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4.婚約破棄の宣言

 学園の夜会。その会場に入ると、いつもと違った視線が向けられているように感じた。

 

 リータルドの纏うのは、ところどころに金色の刺繍が施された派手な式服だ。作りは上等だが派手過ぎる。男爵子息の着るものではない。普段は地味でフォーマルな式服を着ているリータルドにとって、どうにも落ち着かないも式服だった

 

 隣に寄り添うのは男爵令嬢インテリミアだ。ピンクを基調に白のフリルがあしらわれたドレスだ。上品にまとめられており、彼女のまっすぐなダークブラウンの髪が良く映えていた。見た目だけなら可憐でかわいらしい令嬢だが、その内面を知るリータルドとしてはちぐはぐさを否めない。彼女もまた、これまでの夜会ではもっと大人し目のドレスを着ていた。

 

 二人の衣装は伯爵子息アベラティオが用意立てたものだ。その準備には複数の人間を介して直接関与していることが覚られないように注意していた。発覚すればキィンネイラを手に入れるときに不都合が生じると思われたためだ。

 

 衣装を初めて見た時は、複数の人を介したことにより指示がおかしくなってしまったのかと思った。リータルドもインテリミアも、自分たちには似合わない装いだと思った。

 

 だがこうして夜会の会場に入ると印象が変わった。周りから見れば、恋に浮かれて無理してめかしこんだように見えることだろう。これは婚約破棄を告げるのに、実に相応しい装いだったのだ。

 おかしな策略を立てたアベラティオだったが、相変わらずその計画は入念で隙が無かった。

 



 初めて学園の夜会に参加した時は、昼の学園とは別世界に思えた。ドレスで着飾った令嬢たちは昼の学生服姿とはまるで違うように見えたし、式服を身にまとった子息たちは幾分大人びて見えたものだった。それも回数を重ねるうちに慣れた。

 

 だが今宵、リータルドにとって、学園の夜会は別世界のように思えた。

 

 普段なら袖を通すことすらなさそうな式服を着ている。定期的に密会はしていても、連れ歩くことなど無かった令嬢が隣にいる。

 なにより夜会に臨む心持ちが違った。

 これまでは社交界での立ち振る舞いの勉強という建前のもと、楽しむ気持ちもあった。いまはそんな余裕などなかった。

 リータルドは以前、魔物の討伐のために領内の森に訪れたときのことを思い出していた。幼い頃の遊び場として慣れ親しんだ森が、生死を分ける戦いの場になってしまった。良く知った場所なのによそよそしく感じられる。この夜会には、あの時に近しい違和感を覚えるのだった。

 

 やがて、会場の中央に着くと、キィンネイラの姿を見つけた。彼女の感覚の鋭さなら、会場に入った時点で気づいていたはずだ。きっとこちらが会場の中央に来るまで待ってくれていたのだろう。

 キィンネイラの纏うのは白を基調に、彼女の髪色に合わせたブラウン差し色にしたドレスだった。肩まで届くブラウンの髪はひとまとめに結ってあった。彼女の可憐さを見事に演出する装いだった。

 

 こちらを見つけたがキィンネイラがシッポと髪を揺らしながらしずしずと近づいてくる。


「……キィンネイラ。そこで止まってくれ」

「!? は、はいですワン」


 まさか近づくことを制止されるとは思わなかったのだろう。キィンネイラは戸惑っているようだった。不思議そうに、リータルドの傍らに立つインテリミアのことを見ている。

 これから起こることをまるで予想もしていないようだった。胸が痛む。だが、その程度の痛みで今更やめられるはずが無かった。

 リータルドは意を決して口を開いた。

 

「私はこの男爵令嬢インテリミアとの間に真実の愛を見つけた! だからキィンネイラ! 君との婚約は……」

「わかったですワン! リータルド様は重婚なさるおつもりなのですね!」


 婚約破棄の宣言はキィンネイラの声で強引に中断されてしまった。予想外の言葉に戸惑ううちに、納得顔でキィンネイラは言葉を続けた。

 

「以前からリータルド様ほどのお方が一人の女性で満足できるわけが無いと思っていたですワン。人間の社会では一夫多妻は認められないと聞いていましたが、そういう決断をなされたのならわかったですワン。

