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1.婚約破棄の策略

「婚約破棄を前提に、婚約をしろですって……!?」


 貴族たちの通う学園内の談話室で、驚きの声が上がった。

 

 学園の談話室とは、貴族の子息や令嬢が学園に申請して借りることのできる場だ。この学園には10部屋程用意されている。表向きは学生同士が気兼ねなく議論を交わせる場として、学園が提供したことになっている。

 だが、防御結界が張られ防音対策まで施されているこの部屋は、実際のところ密談に使われることが多い。貴族社会に本格的に入る前の令嬢や子息には、学園内にこういう場所があった方が都合がいいのである。

 

 声を上げたのは男爵子息リータルド・ラニングハードだ。短く切りそろえられた灰色の髪。鋭い目つきは瞳の色は薄茶。学園の制服に身を包んだその姿は一見ほっそりとしているが、よく見れば引き締まった鍛えられた身体であることわかる。

 貴族の子息と言うより兵士と言った方が相応しい、17歳の精悍な青年だった。

 

 声を受けたのは伯爵子息アベラティオ・リチテリートだ。肩まで届くふわりとした鮮やかな金髪。切れ長の瞳の色は蒼。透き通った鼻梁に形のよい唇。どこを取っても気品を感じられる、貴族と呼ぶにふさわしい美形の青年だった。

 ティーカップを手に穏やかで落ち着いた微笑みを浮かべる様は、まさに貴族の子息と言った風情だった。アベラティオも学園で同学年の17歳だ。

 

 ラニングハード男爵領はリチテリート伯爵領に隣接している。ラニングハード男爵家は金融に農作物の生産や流通など、およそあらゆる面において伯爵の影響下にある。ラニングハート男爵家の子息であるリータルドにとって、リチテリート伯爵家の子息であるアベラティオは、逆らうことのできない上位貴族なのである。

 

 わざわざ学園の談話室を用意してまでの頼み事。リータルドも、ろくでもないことに違いないと覚悟はしていた。それにしても婚約破棄を前提に婚約しろとは、あまりにも予想外の命令だ。そもそも意味が分からなかった。彼が声を上げてしまうのも無理のないことだった。

 アベラティオはその驚きの声を受けて、眉を寄せた。

 

「すまなかった。つい気持ちが先走った。事情を一から話そう」


 そう言って、アベラティオは髪をさらりとかき上げた。そんな彼の仕草はいつも学園の令嬢たちを悩ませる。未だ婚約者のいない彼の美しさは、令嬢たちの口の端に上ることもしばしばだ。

 だがそんな芝居がかった無駄な動作はリータルドは苛つかせただけだった。もっとも彼がその苛つきを表に出すことはない。アベラティオがこんな感じなのはいつものことで、リータルドは慣れていたのである。


「君は、男爵令嬢キィンネイラ・ファイエスドゥーグを知っているだろうか?」

「え? ええ、知っています。有名人ですからね」


 予想外の名前が出てきた。

 男爵令嬢キィンネイラ・ファイエスドゥーグ。

 ブラウンの艶やかな髪に黒の瞳。小柄な彼女は、綺麗と言うより愛らしい。

 かわいらしい令嬢だが、それだけなら美形の多い貴族の学園で有名にはならなかっただろう。


 彼女の頭には三角形の耳がちょこんと突き出ている。そして腰からは、フワフワのシッポが垂れている。彼女は犬の獣人なのである。

 ファイエスドゥーグ男爵家は王国で唯一の獣人族の貴族であり、キィンネイラはその令嬢なのだった。

 

 この王国において獣人族の立場はあまり高いものではない。昔は奴隷として使役されていたという。しかし今、獣人族の立場は平民と変わらないものとなっている。

 数十年前の大戦において、獣人族は多大な戦果を挙げた。そのとき、獣人族を取りまとめていた長は、王へと報酬を願い出たのだ。

 

「どうか我が一族を貴族に取り立てていただきたい。虐げられる獣人族を守るため、貴族として王国のために尽くしたいのです」


 その高潔な願いに当時の王は感銘を受けた。そして王は、他の貴族たちの反対を押し切り、獣人族の長に男爵の爵位を与えた。

 歴史書ではそうなっている。でも実際は、虐げられてきた獣人族の不満は大きく高まっており、反乱を恐れた王が苦肉の策で獣人を取り立てた、という説もある。

 とにかく、獣人族のひとつが貴族となった。そして今、学園に通うのが、その獣人族の男爵令嬢キィンネイラ・ファイエスドゥーグなのである。

 

 そんな獣人族の男爵令嬢は、学園では孤立している。貴族の間ではまだまだ獣人族を蔑視する者が多い。そんな中でも物怖じする様子もなく、学園生活を送っている。小柄ながらに凛とした姿がリータルドの印象に残っていた。

 

「かわいらしいと思わないかね?」

「はい?」

「頭からちょこんと突き出た耳! なんと愛くるしいことか!

