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本編


 帝宮内にある医務室のドアが勢いよく開くと同時、切羽詰まった声が飛び込んできた。


「助けてください! マクリーン団長が薬を盛られました!」


 デスクに向かい備品の発注リストをつけていたユリハは、ハッとそちらに意識を向ける。

 開け放たれたドアの前、帝国騎士団の紺青の制服を着た若い男性ふたりがぐったりとした同じ団服姿の男性を抱え、縋るような眼差しをユリハに向けている。

 ふたつに結わえたストロベリーブロンドの三つ編みを揺らし、彼女はすぐに立ち上がった。


「薬? 毒ですか? 形状はどのような? どんな症状が出ました? 服毒からの経過時間は?」


 傍らの騎士たちへ、努めて冷静に質問を投げかける。 

 今はちょうど昼時で、医官たちが交代で休憩を取っている時間帯。

 そのうえ急な皇族の呼び出しに応じている医師もいるため、現在医務室内にはユリハひとりきりである。

 が、ユリハは十六のときから六年間この帝宮で看護師として従事しているベテランだ。

 他の女性医官のような愛想はなくとも、清く正しく、日々真面目に粛々と業務に勤しんできた自負がある。


 ここにいるのが自分ひとりだろうが、()()()()を、なんとしてでも助けるのだ。

 冷たいようでいて熱い炎が、ユリハの胸を密かに燃やしていた。


「あ、えぇと、いただきもののクッキーを食べた後、しばらくしてから様子がおかしくなって……明らかに呼吸が荒くなり、体が熱いと……クッキーを食べたのは、三十分ほど前のことです」


 質問に答えたのは、三人の中で一番若そうな黒髪の男。何度か医務室で怪我の手当てをした覚えがある。


 話を聞きながらふたりの騎士を誘導し、患者を奥のベッドへと運んでもらった。

 長身の彼をなんとか横たわらせたところで、もうひとりの赤毛の騎士が口を開く。


「キャンベル殿。おそらく団長は、媚薬の類いを盛られたのかと」

「媚薬? ですか?」


 思いもよらない言葉に、ユリハはきょとんと蜂蜜色の瞳をまたたかせる。

 帝国騎士団副団長である赤毛の男は、神妙な顔でコクリとうなずいた。


「実は先ほど、とあるご令嬢が騎士団の訓練の見学に来ていたのです。お父君である伯爵といらしていて、熱心に──特にマクリーン団長のことをご覧になっているようでした。そうして訓練が終わるやいなや、手作りだというクッキーを差し入れてきて……後でいただく、という団長に今すぐ食べて欲しいと執拗に迫り、仕方なく団長は一枚口にされたのです。その後も伯爵たちは何かと団長に話しかけて纏わりついていたのですが、しばらく経つとしぶしぶといった様子で帰られました。そうして彼らの姿が見えなくなったとたん、団長はガクリと地面に膝をついたのです。あのふたりの前で、団長は必死に薬の症状に耐えていたようです」

「なるほど……」


 うなずきつつ、ベッドの上で荒い呼吸を繰り返す人物へチラリと目を向ける。


 ラディウス・マクリーン。

 帝国騎士団の若き団長で、歳はたしか三十二だったはず。

 さらさらの短い銀髪。鍛えられたたくましい身体つき。

 今は眉根を寄せた苦悶の表情をしているが、その顔が整っていることは一目瞭然だ。

 そして今はまぶたに隠されている瞳がアクアマリンのような美しい薄青色だということも、ユリハは知っている。


 公爵家の次男という立派な家柄で実力もあり、そのうえこんなに美男子な彼は、たいそうよくモテる。

 彼が通りかかっただけでご令嬢たちや王宮に勤める女性たちがきゃあきゃあと騒いでいる光景を、何度も見かけたことがあった。

 性格は極めてクールでどんな女性相手にも淡々とした態度だが、そんなところも魅力のひとつらしい。


 今回のご令嬢も、そんな彼に熱を上げていたのだろう。父親の伯爵も、公爵家との繋がりを持とうと思惑があったのかもしれない。

 媚薬を使い、どうにか密室にでも連れ込んで既成事実を作ろうとしたのだろうか。


 そういえば、以前にも怪しげな薬を盛られそうになったことがあると彼自身が言っていた。モテる男も大変である。

 ユリハは何度かラディウスの治療をしたことがあって、王宮内でも会うと挨拶をする程度には知り合いなのだ。


「わかりましたわ。他の可能性も視野に入れつつ、治療してみます」

「お願いします」


 キッパリとしたユリハの言葉に、騎士たちが頭を下げる。

 そうして彼女は、彼らを医務室から出て行かせた。

 こうなればあとはもうユリハたち医官の領分であるし、高潔で責任感の強い“彼”は、部下たちに自身のこんな姿を見せることを良しとしないだろうと思ったから。


 騎士たちはベッドの上で未だ苦しげにしている上司に心配そうな視線を送りつつ、ユリハの「もし途中で医官の誰かに会ったら早めに医務室に戻るよう伝えて欲しい」との申し出にうなずき、部屋を出ていった。

