仔犬の墓暴き・2
第二棟の離れ、孤立するように配置されているとある一室のロックを解錠する。多重の暗号型ロックの扉を解錠していき、鉄格子に囲まれた切間佳織の姿を拝んだ。
「伏魔さんですか。あなたがここにくるのは珍しいですね」
まるで手入れされているような艶がみられない、伸びきった髪を掻き分けてその瞳が私を捉える。
「お久しぶりです佳織さん。最後に会ったのはまだ私が十歳になったかどうかのころのはずですが、わかりますか」
「それは、ええ。ここのメンバーはそうすぐに移り変わるなんてことはありませんし、亡くなった関係者がいれば私の耳にも届いていましたから」
微笑みを湛えて再会を歓迎されて、いるのだろうか・・・?
瞬きを忘れたかのようにかっ開かれたその黒目は私に視線を向けながら、どこか違うところを見ているようでもある。
穏やかとはいえない瞳と対比した、とてもやさしい声色。知る限りでは十五年はここに監禁されていると聞く。それ故のこの語り口なのかと想像すると、私にはとても彼女の心を推し量ることはできない。
「もっとよくその顔を見せてください、あなたの成長が見られなくて寂しかったのですから」
「・・・こちらに顔を出せなくてすみません、佳織さん。お変わりなきようでなによりです」
「まあ、ありがとう。伏魔さんこそ、素直なところは変わってなくて嬉しいです」
耳や唇をなぞった指が存外に温かく柔らかいながら、ぞわりとした感覚に背をびくつかせる。
「ああ、ごめんなさい。年頃の女性ですからね、そんなに顔をベタベタ触られるといい気はしませんよね」
私はできる限り表情を殺していたのだが、それとも切間はほんの数秒で満足してしまったのか。
あっさりと手を牢獄の中に引き戻し、佇まいを改める。
「何か聞きたいことがあるのですか、沖村君はご健在でしょう。どうして私に?」
「少し複雑な様子で、佳織さんから聞いた方がいいかと思いまして。嫌でしたか?」
いえいえとんでもないですよ、と微笑みながら細い指を顔の前に振る。
「むしろ安心しましたね、私の研究に部外者が不用意な着手をしていない証拠です」
点在する違和感に背を向けて、私は笹岡局長の追っているメイという存在についての情報を求めた。ちらりと怪訝な表情を垣間見つつも、気付かないフリをして要件を最後まで耳に運ぶ。
「メイの研究データなら、沖村君の助手をしていたあなたは知っているのでは?」
「資料に目を通したのは随分昔の話ですから、あまり記憶には・・・最近の沖村さんはとんと触らせてくれなくなりましたし」
そうですか、と考えるように耳たぶを擦る。
「・・・何か甘いものは貰えますか?」
「そうくると思って、ここに」
言いながら、ポケットから小さな四角い包みを取り出す。
「ありがとう。長い話になりますし、小難しいことも言うでしょうからかいつまんで聞いてください」
包みのなかのチョコレートを噛みしめて、彼女は口を開いた。
◇◇◇
おどろおどろしい冷気に包まれた月夜ではなく、特別な静けさもない。
セクター・ナインのエージェント、四人しかもたないスレイヴの肩書をもつ私は、今夜暗殺を決行する寄生体の顔を頭に思い浮かべていた。
伏魔なぎさ宛てに送られた情報を携帯端末に表示しながら、商店街のなかを突き抜けていく。近ごろはこの近隣に大型ショッピングセンターが開設されたことにより、下町のこういったところは当然のようにシャッターが下りている店が半分を占めていた。
熟年者たちの、縄張りに迷い込んだ小動物を見るような視線を浴びる。そのなかに混在するように、私を見るなり視線を逸らす者も数名。
この辺りに任務として向かうことは少なくなく、見知った顔もいくつか散見される。