 あのブラウンの髪! その艶やかさときたらどんな上等な毛皮も敵うまい!

 あの小柄な身体! 抱きしめたら手にすっぽりと収まって、最高の抱きごこちに違いない!

 なにより素晴らしいのはあのシッポ! あのシッポにモフモフする以上の幸せなど、この世のどこにもないだろう!

 君もそう思わないかね!?」

「ええ、ああ、はい。そう思います」


 突然興奮し始めたアベラティオにドン引きしながらも、リータルドは辛うじて声を返した。

 ちょっと変わった人物とは思っていたが、獣人族に対してこんな感情を持つような性癖だとは知らなかった。それに言葉の一つ一つが麗しい令嬢に向けるものではない。まるでペットか何かについて語っているかのようだ。

 

「欲しい! 彼女のことをなんとしても手に入れたい! ……だが彼女と婚約を結ぶのは、伯爵の血筋が障害となった。父に縁談を結ぶよう頼んだが、卑しい獣人族の血を入れるわけにはいかない、などと言うのだ!」

「お立場を考えれば仕方ないことだと思います」


 顔に手を当て、深く悲嘆に暮れるアベラティオ。その芝居がかった仕草に辟易しつつ、リータルドは追従の言葉を添えた。

 昔と比べて獣人族の立場は改善された。奴隷として扱っていたのは過去の事。今では平民と変わらない。男爵令嬢キィンネイラは身分としては貴族だ。

 しかし、ほとんどの貴族がそれを形だけのものと考えている。未だ獣人族を低く見ている。婚約関係を結ぶことなどおよそ考えられないことだった。

 

 事実、ファイエスドゥーグ男爵家はこれまで人間の貴族を迎え入れたことはない。獣人族から伴侶を迎えて存続してきた閉じた一族なのである。

 

 獣人の令嬢であるキィンネイラを、由緒正しい伯爵家が嫁として迎え入れることなど、常識的に考えてできるわけがなかった。


「そこで私は考えた。そしてようやく突破口が見えた。意外にも、婚約破棄の舞台劇に学ぶところがあった。そこでちょっとした策略を思いついたのだ」

「はあ、舞台劇ですか」


 ここ数年、王国では婚約破棄の舞台劇が流行していた。

 ヒロインが突如、理不尽な婚約破棄を突きつけられる。しかしそれはヒロインにとって絶望であると同時に人生の転機でもあった。ヒロインは新たな縁談で、聡明で思慮深い伴侶と出会い、自らの新たな可能性を見出してしあわせになる。その物語には多彩なバリエーションがあるが、基本的にはこうした筋書きだ。

 リータルドもそうした婚約破棄の舞台劇についてはそれなりの見識があった。それほど興味があるわけでもなかったが、クラスメイトとの話題の端に上ることも少なくなかったのである。


「普通に縁談を申し込むことはできない。だが、理不尽に婚約破棄されたキィンネイラ嬢を救うという形ならどうだろう? 父も無碍にすることはできないはずだ」


 リータルドは戦慄のあまり言葉を失った。

 荒唐無稽な話だが、可能不可能で言えば、可能ではあるのだ。貴族と言うのは体面を気にする。気の毒な令嬢を救うという名目を前面に打ち出せば、伯爵と言えど断りづらいものがあるだろう。ましてキィンネイラの身分は男爵令嬢なのだ。伯爵子息と男爵令嬢の婚姻自体はおかしなことではない。


 だがなにより戦慄したのは、実現の可能性より、アベラティオの願い事が何であるのかようやく理解したためだ。

 アベラティオは当たり前のように言葉を続けた。

 