 他に誰もいなくなった室内で、さて、とユリハは改めて向き合うべき患者に目を向ける。


 呼吸の乱れ。発汗。肌が火照っていて顔色はいい。

 咳き込む様子や嘔吐はなし。副団長の彼が言っていたように、盛られたのは興奮作用のある薬物でほぼ間違いないだろう。


「すみませんマクリーンさま、触ります」


 とりあえず、衣服の締めつけを緩めなければ。ひとこと断ってから、上着のボタンを手早く外した。

 中に着ているシャツのボタンも、すべて開けてしまう。鍛えられた胸板や腹筋がシャツの隙間から見えて思わず手が止まりそうになるが、なんとかやり遂げた。


 問題はズボンのベルトである。

 その下の、なんだか()()()()()()()()ように見える部分を極力視界に入れないよう、しかし急いで緩めて外した。

 これは医療行為であるのに、相手が彼だというだけで情けなくも手が震える。


「う……」


 少し楽になったのか、ラディウスが吐息混じりに声を漏らした。

 眉根を寄せた悩ましげな表情。汗がつたう太い首。

 本来彼が備えているそれに薬の作用も相まって、色気が凄まじいことになっている。


 それは、どうせ自分などは相手にされないからと──厳重にしまい込んでいるはずの恋心が、うっかり漏れ出てしまいそうなほどの威力だった。


 ユリハは、思考を止めてかけていた自分を心の中で叱咤する。

 今は──早くこのひとを、助けないと。

 ひとまず解毒薬を用意しようとした彼女が動くより早く、小さな呻き声とともにラディウスがうっすらとまぶたを開けた。


「マクリーンさま? お気づきですか?」


 身を屈めて顔を覗き込むユリハを、薄青の瞳がぼんやりと捉える。


「……天使がいる……俺は、死んだのか……」


 掠れた美声でラディウスがつぶやいた。

 彼が盛られた薬には、どうやら幻覚作用もあったらしい。これは急いで解毒薬を調合して飲ませなければ。


「あなたさまは生きておられますわ。ここは医務室ですよ」

「ああ、天使かと思ったら、ユリハ・キャンベル嬢だったか……」


 その色気だだ漏れの声で名前を呼ばないで欲しい。

 心の中で悶えつつ面には出さずに、ユリハは神妙な顔でうなずいて見せた。


「ええ、私です。マクリーンさまはどうやら薬が混ぜ込まれたクッキーを食されたようなのですが、覚えておいでですか?」

「ああ……」


 しかめた顔で、ラディウスが天井を睨む。意識はハッキリしているようだ。


「お辛いところ恐れ入りますが、自覚できている症状をうかがっても?」

「……まず、体が熱い。頭がくらくらする。呼吸が少ししづらい。あと、どうしようもなくきみに触れたい」


 付け足された最後のセリフで、カルテを書き込む手がピタリと止まった。

 ユリハはらしくもなく動揺し、視線を泳がせる。


「それは、盛られたのがおそらく媚薬の類いで……せ、性欲が増長されているせいですわ。薬の効果ですので、仕方のないことです」


 義務的に答えたつもりだけれど、声が少し裏返ってしまったのは、気づかれていないだろうか。

 ラディウスが、熱に浮かされたような目をしてまっすぐユリハを見すえている。

 じわ、と、ユリハの体温が上がった気がした。


「解毒薬を……調合してきます。お辛いでしょうが、少しお待ちください」


 そう言って立ち去ろうとしたユリハだったが、不意に左腕をがしりと掴まれ、カルテとペンを取り落としてしまった。

 振り返ると、ベッドに片肘をついてわずかに半身を起こしたラディウスが、一心にユリハを見つめている。

 掴まれた彼の手のひらは、驚くほど熱かった。


「マクリーンさま……」

「いかないでくれ」


 切なげな声がささやいたと思ったら、引き寄せられた。

 バランスを崩したユリハは、ラディウスの上に乗り上げてしまう。

 しかし彼はそれを意に介した様子もなく、あろうことかユリハの腰を強く抱いてさらに体を密着させた。

 ユリハの心臓が、先ほどまでとは比べものにならないほど早鐘を打つ。


「ひゃ、あ、あの」

「キャンベル嬢……」


 すぐ耳もとで名を呼ばれ、ぞくんと背筋に痺れが走った。

 体から力が抜ける。それを見計らったかのように、ラディウスが自分とユリハの位置をくるりと入れ替えた。

 ベッドに仰向けになったユリハを、ラディウスはうっとりとした表情で上から見下ろしている。


「ああ、本当に小さくて……かわいいな、きみは」


 言いながら彼がつつっと頬を撫でるから、ユリハは真っ赤になって硬直する。


 ああ、そんな目で、見ないで欲しい。

 彼のこの言動は、すべて薬のせいなのに……勘違いして、しまいそうだ。


「ま、まくりーんさま」

「ラディウスと呼んでくれないか」

「そんな、だ、だめです、許されません……」


 一応ユリハも貴族ではあるが、実家は田舎の貧乏男爵家だ。

 家督はふたつ下の弟が継ぐし、仕事に生きると決めた彼女は普段から淑女の振る舞いより医官としての立ち回りを第一にしていて、デビュタント以降社交界にだって顔を出していない。