 安心してください、獣人において妻を複数娶ることは珍しくないことで、このキィンネイラも、そうしたことに理解がありますですワン! でも!」

 

 キィンネイラはインテリミアにむけてびしりと人差し指を向けた。

 

「リータルド様にとっての一番の座を譲る気はないですワン! 文句があるなら序列を決める勝負をするですワン!」


 リータルドは胸が締め付けられた。彼の戦士としての眼力は、キィンネイラの指が震えているのを見て取っていた。

 平気でいられるわけがない。たとえ獣人にとって一夫多妻が珍しくなくとも、いきなり他の女を連れて来られて、平気な婚約者などいるはずがないのだ。

 この獣人の令嬢は、リータルドが裏切ったとはまったく思っていない。どこまでもリータルドのことを信じて受け入れようとしているのだ。

 

 そんな令嬢を裏切るのはどれほど罪深いことなのだろう。

 リータルドは心の中で自嘲した。裏切るというのなら今更だ。最初からキィンネイラのことを騙していた。彼は男爵子息であり、家も領民も見捨てることなどできないのだ。

 

「違う、違うんだキィンネイラ! 私はこのインテリミアとの間に真実の愛を見つけた! このインテリミアのみを生涯の伴侶とする! キィンネイラ、君との婚約は破棄させてもらう!」


 言った。ついに言ってしまった。

 最初から決まっていたことだった。こうなることはずっとわかっていた。それなのに、胸の中にぽっかり穴があいたような喪失感があった。

 

 こうも決定的に告げられては、さきほどのように無理矢理好意的に受け入れることなどできないのだろう。

 キィンネイラは顔を伏せた。

 あたりのざわめきは消えた。どうしようもない静けさの中、顔を伏せたままのキィンネイラがぽつりと声を上げた。

 

「リータルド様、知っていますか? 王国が獣人を奴隷として扱っていた時代のことを」


 突然何を言い出すのか。リータルドはどう答えるべきかわからないうちに、キィンネイラが顔を上げた。

 鋭く光る瞳が、リータルドを射抜いた。


「奴隷として契約させられた獣人が解放されるのは命が尽きた時のみ。つまり獣人との契約は、死を持ってしか解除できないのですワン。婚約を破棄したいのでしたら、私のことを殺すしかないのですワン!」

「そ、そんな昔のことが関係あるものか! 君を殺すだと……!? そんなことできるわけがないだろう!」

「そうですか……それなら仕方ないですワン」


 キィンネイラは口角を上げた。人前で犬歯を見せるのは恥ずべきことと言っていたキィンネイラが、今は犬歯をむき出しにしていた。

 そしてキィンネイラはドレスグローブを脱ぎ捨てた。あらわになった彼女の指先の爪は驚くほど長い。獣人は自由に手の爪を伸ばすことができ、その切れ味はナイフ以上と言われている。シッポもピンと立っていた。

 キィンネイラは、完全に戦う態勢に入っていた。


「リータルド様を諦めると言うまで、その泥棒ネコを痛めつけてやるしかないですワン……!」


 キィンネイラがぞっとするほど強烈な気迫を立ち上らせた。領地を守るため何年も戦ってきたリータルドでさえ震えが走るほどの強力な気迫だった。周囲の生徒たちは一斉に後ずさった。

 背後から「あぁ……!」という悲鳴が聞こえた。インテリミアはこの凄まじい気迫を受けて耐えきれなかったのだろう。心配に思ったが、そちらを見ることはできない。今はキィンネイラから目をそらすわけにはいかなかった。

 

 獣人の常識で物事をとらえるちょっと変わった令嬢だった。それでも、試合以外で人を傷つけるような真似はしない優しい令嬢だと思っていた。

 リータルドは歯噛みする。婚約破棄の宣言は、そんな彼女を凶行に走らせるほど傷つけてしまったのか。

 

 学園内の夜会で暴力を揮えば、キィンネイラはただでは済まない。退学で済めばいい方だ。咎は彼女の男爵家にまで及ぶことになるだろう。

 