私がいま歩いているのは、この日本全国においても寄生体の確認数が最大級を叩き出す地区。つまり、寄生体の温床といっても過言ではなかった・・・それはあくまで沖村の持論であり、寄生体とそうでない人間の区別がつかない私には、ただ彼から与えられた情報と特別な装備をもって確かめるしか術はないが。
商店街の大通りを途中で外れて、ビルの合間に隠れるように存在する扉の前に止まり、インターホンに手を伸ばす。
確認程度に周囲をちらりと一瞥。家主の反応を待つ間にスカートのなか、腿に下げていたアパッチ・リボルバー型の対寄生体装備を手の内に忍び込ませながら喉の調子を確認する。
『はい?』
「た、たすけて・・・ください。変な人に追われてて・・・お願い」
インターホンの奥から焦ったように、待っててと言葉を返される。標的を引き摺り出すための常套手段なのだが、相手が男性の場合は大抵うまくいく。生まれが違ったら女優にでもなったのかなと頭の隅で想像しながら、呼吸を沈めていく。
ドアの奥から近付く足音。弾の装填数をチェックし、引き金に指を添える。
――心臓が、握られたかのように締まる。
しかし、苦痛ではない。普段は閉ざされた感覚が錠を壊されたように、冴えていく。
――世界は狭く、深くなる。
開かれたドアの隙間から、住人がその姿を現す。ほぼ同時に私はその男の身体を室内へと押し戻して後ろ手に扉を施錠、油断に体勢を崩したその眉間に銃弾を沈ませた。
寄生体は痛覚に鈍く、銃弾や斬撃如きでは大した隙を生むことも叶わない。
そのため、寄生体の唯一の急所である頭部の破壊は身体的なポテンシャルの差を埋めるのに効果的な一手といえた。
銃弾に倒れる男を他所目にして、玄関と居間を割ける扉の奥から慌てたような物音に耳が立つ。抜け殻のようになった奇生体保有者を跨いで、その扉を蹴り破る。
潜り抜けた先で、待っていたかのように眼前をバットのように振り切る座椅子。上半身を反らし、木製のそれが壁に散る。
お返しの銃弾は、すんでのところで見切られて天井に着弾する。続けて銃弾を放つも、その保有者は身軽そうに回避していき、背後に跳んで距離をとった。
「大分馴染んできてるわね」
残弾数は三発、確認されている奇生体はあと二体。無駄撃ちはできない。
アパッチ・リボルバーを手のうちで転がし、小銃だったそれを瞬時にして小型ナイフへと変身させる。
吐き捨てるような呼吸の後、一気に距離を詰める。
低威力を代償にした、高速の斬撃が保有者の腕や胴体を撫でる。ペンキを塗るように保有者の衣服が赤く染まっていくものの、それに気付いていないかのように寄生体は笑い、反撃の一手を打ち放つ。
保有者の豪快な拳は壁を突き破り、続けざまに振り上げられた足が空を切る。
尋常ではないその怪力も寄生体による作用であり、力任せの連撃に生まれた隙にナイフを振りながら、私はその瞬間を待った。
破れた衣服から見える傷口周辺が徐々に赤く爛れていく。複数個所の切り傷からその症状は瞬く間に広がりを見せ、やがて保有者はアレルギーを起こしたかのように呼吸困難になり、膝をついた。
寄生体を駆除する、もう一つの方法。
〝神毒〟――対寄生体装備である所以であり、それを鍍金した装備は寄生体保有者だけを死に至らしめる毒牙となる。
もう数秒ともたない命、彼に抵抗する体力は残っておらず痛みに悶えて独りでに死するのみ。
その嘆きは寄生体に手を出した後悔なのか、生きる術としてその選択を取らざるを得なくなってしまった社会への恨みか。
長い苦痛がそれに対する罰という意図もない。私は咽び泣くその顔に銃弾を撃ち込んだ。
保有者の即死を確認して、居間の奥に開け放たれた窓を見る。
沖村に連絡を取る準備をしながら追跡戦を覚悟して窓枠へと一目散に跳んだ私は、その金色に足を止めることとなった。
幼なさを残す瞳に、艶やかな出で立ち。月下美人の体現、人間の放つオーラというものを、私は初めて理解した気がした。
「初めまして――君が、伏魔なぎさちゃんだよね」