


 見上げる。同じ色の瞳が交錯し、先に逸らしたのは少女。


「はイ」


 そう答えることだけが、彼女に許された事。




 月が昇る。

 欠けた月はピエロの面。割れた笑み、口の形。


「……うーむ」


 森の中を彷徨う少年は疲れて座り込む。

 出られない。

 どうしても森から出られない。

 水と食べ物は寝てる間に近くに落ちていたし、ここに人間がいるのも確か。

 なのにあえないし、森の外にも出れない。


「くっそー、でてこーい!」


 本来そんな叫びを挙げる前に喜び勇んで出て来る肉食獣は影も形も無い。

 彼に運ばれる袋を恐れて近付かないのだ。

 その袋には特殊な薬が付着しており、この森の存在はそれを嫌うように進化させられた。

 この森の主はあくまで『銀嶺の魔女』。

 ここは魔女の箱庭。

 唯一のイレギュラー、クュリクルルだけが己が身に付けた技術で歩く事を許された地。


「おれがあいてだー」


 何の相手かは知らないが、とにかく気を紛らわせながら歩く少年は、まだ少し迷う事になりそうだ。

 なぜなら、ここは魔女の箱庭だから。




「ちっ、おもしろくねぇ」


 口を突いて出た言葉に少女は身を硬くする。

 いや、したつもりだった。


「やっぱりだ。これだけで俺の力はどんどん飲まれていく。

 畜生、秘術だかなんだか知らねえが、クソくだらねえことしやがって!」


 声は出ない。

 けれども思念は届く。


『フェグムント』


「俺様の名前を聞いたか小娘。

 け、だが16年も封じられておしゃべり程度。

 そのうえ表に出るだけでどんどん呑まれていきやがる。

 これじゃああのクサレ魔女をぶっ殺すにゃ、力が足りネェか」


『お母様を殺スの?』


「当然だ。そして秘術は俺のものだ」


『させなイ』


「お前に何が出来る?」


 決して少女が浮かべない感情のある笑み。

 しかし今のこれは酷く歪んでいた。


『……』


「てめぇは魔女じゃねぇ。おちこぼれ以下の役立たずだ。

 だからとっととおっ死んじまえ! この体から俺を解放しろ!」


 荒々しい言葉に、意識が俯く。


「て、言いたいが、この体が死ねば俺も心中らしいな。

 やれやれ、マジうぜぇ術だぜ!」


『……森を、出ル』


 その言葉に表情が凍る。


「魔女め」

『ダメなラ、ボクが死ヌ』

「はン、できねぇな。

 そうだろ、魔女様?」


 魔女は自然の力を最大限に生かすことで奇蹟に似た力を生み出す。

 そのためには己もまた自然であれという教えが存在する。

 己の体を故意に傷つけることは禁忌であり、ましてや自殺など認められるわけもない。

 生まれて当たり前のように信仰していたのだから、魔女になれないと知っても自害という行為には『死』を越えた嫌悪が存在している。


「森を出な」


『……』


「そしてこの森に帰るのさ。お前と言う心を殺して。

 あはははは! さぁ、面白いことになりそうだ。

 聖域に匿われたお嬢さんが、世界のために壊れるか、楽しく見させてもらうぜ!」


 意識がクリアになる。

 世界が戻る。

 言葉を理解しようとして、分からない。

 聖域?この森の事?

 匿われた?どうして?

 ここは魔女の森。

 だから、魔女が居るべき森。


『お前は、魔女にはなれないんだろ?』


 意識の奥からの声。

 自分はここに居てはいけない。

 居る資格が無い。

 だから。

 出て行かなくてはならないのか。




「もりはあきたぞー」

 叫べど喚けど、出口は見えない。

 弓のような月が陰ろうとしている。

 くるりとした目が喚く少年を無表情に見詰める。




 そして日が巡る。

 月が完全に陰る日。

 つまり新月の夜。

 少女は16の誕生日を迎える。

 月の女神イルティナの力によって作られた『迷い森』が弱まるその日。


「おお、いつぞやの変な格好!」

「……あ」


 偶然を必然として、二人は出会い、そして道は開かれる。


「案内すル。ボクも外に出るかラ」

「おおっ、知ってるのかっ!?」

「……うン」


 ばさり、木の上から影が飛び去った。




「あの少年でよかったのですか?