「そういうわけで、改めて頼みたい。キィンネイラ嬢と婚約してくれたまえ。そして頃合いを見て理不尽に婚約破棄を宣言するのだ」

「何を言っているんですかあなたは!?」


 さすがにリータルドも突っ込まずにはいられなかった。ろくでもない頼みごとがあると覚悟していた。だが、これほどまでに常識外れのおかしな策略を頼まれるとは思わなかったのだ。


「何か問題があるのかね?」


 アベラティオは平静を保ったままだ。自分の言っていることの異常性に気づいていない。彼はよくも悪くも生粋の貴族だ。貴い立場にある自分は常に正しいと思い込んでいるのだ。


「理不尽な婚約破棄と言えば、真実の愛を見つけたとか言って浮気をしなければならないのでしょう? 残念ながら、そんな相手に心当たりはありません」

「ならば問題はない。実は候補は見繕ってある」

「こ、こんなことに付き合う令嬢がいるというのですか!?」

「伯爵家の助けを望むのは、なにも君の男爵家だけではない。君の男爵家に相応しい家格の令嬢を用意してある。演技として付き合ってもらうが、お互いに都合が良ければ、そのまま結婚してくれて構わない。伯爵家として支援することを約束しよう」


 それは実に魅力的な提案ではあった。

 リータルドの男爵家ははっきり言って貧乏貴族だ。条件のいい婚約相手を得られるかどうかは死活問題だ。17歳になって未だ縁談のひとつも結べないのは、家の貧しさが大きかった。

 伯爵の手引きで縁談を取り持ってくれるというのなら、本来なら両手を挙げて受け入れるべきことなのだ。

 貴族としては正しい取引だ。だが貴族以前に人として、どうしても確認しなければならないことがあった。


「そんなことをして、キィンネイラ嬢はどうなるのですか。どんな理由であれ、婚約破棄などされたら傷つくに決まっています。彼女のことを愛しているのではなかったのですか?」


 本質的な問いだった。絶対に確認せねばならないことだった。

 だがアベラティオは悩むそぶりすら見せず、確信を込めて答えた。


「それなら問題ない。傷ついた彼女は私の愛で癒してみせよう」


 負い目は見えない。後ろめたさもうかがえない。悪意すら感じられなかった。

 アベラティオは恐るべきことに、この婚約破棄の策略を、異常なことと考えてすらいないのだ。

 こうなれば言葉で撤回を促すのは不可能だ。目上の貴族に対して、まさか力づくというわけにもいかない。リータルドは打つ手が無くなったことを認めざるを得なかった。

 

「実のところ、君の父上には了承を取り付けてある。後は君が首を縦に振るだけなのだ」


 外堀まで埋められていた。

 アベラティオはそういう貴族なのだ。自らの望みのためならあらゆるものを手配するのだ。


 かつてリータルドは、アベラティオの怒りを買ってしまったことがあった。その後一年近く、リータルドの男爵家は苦境に立たされた。生かさず殺さず、絶妙な締め付けを加えられた。後にその状況を作り出したのがアベラティオだったと知った。彼は幼い頃から優れた貴族的な手腕を備えていたのだ。

 

 ここで首を横に振ったところで、どのみち後で了承せざるを得ないところまで追い詰められるに決まっていた。リータルドにはもはや、拒否する選択肢すら許されていなかったのだ。

 

「……わかりました。お引き受けします」


 不満を顔に出さないようにしながら、内心ほぞをかみつつ、リータルドは引き受けたのだった。

 



 男爵令嬢キィンネイラ・ファイエスドゥーグへの縁談の申し入れはすぐに受け入れられた。もともと獣人族は人間の貴族を一族に迎え入れたいと切望していたのだ。たとえどんな思惑があろうとも、こうしたチャンスを逃すことはできないのだ。

 

 そもそも不審な点はない。貧乏男爵の子息が婚約相手を見つけられず、獣人族の貴族に縁談を申し出る――まったく無理のない流れだった。

 アベラティオはそういうったことも計算に入れてリータルドに話を持ち掛けたのだろう。アベラティオは異常ではあっても、こうしたことに抜かりは無いのだ。


 同じ学園に通う顔見知りではあっても、縁談となれば上位の貴族の家に相手を招いての顔合わせが一般的だ。しかし、今回はそうならなかった。


「わたしの伴侶になるのなら、力を示してほしいですワン!」


 獣人族の男爵令嬢キィンネイラは、そんなことを言い出したのだった。

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