 止めなければならない。だが、どうすればいいのか。

 婚約破棄を宣言したばかりだ。こちらの制止の言葉を素直に聞くとは思えない。そもそも、なんて声をかければいいのかすらわからない。


 剣もなしに本気になったキィンネイラを止めることはできない。素手ではとても対抗できない。

 リータルドの得意とするデバフの魔法はどれも即効性が低い。それではインテリミアを守り切ることは不可能だ。キィンネイラの身体能力を考えれば、インテリミアを連れ去って逃げることすら難しくは無いだろう。

 

 それでも、一つだけ手段はあった。リータルドは攻撃魔法の扱いは上手くなかったが、まったく使えないわけではない。キィンネイラの動きは速いが、それでもタイミングさえ見誤らなければ、最初の攻撃に合わせるくらいのことはできる。

 

 可能な限り近づき、自爆覚悟でファイアーボールを炸裂させる。直撃させるのは無理でも爆風に巻き込むことは可能だ。

 

 だがそれでは加減ができない。キィンネイラを必要以上に傷つけてしまうことになる。当たり方によっては殺してしまうことすらあり得る。そんなことはしたくはなかった。

 

 キィンネイラを傷つけずに事態を収める術はないものか。どんなに考えても妙案は浮かばなかった。

 そして、ついに。キィンネイラが一歩を踏み出した。

 リータルドは領地を守るため幾度もの実戦を経験してきた戦士だ。最悪に備えてファイアーボールはいつでも放てるようにしてある。意識するまでもなく身体は反応した。

 

 キィンネイラの踏み込みは十分に迎撃可能な速度だった。

 それが何を意味するか。リータルドは直観した。

 

「ふざけるなっ!」


 リータルドは魔力を霧散させた。ファイアーボールは必要なかった。ただ両手を広げてキィンネイラの身体を受け止めた。予想通り、受けた衝撃は軽いものだった。

 

「キィンネイラ、君は……君はっ!」

「リータルド様……」


 抱きしめながらキィンネイラの瞳を見つめる。大粒の黒い瞳は涙で潤んでいる。その目を見て、リータルドは自分の直観が正しかったことを確信した。


()()()()()()()()()()()()()()()!?」


 キィンネイラが本気を出せばリータルドでも攻撃を合わせるのは難しい。だが先ほどの踏み込みは浅く、その速度も試合の時より遅かった。

 明らかに全力ではなかった。あれは攻撃ではない。迎撃を受けるつもりで、自らの身を差し出したのだ。

 

「一体どういうつもりだっ!?」

「リータルド様がもし本当にあの令嬢と『真実の愛』を築き、わたしのことを捨てるというのなら……生きている意味なんて無いですワン……」

「だからインテリミアを襲うと言ったのか。俺の気持ちを試すために、襲うふりをしたというのか……!?

 なんてバカなことを! 君の意図に気づかずに本当に攻撃魔法を撃っていたらどうするつもりだったんだ!? 死んでいたかもしれないんだぞ!」

「わたしは信じていたんですワン……リータルド様が、わたしのことを選んでくださると、信じていたんですワン……!」


 キィンネイラはぎゅっとリータルドを抱きしめた。

 婚約破棄のための付き合いだった。好意を持ってはならない間柄だった。

 それでも、リータルドはキィンネイラに惹かれていた。素直な彼女のことを、好きになっていた。

 婚約破棄する相手だ。いずれは別れねばならない相手だった。だから自分の気持ちに蓋をしていた。見えないふりを続けていた。

 それなのに、キィンネイラはいつも近くにいてくれた。明るい笑顔を見せてくれた。

 

 そしてキィンネイラは、婚約破棄を告げられてもなお、リータルドのことを愛していた。

 自らの命すら投げ出して、想いを伝えてきたのだ。

 

 なんてまっすぐで、ひたむきで、一途な令嬢なのだろう。

 彼女の想いを前にして、もはや自分を偽ることなど不可能だった。

 リータルドは敗北した。キィンネイラの恋心に、完膚なきまでに敗北したのだ。

 

 リータルドはキィンネイラのことを抱きしめ返した。そして、インテリミアに向けて告げた。

 