 私はいささか不安なのですが」


 ばさりと羽音。魔女の肩に悠然と留まったフクロウが明朗な言葉で主人に告げる。


「不安とは?」

「大切なお嬢様をあんな男に任せて良いのですか?」


 魔女はふと思案顔になり、そして笑む。


「なまじ賢い子よりもよっぽどいいと思いますよ」

「遠巻きに馬鹿と言っていますか?」

「さて」

 冷徹なる秘術の紡ぎ手とはかけ離れた表情は娘ですら見たことが無いが、この使い魔にとってはごく当たり前のもの。


「あの子は最初からそのために作られた。

 そうしなければ『セリム・ラスフォーサー』の配した因果律法図が乱れてしまうから」

「万年先まで描かれた運命図ですか?

 百代以上を重ね何を描こうというのでしょうか?」

「ウィッカとは自然を統べる術です。

 そして生まれたものは消え行く事が摂理であるならば、ウィッカの果ては決まっています」


 フクロウはきょろりと愛嬌のある瞳を回す。


「なんとも生ある者から見れば自虐的ですね」

「定まった滅びを捻じ曲げることを我々は寛容できません。

 生まれた者は死ぬのが摂理。故に我々は、『セリム・ラスフォーサー』はその果ての先を目指す邪霊竜を認めるわけにはいきません」

「何にせよ、お嬢様は最初からああいう生まれ方しかできなかったと」

 閉じた瞳─────新月であっても月のあるべき場所を見上げる魔女の唇は震える。

「一切の魔力を持たぬ体はすぐに死に絶えます。

 あの子は大気に満ちる気も、食べ物に含まれる気も自らに含むことが出来ない体。

 ただ唯一、身に宿した邪霊竜が放つ濁流のような霊力の一部を持って生きている。

 そう、それはさび付き動く事の無い水車を無理やり動かしているようなもの」

「無駄に使われる膨大な力がかの邪霊竜の力を殺ぎ、檻として機能する、ですか」


 ホゥと生来持ちえたもので一声。


「けれども大地を無為に流れる水はやがて地を削ぎ、川を作ります。

 そうなればあの子は魔力を手に入れるでしょう」

「同時にフェグムントも己の力を取り戻す。

 主様、そうなればお嬢様は死んでしまうのでは?」


 気遣わしげに首を傾げるフクロウ。


「この森にはもはや入れません。

 あの子が死んだとてあの子の体にかかった呪いは再びこの森に入る事が許されないと言うもの。

 あの子の因果を受け継げば、フェグムントが再びこの地に訪れる事はありません」


 不意にばさりと羽ばたいた使い魔は正面の木まで飛ぶと、枝に掴まりくるりと振り返る。


「宜しいのですか?

 セリム・ラスフォーサーとなったあなた様は因果律法図の維持のためにこの森より出る事は許されない。

 お嬢様ともはや会う事はないと言う事ですよ?」


 瞳はただまっすぐに、月を見る。


「あなた様の後継者が銀嶺の魔女となられれば話は別ですけど、それまでお嬢様が持つとは思えません」


 くるりくるりと目を躍らせる使い魔は己の主の視線と合わせる。


「偉大なる魔女、あなたには未来が見えておられるのでしょう?

 お嬢様がどうなるのかを」


 笑み。

 己の問いの結果、主人が浮かべるとは到底思っていなかった表情に首を傾げる。


「どうして始祖はわざわざ因果律法図などを作ったのか、わかりますか?」

「先ほどおっしゃられたではありませんか。正しき末へ導くためでしょう?」


 ほーっと鳴いて首を傾げる。


「では、敷かねば、この世界はどうなるのでしょう?」

「……生まれた物の定めとして何時かは滅ぶでしょう」


 答えてくるくると目を回す。


「はて、では、わざわざ作られた理由とは?」


 魔女は柔らかく微笑み、星を見る。そうして問いに答えず言葉を紡ぐ。


「因果律法図、つまり世界の運命へ強制力を働かせる未来図。

 どうして始祖はフェグムントがこの森に侵入する事を防がず、対策だけを為したのでしょう?」


 ほーほー

 思案げな鳴き声。


「主様。もしやあの少年」

「道があるということは外れるという選択肢を生むのです。

 そして天を流れる数多の星たちの中には不意に軌道をそれ、遠く遠く行く者もあります」


 ありえぬ速度で空を巡る星たちの全てを見渡し、謳う。


「私はセリム・ラスフォーサー。銀嶺の魔女。

 それを誇りに思い、その使命を全うする事こそ存在意義と思います」


 瞳に写る天球図。

 流れ行き、消え行き、そして生まれる輝きが紫の瞳で踊る。


「けれども、同時に私は母でもあるのです。

 可能性があるのであれば、その果ては見えなくとも希望のある場所へ」


 ほーぅ

 高らかに、低く、森に響く使い魔の声。




 そうして、魔女になれない魔女は、森を出る。

 二度と戻れぬ旅路。

 どこに行くかも分からず、その果てもわからずに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