1ミリ
僕には欲しいのに手を伸ばしても届かない物がある。
世の中の人達はそれを簡単に手に入れてしまっている。
なんと羨ましい事だろう
なんと妬ましい事だろう
僕もそれが欲しい
渇望してやまないというのに
そんな事を思っていると脳内で
『あなたが欲しい物を手に入れた人は辛い思いや、苦しい思い、懸命な努力や、頑張って勇気を振り絞るなど行動をしているのですよ?』
と、僕に投げ掛けてくる
そんなの分かってるよ
聞いてて苦しい程の正論だった
……そんなの痛いほど身に染みているよ
自分の無力さも、自分の勇気の無さも!
でも、どうしたらいいか分からないんだ!
頭を抱えてうずくまり、目からは涙が溢れ出しそうだ
すると脳内で
『……行動するのはどうでしょう?』
と聞こえる
簡単に行動出来たらしてるよ
キミには今の僕の悩みがちゃんと分かってるのかな?
僕には行動する勇気が無いんだよ
『あなたの行動すると私が行動するの意味合いが違うかもしれません』
どういう意味?
『辿り着きたい場所があるとしましょう』
それで?
『今あなたのいる地点が0メートルです。ゴールは100メートルに設定したとしましょう。あなたは1歩目で何メートル進みたいと思いますか?』
10メートルとか?
欲をいえば50メートルとかかな
『なるほど。ですが、私は1歩目が1ミリでもかまわないと思います』
1ミリ? ほぼ動いてないじゃん
『ですが、1ミリ動いたという事実は変わらないのではないでしょうか?』
まあ、そうだけど
『苦しくて無理をして10メール進めても挫折してゴールを目指すのを諦めたら悲しいですよね?』
うん
『1ミリという僅かな行動でも365日毎日1ミリ進んだら365ミリ進むのです。ここで重要なのはゴールまでの距離ではありません。大事なのは365日、毎日一ミリづつだけれど動いた、距離にしたら僅かだけれど行動した。とういう事ではありませんか?』
……そうだね
『あなたの幸せを祈っております』
キミは誰なの?
また悩んだら聞いてくれる?
脳内の存在の返答は無かった。
僕は脳内が言った言葉を繰り返し考えた。
人によって一歩で進める距離もそれぞれだったり、ゴールまでの距離も個人差があったりするかもしれない
1ミリ進むのに壮絶な体験をするかもしれないし
その場でうずくまるかもしれない
けれど、一ミリなら
また立ち上がって踏み出せるかもしれない。
何故かそう思えた。
僕が欲しい物を絶対に手に入れてやる
とは、言えないけど
一ミリづつなら行動してみよう
そう思えた桜が散った春の日の事だった。