「すまない、インテミリア。キィンネイラとの間にあるものこそ『真実の愛』だった。それに気づいてしまった。君と共に居ることは、もうできない」


 インテミリアは座り込んでいた。先ほどのキィンネイラの気迫に当てられたのだろう。

 しかしリータルドの言葉を受けると、すっと立ち上がった。

 溜め息一つ吐いたあと、インテミリアはそっけなく告げた。


「そうですか。ならもう付き合っていられません。どうぞお幸せに」


 見事なカーテシーを披露すると、インテリミアは立ち去った。こんなことになったというのに、実に毅然と振舞いだった。あるいはそれが、彼女なりの矜持だったのかもしれない。

 

 学園の夜会に突如起きた婚約破棄の一幕。それは婚約者二人の仲を分かつことは無かった。それどころか、二人の絆を深め合うという形で終わったのだった。




 婚約破棄の一幕の後。リータルドはすぐさまキィンネイラを連れて会場を後にした。誰にも呼び止められることは無かった。さきほど垣間見せたキィンネイラの獣の力は会場の生徒たちにを畏怖させていたのだ。

 学園の中。夜会の日には人の来ることのない部室棟の廊下まで来た。巡回の教師の見回りの時間までは間がある。しばらくの間は誰にも邪魔されずに話をできるはずだった。


 月の光しか明かりの無い、静寂の支配する学園の廊下。

 リータルドは全てを明かした。

 

 伯爵子息アベラティオがキィンネイラを手に入れるため、婚約破棄の策略を仕組んだこと。

 そのためにリータルドがキィンネイラと婚約して、キィンネイラに嫌われようとしていたこと。

 そして、伯爵子息アベラティオに命じられるまま、婚約破棄の宣言をしたこと。

 すべてを隠すことなく語って聞かせた。

 

「……呆れたことだろう。俺のことを嫌いになったのなら婚約を解消してくれ。だが、その前にどうか聞いてほしい。アベラティオはまだ君を諦めないに違いない。君のご両親に相談して対策を練ってくれ。俺もできるだけのことはする。どうか、自分の身を守ることを考えてくれ」


 キィンネイラはゆっくりと首を振った。

 そして温かな微笑みを浮かべ、リータルドの目をまっすぐ見つめて告げた。

 

「こんなことであなたのことを嫌いになったりしませんですワン。ずっとあなたのおそばにいたいですワン」


 リータルドは泣きそうになった。

 こんなにも愛されている。そう思うと勇気が湧いた。リータルドは決意を固めた。

 キィンネイラの手を取ると、力強く宣言した。

 

「なら、駆け落ちしよう!」

「ええっ!? か、駆け落ちですワン!?」

「そうだ! 伯爵子息アベラティオも、家を捨て平民になった俺たちを追ってくることまではしないだろう。平民の暮らしは楽じゃない。君にも苦労を掛けることになる。それでも俺は君を幸せにするために全てを尽くす。一生かけて、君を愛すると誓う!」


 キィンネイラのシッポがピンと立った。頬がリンゴのように赤く染まった。

 

「た、たいへんキュンとくる魅力的なご提案ですが……逃げるなんてダメですワン!」

「しかし、他にどうすれば……」

「たかが伯爵子息ごとき、この男爵令嬢キィンネイラ・ファイエスドゥーグの敵ではないですワン! わたしを信じて、ここは任せてほしいですワン!」


 キィンネイラは自信ありげに宣言した。

 伯爵子息アベラティオは、ああ見えて魔力が高く、魔法の扱いも学園トップレベルだ。その性癖は異常だが、狡猾で抜け目のない男だ。

 

 単純な戦闘なら、リータルドとキィンネイラが力を合わせれば十分勝てる相手ではある。だが、喧嘩に勝ったところで何の意味もない。

 

 アベラティオは伯爵家の人間だ。リータルドもキィンネイラも下位貴族である男爵家の人間であり、伯爵家からの報復に抗う術はない。たちまち家は取り潰され、悲惨な末路をたどることになるだろう。

 キィンネイラもそのことはわかっているはずだ。しかし彼女は自信に満ち溢れ、不安な様子はなどまるでないのだった。

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