 釣り合っていないのだ、何もかも。

 ラディウス・マクリーン団長は、住む世界が違うひとだと──そう自分に言い聞かせて、想いを、秘めてきたのに。


 ユリハの両手をベッドに縫いつけているその手の指先が、すり、と手のひらを撫でる。

 やわい部分を刺激されて、思わずびくんと身体がはねた。

 ラディウスは、相変わらずいとおしそうに、熱っぽい眼差しをユリハに向けている。


「俺がきみを名前で呼んだら、きみも応えて呼んでくれる?」

「い、いけませんわ」

「ああ、叱る声もたまらない──ユリハ」

「ッ、」

「ユリハ、かわいい……ユリハ」


 なんということだ。あの冷徹怜悧な騎士団長が。表情も心臓も凍りついていると噂されているラディウス・マクリーンが。

 とろけるような笑みを浮かべて、砂糖菓子のように甘い言葉を吐いている。


 ……媚薬、おそるべし……!


「たいへん、大変です……早く、解毒薬を……」

「いかないでくれユリハ。俺はもう、我慢できない」


 そう言ってラディウスが、ユリハの白い制服から覗く首筋にちゅ、と唇をつける。


 だから、その衝動を抑えるための薬を飲ませたいのに……!

 しかし媚薬を盛られていないはずのユリハの頭もくらくらしてきて、体に力も入らなくて、思うように抵抗できない。


「あ、」

「ユリハは、細くてやわらかいな……壊さないように、しないと」


 なんだかちょっと怖いことをつぶやきながら、ラディウスの手がユリハの制服のボタンをぷちぷちと外していく。

 解放された左手で彼の肩を押してみても、びくともしなかった。まるで筋肉の塊だ。


「あ、マクリーンさま、だめです、だめ……」


 ユリハの、誰にも荒らされたことのない新雪の肌に、ラディウスの唇が吸い付いて赤い痕を散らしていく。

 ちくりちくりとしたその痛みが、けれどユリハにはどうしようもなく甘美だった。


「ユリハ、かわいい……好きだ、かわいい、好きだ」


 まるでうわ言のように繰り返す彼の言葉ひとつひとつに、ユリハの心はひどく揺さぶられる。 

 彼のそれが、薬によって引き起こされた一時の欲望でも──このまま、流されてしまいたい。

 密着した下半身に、ずっと何か硬いものが当たっている。

 彼は本気だ。たまたま近くにいただけのユリハを、抱くつもりだ。


「愛している」


 そんなささやきまで落ちてきて、ときめきのあまり死んでしまうかと思った。

 ああ、もう、この記憶だけで──充分、幸せだ。


「マクリーンさま」


 呼びかけて、顔を上げた彼のはだけた肩口に、がぶりと噛みついた。

 ラディウスが、驚いた様子で硬直する。

 目論見通り動きを止めることができたユリハは、しっかり目の前の人物と視線を合わせた。


「これ以上はだめ、です。あなたは患者で、今は媚薬のせいで興奮しているだけですわ。安静に、ね?」

「…………」

「お願い、マクリーンさま」


 毅然と言ったつもりだったけれど、思いのほか懇願するような響きになってしまった。睨んだつもりが、きっと涙目だし。

 しかし、彼の動きは止まった。ユリハを見つめて止まったまま、ぐぐっと眉間のシワが深くなって……それから、うなだれるようにユリハの肩口に頭を落とした。


「……わかった」


 地を這うようなひび割れた声が、すぐそばから聞こえる。ユリハはホッとして、無意識にそこにある銀髪を撫でた。


「いいこですね」

「……きみは……本当に……」


 呆れたような、絶望したような、何かを必死に堪えているような声音で呻かれ、ユリハは小首をかしげる。

 とりあえず、心臓に悪いから早く離れて欲しい。


「覚えてろよ、ユリハ・キャンベル嬢」


 向かい合ってベッドに座り、意外なほどしっかりとした手つきでユリハの制服のボタンをとめてくれながら、ラディウスが言う。

 なぜ、こんなことを言われなければいけないのか。訳がわからず疑問符を浮かべるユリハに、彼は疲れた様子でため息を吐く。


「……申し訳なかった。恋仲でもない相手に、していいことではなかった」


 ベッドを下りた彼女へ、真摯な眼差しでラディウスは謝罪した。

 ユリハは、努めて冷静を装いながらそんな彼を見返す。


「いえ、薬のせいですから。マクリーンさまはお気になさらず」

「次はちゃんと、正しい手順を踏んで触れることにする」

「…………んん?」


 思いもよらない宣言をされ、困惑するユリハ。

 そんな彼女の、服では隠しきれない位置に残った首筋の赤い痕のひとつを、ラディウスの少しかさついた指先がなぞる。


「とりあえず、この痕が消えないうちに花束を持ってきみに愛を乞うところから始めようと思うんだが、好きな花はあるか?」

「え……っえ? え?」


 リンゴのように真っ赤になったユリハを見たラディウスが、それはそれは楽しそうに笑った。







/END

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